長編小説

□深縹の戦旗【下】
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(どうなってるんだ……!? 魔力の消耗どころか、息をするのさえ辛い……!)
 ドッと汗が噴き出している。不可解な疲労のせいでもあるが、グレイに対する不信感からの冷や汗でもあった。
 グレイは本当に負ける気があるのだろうか? 協力してくれるつもりがあるのだろうか?
 途端にそんな不安に襲われる。
「君の魔力は、試合が始まってから徐々に腕輪によって制限されているんだ」
「……!」
「今は大体半分くらいか。それなのに君はそれに抗うように最大限の魔力を放出しようとしているから、身体がそれに追いつけていないんだ」
 どうして、そんなことが起こっているのだろう。そしてグレイは、何故それを知っているのだろうか。
「心配しなくても大丈夫だ。すぐに――……」
 グレイの囁きが遠くなる。これでは負けてしまう。
 雄飛は飛びそうになる意識を手放すまいと、唇を噛んだ。だが、力が入らない。
(これじゃあ試合をやってきた意味がなくなる……!)
 その時、金属の響きあうような高音が耳の奥に響いた。そして雄飛を雁字搦めにしていたグレイの魔力が引きちぎられ、強い力で彼から引き剥がされる。
 葡萄酒のような赤い魔力が炎のように巻き上がり、グレイはそれに焼かれまいと舌打ちをして後ろに飛び退いた。
「大丈夫か、雄飛」
「……!」
 後ろから聞こえた声に、何度も頷く。振り向いて見上げると、アメジストの瞳が自分を見下ろしていた。
(ウィン……!)
 いつもの病院着ではなくシャツを軽く羽織っているだけのウィンだが、腰の装備はしっかりと揃っていた。病院を抜け出したのか?どうしてここにいるのか、と疑問を言葉に出来ないのがもどかしい。
 だがウィンは、すぐに視線をグレイに戻した。睨みつけるような鋭い視線には、ここ最近育みつつあった友情のひと欠片もない。
「ウィン。まだ退院は先のはずじゃないのか?」
「――グレイ」
「せっかく良い感じに観客を引きつけて……、後は雄飛君が俺の不意をついて反撃すれば、俺は負けるはずだったのに」
「嘘をつくな」
 嘘? 雄飛はウィンを見上げた。グレイの拘束から逃れ、印も消したおかげか体力は急速に回復している。だが、この状況についていけなかった。
「お前は、商店の息子なんかじゃない。俺達がこの街に来た目的そのもの――、ハイオンの幹部なんだろ」
「……!?」
「いい奴のふりをして、俺達を騙すのはさぞ楽しかっただろうな」
 雄飛はグレイを見た。グレイは特に動揺する素振りもなく、ただ魔力を纏わせたままそこに立っている。
 ウィンは雄飛から右手を離すと、腰の銃を抜き取った。その銃口が真っ直ぐにグレイの頭に向けられる。ガードの外側の観客席がざわついているのが聞こえてきたが、2人はお構いなしだ。
「……知られるのは時間の問題だとは思っていたが」
 グレイがそう口を開いた。
「今このタイミングか。まさにうってつけだな」
「お前の目的は不明だが、組織の幹部だと分かった以上、放っておくわけにはいかない」
「別に隠していたわけじゃないから、教えるよ。俺の目的は雄飛君だ。……いや、雄飛君の魔力と言ったほうが正しいのか? 君の“道を渡る力”だ」
「……!」
 ウィンと雄飛がその言葉に瞠目したのと同時に、グレイが「時間だ」と呟いた。
 その途端、消したはずの雄飛の印が足元に現れ、会場中に拡がっていく。雄飛は慌てて消そうとしたが、制御ができない。
「グレイ、どういうことだ……!」
「この会場は、巨大な実験場なんだ」
 印は全てを飲み込むように拡大すると、グレイの意思に従うようにして光を増した。そのせいで観客席を守っていたガードにヒビが入り始め、異変を感じ取った観客達が蜘蛛の子を散らしたように一斉に逃げ始める。
 巨大な魔力が会場を揺らす。雄飛は、これが自分の魔力だけの力ではないと周囲を見回しながら思った。
 核は自分の魔力だが、それがグレイと、会場の何らかの仕掛けによって何倍にも増幅されている。ウィンの魔力でさえもそれに飲み込まれて、赤い光がかき消されるのだ。
 そして星の広がる上空に、渦巻くような魔力の道が現れ始めた。積乱雲が拡がるかのように、それはどんどんと大きさを増していく。
「――!!」
 雄飛はそれを見上げ、息を飲み込んだ。
 ウィンも同様だ。空を見上げて、雄飛の肩を引き寄せる。
(あれは……道だ。どうして……!)
 2人には見覚えのある、異空間への“道”。そしてラクセルに見せられた、ヘベルの上空に現れたものとも瓜二つだった。だが、今の方が圧倒的に範囲が広い。
「さぁ、道が開いたぞ」
 グレイがそう言った。風が巻き起こり、上空の“道”のせいで荒れ始めた空からは、雷鳴さえ聞こえてくる。なのに、グレイのその言葉は驚くほど鮮明に雄飛の耳に届いた。
「一緒に帰ろう、日本へ」
 ウィンの手に、力が入ったのがわかった。雄飛はウィンの服を掴み、首を横に振る。
 (俺に、帰る資格は……!)
 無い。
 だが、家族と友人の顔が脳裏に浮かんで、雄飛は表情を歪ませた。


