サイドストーリー

□甘い悪夢
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■甘い悪夢

※改稿版1章 4話あたりの話(雄飛、ウィン、トーゴが絡んでいるあたり)
※女性との風俗・性行為を匂わせる表現があります。
※ウィン視点




 フォーセルの冬は長い。
 北国ほど雪が降るわけではないが、凍えるような冷たい日々が数ヶ月は続く。
 深夜の2時過ぎ。仕事を終えて帰ってきたウィンは、ガレージと続いている裏口から家の中に入り、疲れたように靴を脱いだ。
 降り始めたばかりの粉雪が服についている。パラパラと床に落ちたそれは、すぐに溶けて見えなくなった。
 武器などの装備を雑に脱ぎ、リビングのソファに放る。そのまま自分も沈むように座り込んで、短い溜息を吐き出した。
 今日の仕事は、先日フォーセル警役所の経理課から直々に頼まれた案件だった。
 通常、賞金稼ぎは警役所が特定の犯罪者をリストアップし、“賞金首”として公開した対象者を捕縛するのが仕事だ。そして基本的には早い者勝ちの世界でもある。ウィンは自身の≪気配察知≫の技を最大限利用して多くの賞金首を捕まえているので、報酬の受付窓口でもある経理課に足を運ぶ機会も多く、職員にも顔見知りが増えた。
 そして職員と懇意になると、リストアップされる前の賞金首を教えてもらえることもある。今回の仕事はまさにそれで、賞金も申し分無かった。
 しかし、本当に欲しかったのは賞金では無い。ウィンがこの仕事をしているのは、自分の顔に傷をつけた男達を探しているからだ。今回の仕事はとある子爵一家が絡んでいる事件ではあったが、しかし予想と外れて被害者も加害者も、ウィンが求めている情報は何一つ持っていなかった。
 今日の件だけでは無い。フォーセルに拠点を置いて2年以上経つが、そもそも有益な情報がなかなか得られない――と感じている。そうそう簡単に見つかるものでは無いと覚悟はしていたが、見えない物を追うのには気力がいるのだ。
「…………」
 シャワーを浴びるのも、着替えて2階に行くのも億劫で、ウィンはソファの背もたれに寄りかかったまま呆けていた。
 このままでいいのだろうか。自分の目的を果たすことは、出来るのだろうか。そんな考えが頭の中でぐるぐると回っている。
 賞金は貯まっていくが、金のためにやっている仕事では無い。精々が家賃や車の維持費、そして食費に消えるくらいで、衣料や交友費は微々たるものだ。家の中も物が少なく、必要最低限しかない。
「部屋、綺麗だな」という声が聞こえた気がした。薄目を開けて、天井を見上げる。
 数週間前に、突如として自分の上に落ちてきた少年――、ユウヒの言葉だ。家に連れてきたその日に、あの藍色の目は遠慮しながらも興味深そうにこの家の中を眺めて、そう言った。
「……いつかは捨てる家だからな」
 物を増やしても仕方ない、とウィンは誰にともなくそう呟く。
 そして、先日の事件のことを思い出していた。
 アージュ研究所の研究員の1人が、人身売買と違法魔道具の製作販売に関わっていたことが判明し、深夜にリストアップされたのだ。
 被害者は自分が警役所に預けていたユウヒだ。さすがに哀れと思って助けたら、本人は何故助けてくれたのかと驚いていた。年下の学生を見捨てるほど薄情では無いと、少し心外でもあった。
 自分と関わっていては、必ず危険に巻き込まれる。人身売買の組織の件だけではなく、それ以上の悪意に満ちた何者かに狙われる可能性がある。
 それは賞金稼ぎという仕事をする中で自分が実際に危険に遭遇したからでもあり、ユウヒが魔力も使えない、ただの異世界の少年であることも理由の1つだった。自分より魔力も腕力も強い屈強な男だったらここまで心配はしないし、距離を置こうとも思わないだろう。
 そう考えて警役所に預けたのに、あろうことかそれから1週間で事件に巻き込まれた上に、今も何かと関わってしまっている。原因はトーゴだ、とウィンは眉根を寄せた。
 ちょうどフォーセルに戻ってきていた知り合いの賞金稼ぎに協力を頼んだら、それから何故かユウヒを巻き込んで関わろうとしてくるのだ。
 3日前もそうだ。ユウヒと距離を置いている理由を再三説明したにも関わらず、10歳年上の仕事仲間は「寂しがってると思うぜ」と笑ってウィンを酒屋に連れて行き、3人で飲むには多すぎる酒や炭酸を購入し、ドライブスルーに寄って食料も買い込んだ。
 ただ、トーゴの言うこともあながち間違ってはいなかったとは思う。2人でホテルを訪れた時の、あのホッとした表情。
 そして、その後の――。
「…………っ」
 ウィンは身体を起こし、困ったように片手で顔を覆った。
 酒を飲ませてしまった自分と、確信犯でどんどんグラスに酒を注いでいたトーゴが悪いのだ。
 酔ったユウヒは、何の遠慮もなく自分に近寄って、首筋や胸や腹部に鼻を近づけて、「いい匂いだ」とのたまった。香水のことを言っていたのだと分かってはいる。だが、紅潮した頬で、見目もそう悪くない年下の少年が、自分の好きな香りだと口にしながら鼻先や唇を当ててくるので、不覚にもウィンは一瞬だけ動けなくなった。酔ってああなるのだから、普段から自分の纏う香りを好んでいたのだろう。
 あの時の感情を言葉にするのなら、“危なっかしい”、いや“飲ませすぎて可哀想なことをした”だろうか、もしくは呆れか。ほんの少しだけ、目が離せないとも思った。
 トーゴは背後でずっと大声で笑っていた。酔わないはずだが、多少なりともアルコールでテンションは上がっていたのだろう。からかうような言葉をずっと後ろから言われ続けていた。
 我に返ってユウヒを離そうとしたら、右腕を掴まれた。つい先程までトーゴの言うように“子犬”のようにスンスンと鼻を鳴らしていたのに、今度はその頬を涙が伝っていた。
「帰れるかな……俺」
 ユウヒは静かにそう呟いた。
「もうずっと実験頑張ってるけど、最近、あんまり成果が出ないんだ……。もう二度と帰れなかったらどうしよう。誰が、母さんと姉ちゃんを守るんだろう」
「――……」
「暁もきっと自分を責めてる……。あいつのせいじゃないのに」
 ぐすぐすと涙ながらの本音を聞いて、さすがにトーゴも笑いを引っ込めていた。ウィンの右腕はユウヒの涙で濡れたが、無理矢理引き剥がす気にもなれなかったのだ。
 そしてそのあとは結局、男2人で横になるには少し狭いベッドの上で一緒に眠り、翌日はキャンプ場へと赴いたのである。
 一緒に眠るなんて、あまつさえ熟睡してしまうなんて、少し前の自分では絶対に有り得ない。ユウヒが無害だとわかっているから、気心のしれたトーゴがいるから、自分は油断したのだろうか。
 ウィンは顔から手を外し、仕方なく立ち上がった。真っ暗だった部屋にようやくランプを点けて、冷蔵庫から水を取り出して飲む。
 1人になると色々と考えてしまう。さっさとシャワーを浴びて、寝てしまおう。
 面倒臭がる自分を叱咤して、シャワールームに向かう。髪を解きながら脱衣所の鏡に映った自分を見て、ウィンはほぼ無意識に鏡に手を当てた。
 鏡に何かが起こるわけがない。
 ウィンは自分の行動に失笑し、服を脱いだ。
 とにかく、最近は他人と関わりすぎている。相手のためにも自分のためにも、そういった事は控えなければならない。そう考えていた。

