長編小説

□深縹の戦旗【下】
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 30分ほど歩いてようやく見えたアパートは、3年前とほとんど変わっていなかった。
 暁の部屋は2階の真ん中だ。階段を登ればすぐのその部屋を見上げれば、キッチンに当たる部分の曇りガラスからは光が漏れている。住人は在宅のようだ。
 しかし雄飛は駐車場に目を向けて、階段に向かおうとした足を止めた。
 暁の部屋は202号室だが、202の駐車場には有名なメーカーの大型車が停まっているのだ。
 どう見ても暁の選ぶような大きさではないし、狭いアパートの駐車場では随分と目立っている。
 雄飛の視線に気が付いたウィンは、「これ、暁のか?」と驚いたように呟いた。
「どうしよう、やっぱりもう引っ越しちゃてるかも……」
「いやでも、あいつの車って可能性もあるんだろ?」
「そりゃそうだけど、あの暁がこんなでかい車乗ってると思えないし……」
「趣味が変わったとか……」
「それにしたって大きすぎないか?」
「でもイイ車だよな。俺もこのくらいのに買い換えたい」
 大型車の前でヒソヒソと会話を続けていると、「あのぅ……」と背後から控えめな声がかかった。驚いて振り返ると、コンビニ袋を持った、短髪の青年がそこに立っていた。
「すみません、それ俺の車で。邪魔でしたか……って、あれ……?」
「――!」
「もしかして、黒崎先輩……じゃないですか?」
 青年にそう言われた雄飛は、目を丸くしたまま気分が高揚するのを感じた。彼がいるということは、暁もきっとここにいる。
「高城君……!」
「あ、やっぱり! お久しぶりですね。外国で就職したって聞いてましたけど、いつ帰国を?」
 高城省吾。彼は1つ下の学年の後輩だった。大学に入ってからは暁と恋仲になっていたはずだ。
 高城は「先輩のご友人ですか? はじめまして!」と朗らかにウィンと握手を交わし、学生の頃からの屈託のない人懐こさを、遺憾なく発揮している。
「えっと、ついさっき帰ってきてさ……。暁に会いたくて直行したんだ」
「暁さんなら中にいますよ。きっと喜びます」
 その言葉に、雄飛とウィンは顔を見合わせた。それと同時に、上の階の玄関ドアが開く音がして、高城が「あっ」と嬉しそうな声を上げた。
 雄飛がつられるように振り向くと、階段の欄干(ランカン)に手を乗せてこちらを見下ろす、懐かしい顔があった。
「…………!」
 空色の瞳が一度大きく瞬いて、そして緩む。
 雄飛が階段の下まで駆け寄るのと同じタイミングで駆け下りてきて、2人はわっと抱き合った。
「雄飛!」
「暁!」
 心がぎゅうっとなるような嬉しさが溢れる。久しぶりに見た親友の姿はあまり変わりこそしないものの、やはり3年前よりは少しだけ大人びていた。
「外が賑やかだなーって出てみたら……! 何で? いつ帰ってきたの?」
「ちょっと色々あって……、さっき気がついたら渋谷にいたんだ。ウィンも一緒だよ」
「……!」
 涙目の暁は、その言葉に視線を動かした。久々の再会を邪魔するつもりのなかったウィンだが、暁にじっと見つめられ、右手を差し出した。
「久しぶり、と俺も言いたいところなんだが……、一応初対面だよな。ウィン=アルヴァーヘルだ。よろしくな」
「泉暁です。ウィンさん、俺も写真でしか貴方を知らないはずなんですが、何だかとても懐かしい気持ちです。……雄飛にたくさん話を聞いていたからかな」
 雄飛が再びエイラーンへと渡る前日の夜、暁には全ての経緯を話して聞かせた。その事を言っているのだろう。
「積もる話もあるけど、とにかく部屋の中へどうぞ」
 暁に促され、4人でアパートの部屋へと入る。部屋は単身者用なので、大の男が4人もいるとリビングは少し小さく感じた。お茶を用意する暁を高城が手伝いに立ち、雄飛とウィンはラグの敷かれた床に座り込んで、ようやく一息ついた。
 部屋の中は雄飛が知る頃と変わっていない。整頓されていて、観葉植物が多い。暁が観ていたのか、テレビはつけっぱなしになっている。
「何だか不思議な感じだ」
 雄飛の隣で、ウィンがそう呟いた。
「ここは――、日本は時間の流れが穏やかな気がする。魔力が無いせいかもしれないが、枷が外れたような身軽さを感じるんだ」
「……俺も少しホッとしてる。アカランサスと違って、ここでは俺を賭けの対象として見る人もいないし」