 その時、ジェドはいつものようにゲームバーにいたが、通行人が空を見上げていることに気が付いて、外に出た。そして同じように上空の渦を見て、「マジかよ」と呟いた。異質な空は、まるで世界の終わりのようだ。
 絶句したのは、リゼも同様だった。囚われの身ではあるが、出入りの許された図書館の窓から“道”を見て、紅の瞳を揺らした。
「あれは……! まさか、雄飛か!?」
 思わず身を乗り出すと、腕に巻かれた魔具がリゼの行動を制限するように光を灯した。
 崖の上に建てられたこの館からは飛び降りようもないが、忌々しいその魔具に舌打ちをする。
 そしてリゼは、広げていた本をそのままに図書館を飛び出した。
 街中も異常な空模様に混乱が広がり始めていた。通信機やタブレットで写真を撮る若者も多かったが、美しい星空が真っ暗な闇に変わり始め、雷鳴が轟き始めた頃には、皆逃げるように大会の敷地から離れていた。
 ラクセルはその様子をオスカーと共にホテルのベランダから見つめていた。
 雄飛とウィンの通信機には先程から何度も電話をかけているが、2人とも出る気配がない。役に立たない通信機を片手に持ったまま、空を見上げるしかできない。
 不安が現実になったかのようだ。オスカーは珍しく真顔で、ラクセルの背後から街の様子を眺めている。
 サンデリアンホテルの最上階では、混乱する会場内を映したままのモニター映像を目にしながら、ルサールカが震えていた。
 もちろん、その震えは異常な状況に対しての恐怖なんかではない。
 身体中の血管という血管が切れそうな程の怒りが彼女を襲っている。手にしたワイングラスは握力で割れ、赤い液体が血のように彼女の手や絨毯を濡らしていた。
「なんてこと……!」
 彼女の夜空のような黒い瞳には、言葉を発せずにもどかしそうに喉に触れる雄飛と、光の中で佇むグレイが映っている。
「無能な男共が……私の大事な人形に、余計なことを!」


 嵐のような轟音が響き、身体を圧迫するような感覚が続く。
 息をするのも難しい、深海の中のような暗くて重い空間。
 目を開けていられずに、ただ為すがままに流される。
 それは実際にはほんの数秒の間の出来事だが、この奇妙な移動の感覚は、抜け出たあともしばらく身体に残っている。

 やがて吐き出されるように空気中に投げ出されて、抗えないままだった雄飛は息を吸い込んだ。
「――っ」
 ガヤガヤと賑わう人々の声。タイヤの音。
「……雄飛」
 そう呼ばれて隣を見ると、ウィンが動揺を隠せないといった表情で雄飛を見ていた。
 信号機が青になり、2人の近くにいた人々が一斉に交差点を渡り出す。後ろから来た通行人に肩をぶつけられ思わずよろめいた雄飛を、ウィンが右腕で支えて引き寄せた。
 ウィンが一緒にいるという事実には大分安心した雄飛だが、それ以上に、驚きの方が優っていて上手く状況が飲み込めない。
 背後からは駅の改札機の音が聞こえ、目の前の商業ビルには巨大なモニターがついている。そのモニターの下にあるカフェのロゴは、よく知っているものだ。
(……嘘だ、……嘘だ!)
 雄飛はあまりにも見慣れた光景に、目眩を覚えた。
 
 ここは、東京。
 夜の渋谷、スクランブル交差点だった。
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