サイドストーリー

□甘い悪夢
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 ウィンはミシェルから話を聞くために、素直に頷き、立ち上がった。背後から女性達の残念そうな声が聞こえるが、気にしても仕方がない。
 階段を上がってミシェルの部屋に入る。ベッドとチェストと椅子があるだけの、窓も無い狭い部屋だ。ドアを閉めると、ミシェルはくるりと振り向いた。
「時間はあるんでしょ?」
「ミシェルさん、話は……」
「勿論ちゃんと話すわ。でも対価も貰わなくっちゃね。これが私の仕事なんだし。ウィン君のことだから、私に恥をかかせたりはしないよね」
 少し年上の、若くて綺麗な女だ。ミシェルは自分の容姿の価値をよくわかっているようだった。羽織っていた上着を脱いで椅子に放る。純白のベビードールは、隠すべき胸の中心部に布が無い。
 話を聞くためだ、とウィンは彼女の細い腕を掴んだ。
「ふふ、何だかドキドキしちゃうなぁ。皆に怒られちゃうかも。ウィン君、人気だから」
「……俺は、情報を持っているのがミシェルさんで良かったと、そう思っています」
「!」
 我ながら歯の浮くようなセリフだ。そう思いながらも、頬をピンク色に染めたミシェルを抱きしめる。
 細くて柔らかい身体だ。ウェーブがかった長い茶色の髪からは甘い花のような香りが漂い、メイクをしたばかりの唇は果実のように艶めいている。
 話を聞く女性の相手をするのは、この店では毎回当然のことだ。それゆえに、同じ人は二度と抱かないなどという例の噂話も流れているのだろう。
 ウィンはせめて仕事を終えたばかりの彼女の負担にならないようにと、殊更優しく、なめらかな肌に手を滑らせた。

 数時間後。
 帰宅したウィンは、自宅のシャワールームで熱い湯を浴びたまま、ぼうっとしていた。
 ミシェルとの行為が終わったあと、彼女の話を聞いた。だが、確かに挙動不審で怪しげな2人組ではあるものの、ウィンが求めていた情報では無かった。
 一応、警役所にも報告して調べたところ、例のアミエラの事件に関わっていた人身売買組織の下部構成員が、警役所の目を逃れて潜伏し、見た目の良い女を商品にならないか吟味していたようだった。ミシェルの観察眼も悪くはなかったという事になる。
 だが、またハズレだ。
 一歩進むかと思っても、全然進めない。
 “もうずっと実験頑張ってるけど、最近成果が出ないんだ”。
 そう涙を流したユウヒの言葉が蘇る。
「……俺も同じだ」
 そう呟いて、ウィンは瞼を下ろした。

 ウィンは昔から、朝が苦手だ。
 仕事柄、深夜に家を出て午前中に帰宅することも多く、朝の弱さに拍車を掛けている気がする。勿論早朝の仕事がある場合はしっかりと目も覚めるのだが、そうでない休日には惰眠を貪る事もある。
 そんなウィンの朝の貴重な眠りを邪魔するように、耳元で通信機のバイブ音が響いていた。これは緊急の通知でも無いし、警役所からの電話でもない。要するに、個人的な電話のバイブ音だ。
「…………」
 枕に顔を埋めたまま、鳴り続ける電話を無視する。
 何となく相手はわかっているのだ。こんな朝に個人的な連絡をしてくる人間は、自分にはあまりいない。
 腕を動かして震える通信機を掴み、霞む視界で睨みつける。画面にはやはりトーゴの名前が表示されていた。
「……なんだよ」
『おう、おはよう! 寝てたか?』
「つい3時間くらい前に、ベッドに入ったばかりなんだけどな……」
『悪ぃな〜! いやね、今日も俺、暇だからさ』
 知ったこっちゃ無い。
 ウィンは胡乱な表情を浮かべ、耳に当てていた通信機を枕の横に置いた。そしてスピーカーモードに変更するボタンを押す。
「俺じゃなくてもお前には知り合いがたくさんいるだろ……」
『そんな冷たいこと言うなよ〜。お前らとつるんでるのが一番楽しいんだからさ〜』
「……」
 “お前ら”。その言葉に、ウィンは小さな溜息を吐き出した。そういえば今日は週末だ。研究所も休みの日である。
「またユウヒも誘うのか?」
『当然だろ。俺はユウヒ君を友人だと思ってるし、お前のお気に入りなんだから』
「だからそれは……、……もういいや」
 説明するのも面倒だ。トーゴには何を言っても意味がないのだから。
 力尽きたようにまた瞼を下ろす。今日は1日眠っていたい。昨晩はシャワーを浴びてから結局眠ったのは4時頃で、今もまだ頭が眠気でぼんやりしている。
 だが、スピーカーにした通信機から別の声が聞こえてきたので、ウィンは驚いてパチリと目を開けた。
『トーゴさん。何だか声が疲れてそうだし、無理に誘わなくても……』
『大丈夫大丈夫、あいつ朝が弱いんだと。機嫌悪そ〜な声してるけど、眠いだけだから』
『そりゃ眠いですよ。3時間しか寝てないんじゃ』
 遠慮がちなユウヒの声だ。まさかまだ朝の7時を回ったばかりだというのに、トーゴはユウヒのいるホテルに押し掛けたのだろうか。そして向こうの電話もスピーカーになっていたのかと、ウィンは聞こえないように舌打ちをした。
「ユウヒ、いたのか。お前も面倒だったらトーゴの事追い返していいんだぞ」
『俺は今日は実験も休みで、どうせ何もすることが無かったからさ』
『そもそも俺達、朝一緒に走ってきたもんな〜』
『はい』
「……」
 知らない内に連絡先を交換して、朝一でランニングの約束をしていたらしい。セレス事務官からは、ホテルからあまり離れない事、そしてトーゴがユウヒを警護するのならば、という条件で早朝のランニングを許可されているようだった。
『ま、俺も無理に3人でとは言わないぜ? むしろユウヒ君と2人なら俺の車でも窮屈にはならないだろうし、今日は俺とデートしちゃう? おすすめのスポーツ施設があるんだよ。ユウヒ君、体動かすの好きだろ?』
『スポーツは得意ですよ……!』
『だろ〜? じゃ、まぁ寝坊助は放っておいて2人で行くか〜。眠ってたところ悪かったなぁウィン。おやすみ』
 電話が切れそうになる。ウィンはこれでまた眠れると思ったのだが、何故だか通信機を掴んで心とは真逆のことを口にしていた。
「俺も行く」
 ということで、結局1時間後にホテル前に集合……ということになった。