「そうだな……」
 ウィンは苦笑を浮かべながら、雄飛の頭を撫でてきた。雄飛がそれを甘んじて受けていると、両手にマグカップを持った暁が戻ってきて、2人の様子に頬をほのかな桜色に染めた。
「雄飛のそんな顔、久し振りに見るなぁ。あの写真以来じゃない?」
「写真?」
「はい。あっ、まだ何枚か残ってるんで、見ますか?」
 ウィンと、残り2つのマグカップを持ってきた高城は不思議そうな顔をしている。暁は雄飛が止める間も無く、クロゼットから缶ケースを取り出して、中身をローテーブルの上に広げて見せた。
 雄飛の予想通り、それは前の時間軸での、高校時代最後の学園祭の写真だった。
「これは……」
 目についた1枚を手に取って、ウィンがじっと眺める。彼にとっては、この学園祭の記憶はだいぶ昔のように感じるだろう。何せ、今のウィンの人生では体験していない出来事なのだ。
「……覚えてるぞ。夜に花火が上がったな」
「あぁ」
「その時に俺は、お前にリングを渡したんだ」
 本当は対のリングだったのに、とウィンが雄飛の左手を取った。青い石のはまったフェールリングに口付けるさまを見て、高城はドキドキしながら暁の顔を見た。暁がその視線に笑顔で頷いたので、雄飛とウィンの関係に確信を持ったようだった。
 高城も写真を見ているが、自分の記憶と違う学園祭の写真に内心は疑問でいっぱいのはずだ。雄飛と暁が3年生の時の学園祭は大雨で、勿論高城もそれを覚えているはず。しかし、目の前の写真はどれも快晴の空が写っている。ウィンの言う「花火」も、この時間軸では上がっていない。
 それでも何も言わずにいるのは、彼なりに空気を読んでの事なのだろう。
「暁。雄飛と俺が再会できたのは、お前のおかげだと聞いてる。……本当にありがとう」
「こちらこそ。俺の大事な親友を大切にしてくれて、ありがとうございます。惚気話もたくさん聞きたいんだけどね、俺は」
 暁はそう言って、雄飛を見た。
「でも……、どうやら“帰ってきたくて帰ってきた”って感じじゃないよね。さっきの雄飛の言い方からすると」
「あぁ。ちょっとトラブって日本に来たんだ。それで、暁に協力して欲しくて」
「俺に出来ることなら何でもするよ」
 暁がそう答えた時、ウィンが雄飛の名前を呼んだ。その視線がテレビに向かっている。会話を中断して全員でテレビを見ると、ニュースが始まったところだった。
『――飲料メーカーなど、多数の会社を経営するYSグループの代表が今期での退任を表明しました。次の代表候補には、現代表の甥にあたる八代飛鳥氏を指名しており、来月の株主総会にて選任決議が行われる予定です。すでに多くのプロジェクトに携わっており、SNSなどでも話題の八代飛鳥氏は――』
 画面には名前のテロップとともに、鼻梁の整った青年の写真が表示されている。
 2分ほど報じてニュースは別の内容に変わってしまったが、雄飛とウィンのただならぬ様子に暁は気が付いたようだった。
「2人とも……どうしたの? このニュースが何か関係してる?」
「暁。この八代飛鳥って人、最近有名なのか?」
「あぁ……、確かによく名前を見るようになったよ。この前もビジネス系の番組で特集組まれてて、出演してたような」
「年齢は?」
「えっと、29歳って書いてあるね。あ、しかもこの人、高校の途中までは惺城学院にいたらしいよ。俺達の先輩なんだね」
 スマートフォンを操作しながら、暁がそう答える。雄飛は暁からそのスマートフォンを借りて、ウィンと一緒に覗き込んだ。
 年齢も経歴も、グレイから聞いていた話と一致する。
「今のニュースをグレイが見る可能性は?」
「あると思う。グレイさんがまだ渋谷にいるなら、交差点のLEDビジョンか何かでニュースを目にするはずだ。……目的がこの飛鳥さんなら、会いに行こうとするかも」
「だろうな。だがそう簡単に会えそうな男じゃないぞ。グレイなら、どこかで準備をしてからアスカを狙うはず。……あいつの話に出てきた店やらホストがいそうな街、わかるか?」
「あぁ。多分、新宿だ」
「なら、まずはそこへ行こう」
 話し終えると、暁と高城が呆然としながらこちらを見ていた。しかし、暁だけはすぐに我に返り「警察みたいな仕事してるって本当だったんだね」と呟いた。
 そして財布を取り出し、中に入っていた数枚のお札を全て雄飛に手渡した。
