サイドストーリー

□好物は一番先に食べてしまいましょう!
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「リゼくーん」


ノーライトの間延びした声が聞こえて、リゼは試験薬を混ぜていた手を止めた。
机の上の本と、研究資料、それからさまざまな薬草や薬品にばかり目がいって気付かなかったが、カーテンの隙間からは明るい木漏れ日が差し込んでいる。
ずしりとした肩の痛みを感じながらリゼは息を吐いて、何十時間と点けっぱなしにしておいた室内灯の電源をオフにし、カーテンを開け放した。
日差しが目に痛くて思わず唸り声を上げれば、先程よりも更に近い場所から上司の声が聞こえて振り向く。

「おーいリゼ君。生きてますか」

「生きてるよ。つーか……頭いてぇ……」

「君の集中力には目を見張るものがありますねぇ。もう何日も籠もりきりでしょう。今日はお休みにしてはどうですか」

そう言って笑うノーライトの手には、淹れたばかりの紅茶があった。
どこか嗅いだことのある香りに眉を寄せる。
この琥珀の液体は、リュオンが好むカモミールだ。

「ご名答です。ローランの旦那さんに頂いたものですよ。疲れた君には丁度いいでしょう」

「……人の心の中を読むなよ……」

「私の得意技のひとつですから」

ふふふと笑うノーライトから、渋々とそれを受け取る。
安眠に良いとされるその花の茶は、研究に没頭しすぎて微かに朦朧とする意識を、確かに落ち着けてくれるようだった。
湯気で曇る眼鏡を外し、白衣のポケットにしまいこむ。

「君のおかげで今週中に病院に提出しなければならない治験薬も既に出来上がっていますし、今日は私も久しぶりに外に出ようかと思ってるんです。他の助手達にもそう伝えましたから、君もそうしてください」

「……べつに今日の分の給料はいらねーよ。特にすることも無ぇし、俺は……」

「お金の事を言ってるんじゃありません。いくら君の身体が頑丈だと言っても、4日もろくに寝てないんじゃいくらなんでも危険ですよ」

「…………」

「お風呂にも入ってないでしょう。汗臭いです」

「うるせーな。わかったよ、休めばいいんだろ休めば!」

「はい」

開けた窓から鳥の鳴き声が聞こえる。
良く晴れた青空を目にして、リゼは紅の瞳を細めた。

ノーライトの助手として働くようになってから、もう随分と経つ。
間借りしているこの研究所は最早実家のようなもので、キッチンも浴室も好き勝手に使っている。
最初、リゼはこの研究所ではなく近くに安い家を借りるつもりだった。
だが、空いている部屋を使えと提案してきたノーライトに抗うことが出来ず、そのまま現在まで住みついている。

給料が少ないのだから、と自分を誘った時にノーライトはそう言って笑っていた。
前科持ちのリゼを雇ってくれる研究所は少なく、しかし他に出来ることも無いからと研究職で働き口を探していたリゼに、ノーライトはならばうちで働いてくれないかと頼んできた。
給料も十分な上、高名な博士の元で働けるなんて願ってもいないことだったが、そこでリゼは自分を雇う条件を口にしたのだ。

給料は半額でいい。難しいならそれ以下でもいい。その代わり、研究室の道具や材料を自由に使わせてほしい。
仕事としての研究は勿論最優先で行う。だが自分にはどうしても作りたいものがあるから、その為に研究所を使わせてほしい、と。

ノーライトはそれを快諾したうえ、給料は通常通り支払うと言ってくれた。
だが、それではリゼの気持ちが収まらなかった。
半ば強引に給料を他の助手の半額分にしてもらい、それでは今度は自分の気持ちが収まらないからとノーライトはリゼを自分の自宅兼研究所に無理矢理住まわせた。
家賃も掛からないうえ、職場に住めるなんて楽でいいじゃねぇかとリュオンに言われたのを思い出す。
全くその通りだ。
口には出さないが、自分はノーライトにとても感謝しているし、そして恵まれていることにも感謝している。
これで雄飛がいればなぁと何度も思ったが、その願いは数か月前に叶えられた。
ウィン達の記憶も戻り、先月にはリュオンとキアの婚約パーティも行われた。
本当に、目まぐるしく日々が過ぎていく。

「親父、お袋。……俺も何だかんだ頑張ってるから心配するなよ」

命を賭して自分を守ってくれた両親に、そう伝える。

「……君は本当に顔に似合わずいい子ですねぇ」

「い、いたのかよジェイン……!」

「いましたよぉ。君が物思いに耽っている間もずっとね」

「てか今さり気無く失礼な事言われた気がすんだけど!?」

「何の事でしょうか」

では私は出かけてきますね、とノーライトは楽しげに部屋を出て行った。
ぐぐっと唇を噛んでいたリゼだが、誰も居ない部屋で怒っていてもしょうがない。
半分ほど飲んだティーカップをテーブルに置き、白衣を脱いで椅子の背もたれに掛ける。
仕方が無いから、少し眠ってから自分もどこかへ出かけようか。

「あー……でもまずはシャワーだな……」

長い髪が少し鬱陶しい。
いっそのこと切ってしまおうか等と考えながら、リゼは浴室へと重たい足を引き摺って行った。
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