 翌日は、店舗型の風俗店が仕事場だった。
 男達が欲望を滾らせながら集まる深夜の歓楽街は、酒とアルコールと香水の匂いで混沌としている。
 ウィンが煌々としたネオンの看板を掲げる店の中に入ると、入口の男性スタッフが何も言わずとも「こちらの部屋です」と案内をした。
「あぁ〜! 来た〜!」
 ドアの先は、黄色い声で溢れている。ベビードールの上に上着を1枚羽織っただけの姿をした女性達が5人ほど、煙草と酒とメイク用品に溢れた部屋で雑談をしていた。この店の控え室だ。
「こんばんは」
 実は、ここに来るのは初めてではない。
 1年ほど前に情報集めの為に訪れてから、数回は顔を見せている。こういう店はとにかく色々な情報が集まるのだ。初めて訪れた時にも、黄色い目の柄の悪そうな男が若い男を従えて来店した、という話を聞いてやってきたのだ。結局その情報は欲しかった相手の件ではなかったが、賞金稼ぎという仕事をする上で、彼女達から得られる情報は随分と役に立っている。
 ウィンの顔を見た女性達は楽しそうに手招きをして、空いていた椅子にウィンを座らせた。
「今日はミシェルの話を聞きに来たんでしょ? もうすぐ戻ってくると思うよ〜」
「ありがとうございます。では、ここで待ちます」
「ねぇ、ミシェルとの話が終わったら私の部屋においでよぉ。最近予約が少なくって」
「あんたは声がでかすぎなのよ。私のところまで聞こえてくるもの」
「え〜? 声が大きいほうが相手だって興奮するでしょ?」
 赤裸々、というより何の恥ずかしげも無くそんな会話が目の前で繰り広げられる。最初は戸惑ったものだが、1年通うと慣れるものだ。別の女性がサーバーから注いでくれた熱いコーヒーをありがたくいただき、ウィンは会話を軽く聞き流しつつ、目的の女性が来るのを待った。
 ミシェルという茶髪の女性は、それから15分程度で控え室にやってきた。乱れた後ろ髪と、薄くなったルージュ、そして僅かに疲労の見える表情に、つい今まで誰かに抱かれていたのだと分からせる、生々しい雰囲気が漂っている。
 ミシェルはウィンを見つけると、「やだ、もう来てたの?」と言って慌てて髪やメイクを直し始めた。
「ミシェルさん」
「待って待って、あと前髪だけ直させて〜!」
「必死すぎ」
 同僚の女性達が笑い声を上げる中、ミシェルは完璧にメイク直しをして、ウィンに向き直った。
「ごめんねお待たせ。例の話だよね?」
「はい。マルグリットさんに聞きました。店に来たという、若い男の2人組の件です」
 ミシェルの話を教えてくれたのは、この店に長く勤める女性キャストだ。ここの女性達には「姉さん」と呼ばれている、妖艶な美女である。彼女からの連絡で、今日はここを訪れたのだ。
「そうそう、何かちょっと変な客だったから、姉さんに相談したんだった。じゃ、上に来てくれる?」
 上の階は、彼女達の個室――いわゆる仕事部屋がある。
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