「まずはこれも必要でしょ?」
「暁……」
「あげるって言っても雄飛は聞かないだろうから。いつか返してくれればいいよ」
 日本円だ。これだけあれば数日は生活出来る。雄飛はそれを丁寧に2つ折りにして、暁の手を握った。
「ありがとう。本当に助かるよ」
「どういたしまして」
「俺からも礼を。借りは必ず返す。それと……もう1つ調べてほしいことがあるんだが、いいか?」
「勿論です」
 暁はスマートフォンではなく、ノートPCをテーブルの上に出して開いた。画面が大きい分、皆で見やすい。
「日本にも、警役所――いや、警察が行方不明者を公開しているページはあるか?」
「探してみますね。場所は……」
「都内だ」
 ウィンを引き継いで、雄飛がそう答えた。暁が検索すると、警視庁の行方不明者公開のページがヒットした。スクロールしていくと、十数人の名前が連なる下の方に、目的の名前があった。
 “五十嵐 博明”。担当警察署の連絡先も書いてある。
「掲載されている中では一番古い行方不明者だな……。9年前だ」
「新宿南警察署が担当だ」
 ここに、グレイの話に出てきた“美島警部”もいるかもしれない。雄飛とウィンは視線でそう会話をして、立ち上がった。
 やるべきことが決まったなら、すぐに行動を起こすほうがいい。
「あ、あの」
 立ち上がった2人を見て、それまでずっと黙っていた高城が声を上げた。
「新宿に行くなら、送っていきましょうか?」
「…………」
 確かに、高城はあの大きな車の持ち主だ。電車代も浮かせられる。だが、雄飛は首を横に振った。
「ありがとう。でも、これ以上は巻き込めない。何があるか本当にわからないんだ」
「……で、でも」
「気持ちだけ受け取っておくよ。暁のこと、よろしくな」
「…………」
 高城は無言で頷いた。暁はそんな恋人を一瞥してから、雄飛に向き直った。
「雄飛。詳しいことはわからないけど、何かあったらいつでも言って。こっちでは、俺くらいしか“知ってる”人はいないんでしょ?」
「あぁ。……ありがとう、暁。落ち着いたら、またちゃんとお礼をしに来るよ」
「……うん。ウィンさんも腕を怪我しているみたいだし、あまり無茶はしないようにね」
「肝に銘じる。慌ただしい訪問になって、ごめんな」
「どうして謝るのさ。俺は嬉しかったよ。2人に会えて」
 最後に軽く抱擁を交わして、玄関に向かう。
 アパートでは1時間も過ごしていないが、収穫は多かった。“五十嵐博明”を知る人物を探すことが出来れば、グレイにもたどり着くはずだ。
 
 雄飛とウィンが手を振って去っていったあと、高城は肩に入っていた力を抜いて暁の体に抱きついた。
「黒崎先輩って海外で何の仕事してるんですか? FBIとか……?」
「うーん、FBIではないけど、似たようなものなのかな……」
「……聞きたいことはたくさんあるんですけど、その様子じゃ教えてくれなさそうすね。暁さん」
「ごめんね。でも、話せる日はきっと来るよ」
 暁がそう答えると、高城は悲しむでもなく「極秘ってやつですね」と何故か興奮気味に頷いている。
「それにしても、さっき話題になった八代飛鳥って人ですけど……、どことなく目元が黒崎先輩に似てましたね」
「あ、省吾もそう思った? そっくりってわけじゃないけど、パーツが似てるよね」
 暁は高城とリビングに戻りつつ、部屋の隅に放置されていたビニール袋を手に取った。15センチほどの小箱とペットボトルの飲料水が入っている。
「雄飛に見られなくて良かったぁ、これ」
「……あっ」
 高城はハッとしたように顔を赤くして、すみませんと頭を下げた。大型犬が耳を垂らしているような姿に、暁は苦笑を浮かべて中身を取り出す。新品の箱のパッケージを爪の先で破り、連なって入っている中身の1つを切り取って、口元に当てた。
「それとも、これも雄飛達におすそ分けすれば良かったかな」
「もう……暁さんてば」
 頬を赤くしたままの高城がそれを奪い、すぐそばの壁に暁を押し付けた。呆れた声を出しておきながら、身体の大きな恋人の下半身はもう熱を持ち始めている。
 暁は可笑しそうに笑いをこぼし、高城の頬を両手で包んでキスをした。雄飛と再会したせいか高校生の時の初めてのキスを思い出して、どこか新鮮な味がした。
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