* * * * * * * *


「……それで、おすすめの場所がここか?」
 集合の後、3人はフォーセル東部にいた。
 先日と同じくウィンの車をトーゴが運転してきたのだが、到着したのはスポーツ大会などにもよく使用される市民体育館だ。屋根付きの大きな体育館が2棟、事務所などが入っている本棟に、それから奥には広いグラウンドやプール、射撃場もある。
 ウィンはこんなところではつまらないだろう、と横に立つユウヒを見た。だが、予想に反してユウヒの瞳は楽しげに煌めいている。
「フォーセルにもこういう場所があるんだな……! 東京にもあって、おれもよく大会で行ってたよ」
「へぇ……」
「そっか〜。異世界っても、やっぱり人間が使う施設ってのはそう変わらないモンなんだな」
「そうですね……!」
「普段はさ、誰でも使えるように解放されてんだけど、今日はこっちの体育館で警役所の訓練生が集まってんのよ」
 トーゴが2棟並ぶうちの片方を指さした。確かにバイクや車が多く停まっていて、入り口付近にも十数人の人影が見える。彼らは皆同じシャツを着ていて、まるで部活中の学生のようにも見えた。
「そういえば警役所に張り紙があったな。確か、訓練生と一般参加者の競技大会だったか? でも参加には申請が必要だったろ?」
 ウィンが怪訝な顔で言うと、トーゴはよくぞ聞いてくれましたという顔でにやりと笑った。
「勿論申請済みだとも。受理もされてるぞ。俺達3人で、その名も“子犬ちゃん”チームだ!」
「え!」
 珍しく、ウィンとユウヒの声が重なった。申請済みというのも驚きだが、そのチーム名も何だか微妙である。
「この前キャンプ施設に探検に行って、ユウヒ君の運動神経の良さを目の当たりにしたからさ。俺とウィンも仕事柄運動は得意だし、これはもう参加するしかないと思ったわけよ」
「申請しておいて、今日俺が来なかったらどうするつもりだったんだよ……」
「え〜、お前は絶対来ると思ったから」
「なんで……」
 そういえば、先日のアミエラの事件でも似たような事をセレス事務官に言われた気がする。絶対にクロサキ君を助けに行くと思っていました、と。
 あれは責任感と同情もあったからだが、今回のこれはトーゴの勝手な憶測に過ぎない。
 しかしウィンの若干の面倒臭さをよそに、ユウヒはここ一番の盛り上がりを見せている。
「俺達3人で、警役所の人を相手にするんですか?」
「警役所の訓練生だから、まだ正式には警役人にはなっていない若い奴らだな。一般参加も他に数グループはいるはずだぞ。ただ、訓練生も他の一般チームも、それなりに運動には自信のある奴らが集まってる」
「それで何の競技を?」
「いろいろあるぞ〜。えーっと……」
 トーゴが数種類の競技名を口にする。するとユウヒは途端に青ざめた顔をした。ウィンとトーゴは首を傾げたが、なるほど“ニホンには存在しない競技か”と納得した。
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