サイドストーリー

□刺した青の呪縛
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 あれはもう、何年前の事だろうか。
 気付けばいつの間にか成人を迎えていた自分の中に、僅かに残る柔らかな記憶。
 その一端に光る、友人達の笑顔。
 毎日のように遊びに行っていた公園の、一番の大樹。
 太くしなる幹を登り、その天辺(テッペン)から眺める景色は広く大きくて、まるで未来が眼前に広がっているように思えた。

 自分だけの秘密基地のようなその大樹の頂上に、一度だけ別の人間が足を踏み入れたことがある。
 その子供は仄暗い雰囲気を纏いながらも、しかし広がる景色に少しだけ、大きな瞳を輝かせていた。
 可哀想な子、とその子供の事を噂している大人達がいたのを知っている。

 可哀想な子。
 不憫な子。

 あぁ、自分はそれを聞いて少し優越に浸っていたのかもしれない。
 彼は友人で、同じ木に登った仲間だった。でもどこかで、見下していたのだ。
 自分の方が恵まれているのだ、あいつは、自分以上の存在にはなれないのだと。

 虚ろな瞳で過去を思う。
 触れた脇腹が、じくりと痛んだような気がした。



【刺した青の呪縛】



 騒がしい。
 この地に足を踏み入れて、最初に思い浮かんだのがこの言葉だった。
 圧倒的に人が多い。
 繁華街も多く、老若男女が一同に揃っているように見える。
 晴れた日差しは茶色い髪を容赦なく照らし、その熱さに思わず眉を顰めて空を仰ぎ見た。

 ラキアに行くから身なりを整えろ。と、そう言われたのが5日前だ。
 あそこは人が多い分警役人の巡回も多いから、なるべく清潔な格好をするのだと。
 いつもはド派手なスーツ姿の年配組も、薄汚い後輩も、渡された金で清潔なシャツとスラックスを購入し、はたから見ればまるで悪事など知らぬような出で立ちになった。
 今回参加を認められたルイスもそれは同様で、いつもはワックスで固めた前髪を下ろし、薄い水色の麻で出来たシャツにロールアップジーンズという、いかにも好青年な格好で街を歩いている。

「……暑い」

 気温のせいか、人の熱気のせいなのか。
 平日の昼間だというのに人数の減らない中央通りを縫う様に歩きながら、思わずそんな悪態が口から零れた。
 とりあえず水分補給だ。
 ここ数日で覚えこんだ中央通りの多くの店の配置を思い出しながら、一つ先の角にある喫茶店へと向かう。
 赤レンガの石畳で出来た小さな広間の前にあるその喫茶店は、晴れた日には店の前にパラソルと椅子を広げて客に日陰を提供している。
 ルイスは店内で適当にアイスコーヒーを買って外に出ると、タイミングよく空いたベンチに腰を下ろした。
 クリーム色のパラソルの下は、これだけでも少し温度が違う気がする。
 冷たいコーヒーが喉元を通り過ぎるのを感じながら、ふっと肩の力を抜いて目を閉じた。
 少しくらい気を抜いたって、この恰好なら警役人に目を付けられることはまず無いだろう。
「……でさ、そしたら――が案の定すっげぇ怒るからさ――」
「そりゃ当然だろう。そのくらい――だってわかってたろ?」
 視界を閉じた分、音が鮮明に耳に入ってくる。
 真横の若い男達の会話に、後ろの老夫婦の会話。その合間に、店員の明るい接客の声も聞こえてくる。
 靴音や、犬の鳴き声も混ざり合って、まるで音の波にのまれそうだ。
 しかし逆に、それは自分がこの大勢の人間達の中に紛れて存在を隠されているようで、少し安心しているのも事実。
「お前は本当に――だよなぁ」
「それはお前だけには言われたくない」
「そりゃそうか」
 笑い声が聞こえる。
 隣はどうやら会話が弾んでいるようだ。
 ちらりと視界に入れたその男達は、年齢的にも自分と同じくらいだろうか。
 ルイスは暇つぶし代わりに彼等の会話をBGMにしながら、再び瞼を下ろした。
「でも、リゼ」
 垢抜けた格好の1人が、そう声を掛ける。
 その名前をしっかりと聞き取って認識した瞬間、ルイスはぱちりと目を開けた。
「最近頑張り過ぎてるって、雄飛が心配してたぞ」
「機動隊に比べれば大したことねぇだろ。俺の仕事はある意味、寝たいと思った時には眠れる仕事だし」
「そうかもしれないけどさ……。俺も心配だから、休める時は休んどけよ」
「もー、ほんっとお前らは俺のかーちゃんかっての」
「気持ちはそれに近いな」
 あはは、と楽しげな男は栗色の髪に翡翠の瞳。ストールを巻いている。
 対して「リゼ」と呼ばれた男は漆黒の髪を持ち、赤い瞳が呆れたように目の前の男を捉えていた。随分と背が高いようだ。言葉使いも少し乱暴だが、仕事熱心らしい。
「――……」
 そして、機動隊の知り合いがいる。
 こちらには気付かないまま会話を続ける2人の話の内容をある程度まで聞き終えると、ルイスは飲み終えたクリアカップを片手に立ち上がり、ダストボックスにそれを投げ入れた。
 そしてそのまま足早にその場を離れ、仲間と共に借りているマンションの一室に入り込む。
 まさか、まさかと心臓が何故か早く鼓動を打っていた。
「………あいつが? どうしてこんなところで」
「よぉ、ルイス。興奮した顔してどうした。何か収穫でもあったか?」
「……ゲイルさん。俺、しばらく単独行動増やしてもいいですか」
「……なんで?」
「もしかしたら、面白い情報が手に入るかもしれないんです。もしそうなれば、俺だけじゃない、先輩方も昇進出来ますよ」
「へぇー?」
 訝しげな顔をしていた男は、伊達眼鏡の下でニヤリと目を細めてルイスを眺めた。
 普段はいかにもな色柄物のシャツにスーツ姿のこの年上の男が、今はポロシャツにスラックスという格好のせいで、顔に貼り付けた凶悪な笑顔が何だかやけに不釣り合いに見える。
「いいぜ。俺から上にも言っておいてやる。その代わり、ヘマしたらタダじゃ済まされねぇから覚悟しておけよ」
「……ありがとうございます」
 軽く頭を下げて、自室にこもる。
 簡素なベッドに横になり、かつての遠い記憶の中での彼の笑顔を思い出していた。
 赤い目に黒髪。そしてリゼと言う名前。

 行けるかもしれない、と呟く。
 これは現状を打破するチャンスだ。
 自分は、もっと上を目指すべき人間なのだから。
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