サイドストーリー
□刺した青の呪縛
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中央区の警役所に隣接した中央病院内を、白衣の2人組が歩いていた。
医者とは違うカードを首から下げ、手には膨らんだバッグを持っている。
微笑みを絶やさない眼鏡の男と、不機嫌な顔がデフォルトの男の2人組。
通常の病棟と違い淡い桃色の壁紙の貼られたこの小児科病棟では、あまり見慣れぬ光景だ。
「こんにちは、ノア。調子はどうですか」
爽やかな笑みを浮かべる眼鏡の男――ノーライトは、とある病室のドアを開けながらそう声を掛けた。
ベッドの上でつまらなさそうに窓の外を眺めていた少年は、掛けられた声にハッとしたように振り返り、次いで辟易したように胡乱な目をしてみせる。
その表情に対抗するように更に不機嫌になったもう1人の青年――リゼをノーライトが視線で宥め、ノアと呼ばれた少年に数歩近づいた。
「調子なんて変わらないよ」
「でも、軽い部分はもう新しい皮膚が再生していますね。順調な証です」
「なぁ先生。先生はいつも俺の所に来るけど、医者じゃないんでしょ。そっちの兄ちゃんも、誰?」
「私は一応医者ですよ。彼は確かに医者ではありませんが、優秀な助手です。きっと君の為に素晴らしい薬を考えてくれますよ」
「…………」
訝しげにリゼを見るノアの両足には、指の先まで真っ白な包帯が巻かれていた。
リゼは事前にノーライトから聞いていた目の前の少年の症状を思い出す。
旅行先で悪事に巻き込まれ、正体不明な薬品を両足にかぶって入院中。その足の皮膚は服と共に焼け爛れ、変色してしまっているのだという。
幸い命の危険は無かったものの、このままでは歩くこともままならない。
足に被った薬品の解明と、その治療薬の開発が、今回ノーライト研究所に舞い込んだ病院からの依頼だった。
そのため、ノーライトは数日前から何度かノアの元を訪れ、そして今日は初めてリゼもお供することになったのである。
「彼は顔は怖いですが、薬品のスペシャリストです。頼りにするといいですよ、ノア」
「そんなに凄いの?」
「……ま、得意か得意じゃないかって言われたら、得意な分野ではあるな」
珍しく控えめな言い方で答えるリゼを、ノアは心配そうな、しかしどこか期待を込めた瞳で見上げている。
歳は12歳。遊びたい盛りの少年だ。
大好きなスポーツも出来ず、日々ベッドの上で鬱憤をつのらせている。
ノアの父親と年齢の近い自分より、19歳のリゼならノアのいい話し相手になるだろうと、そんな密かなノーライトの狙いもあった。
「担当のオリバー先生には許可を貰ってますから、少し協力してくださいね、ノア。私達に君の足を治させて下さい」
「………」
穏やかな口調のノーライトには、燻っているノアもさすがに反抗する気はないのだろう。
おずおずとベッドの上から足を動かして、だらりと縁から垂らして見せた。
ノーライトがちらりとリゼを見る。
リゼは頷いて、それからノアの足元に跪いた。
「俺はリゼだ。これからお前の足を見て、どんな色なのか、皮膚はどうなってるのか、熱は持ってるのか……色々と調べる。今まで散々診られてきただろうけどな、やっぱり俺も自分の目で確かめたい」
「…………」
「痛みやしびれがあったらすぐに言え。いいな、ノア」
「……わかった」
リゼの赤い目が、存外に真っ直ぐで真摯な事に気付いたのだろうか。
ノアはノーライトが思っていたよりも素直に頷いて、自分の足に触れて包帯をそっと外し始めたリゼの一挙一動を、興味深そうに見つめていた。
「薬草の類じゃねぇな」
30分ほどして、リゼはノアの足に丁寧に包帯を巻き直しながらそう口にした。
ノーライトから聞いていた通りの症状だったが、匂いや触れた感触、肌の色、痛みの有無。
頭の中に入っている知識の中からそれぞれの特徴を引っ張り出して、ひとつの答えに結び付ける。
リゼの言葉に頷いたノーライトは、眼鏡の奥の褐色の瞳を細めた。
「つまり、人の手で作られた化学薬品と言うことですね」
「あぁ。毒草にもこれと似た症状の出るヤツはある。でもこの爛れ方は異常だ。自然由来のもので、かつ死に至らしめない程度の毒性を持つものじゃ、皮膚はここまでは酷くならない。俺はジェインが昨日仮説に出した薬品が怪しいと思う。あれに何かしらの手を加えた物だろうな」
「成程……ではやはりその線で研究を進めてみましょうか」
「そうだな」
淡々とそう会話する2人を、ノアは何も言わずに交互に見つめていた。
自分の担当医であるオリバーという初老の医師は、消毒薬や他の色々な薬をノアの足に塗布し治療をしてくれたが、それでも悪化する足を見て「この病院には治療薬が無いな」と困ったように呟いていたのを思い出す。
それを聞いた時は家族と共に大きな落胆を味わったものだが、そのオリバー医師に依頼されて来た目の前の2人はテキパキと今後の研究内容を口にしている。
その姿に知らず安堵を感じて、ノアはボロリと涙を溢した。
気付いたリゼがギョッとする。
子どもの涙には慣れていないのだ。
「おい、どうしたんだよ。痛かったら言えって言っただろ」
「違う……痛くない」
「だったら何で急に泣くんだ」
「……リゼ先生、ノーライト先生。俺の足、治る?」
「…………」
「俺、またサッカーやりたいんだ。このままじゃチームメイトに置いてかれる……」
ぐずぐずと泣きだしたノアの言葉は、子供らしいものだ。
リゼは戸惑ったようにその姿を見つめていたが、やがて立ち上がってノアの柔らかな紅茶色の髪に手を置いた。
そのまま少し乱暴にぐりぐりと撫でまわして、ぐいっと上を向かせる。ノーライトは苦笑しながら、その様子を眺めていた。
「チームメイトに置いていかれても、また頑張ればいいだろ。お前の足は俺達が治す。そしたらサッカーだろうが水泳だろうが、また何でも出来るようになるんだからな」
「本当に?」
「疑ってんのか? ジェインも言っただろ。俺はこういうのが大得意なんだよ」
ニヤッと笑って見せる。
垣間見えた牙にノアは驚いたようだが、しかし涙を引っ込めて頷いた。
それから約束、と小指を差し出す。
採り立ての蜂蜜のようなオレンジの瞳には希望が輝いている。
リゼは仕方ねぇな…と呟いて、まだ細いその小指に自分の指を絡めた。