長編小説

□深縹の戦旗【下】
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* * * * * * * *


 黒の試合会場の盛況度合いは、ここ最近の試合で一番だった。
 大穴で人気となった雄飛と、以前から好成績で元々人気の高かったグレイの準々決勝だ。
 試合の始まりとともに客席に張られたガードのおかげか歓声がほんの僅かに遠のき、正面に立ったグレイが苦笑を浮かべながら一歩雄飛に近づいた。
「これでやっと会話ができそうだ。――声のことはウィンに聞いてる。大丈夫なのか?」
 そう問われ、雄飛は頷いた。
「そうか。実は、君と試合ができるのは純粋に楽しみだったんだ。……ある程度まで戦ったら棄権はするつもりだけど、観客に怪しまれないよう、途中まではそれなりに本気でいく。それでも本当に平気か?」
 選手の姿は空中からカメラが追っている。口の動きを撮られないよう、グレイはカメラが背後にいるうちにそう言った。
 雄飛は「はい」と、声を出さずに唇だけを動かした。それを見たグレイは目を細め、その身に魔力を纏わせる。純白の光はダイヤモンドダストのように煌めいていて、黒い試合会場ではよく映えそうだな、と雄飛は思った。
(……≪豹牙≫)
 雄飛は自分も幻術を繰り出し、青い豹を呼び出す。雄飛の隣に寄り添った豹牙はじっとグレイを見据えている。
 これまでのグレイの試合を雄飛は何度も見た。いくら結果が決まっているといっても、雄飛だって彼との試合は楽しみだったのだ。
 グレイはあまり動かない。何か圧倒的な魔力によって、知らずのうちに相手を制してしまう。戦った相手は自分の魔力を上手く発揮できずに、気付いたら負けていたと話す。ならば彼の幻術は相手の魔力に干渉する技なのだろう。まずは豹牙で仕掛け、相手の幻術がどの程度の物かを身を持って知らなければならない。
 雄飛は自分の足元に印を出現させ、青い魔力で自らの周辺を覆った。真っ青な光はグレイの細かな白い光に反射して、まるでイルミネーションのように綺麗だ。
 雄飛の印の中で力が増幅した豹牙はさらに巨大化し、グレイに向かって走り出す。その琥珀の瞳を真正面から受けつつ、グレイが小さく呟いた。
「――≪白盾≫」
 その途端、グレイの周りを漂っていた細かな魔力の光が消え、彼に牙を向いていた豹牙の動きが止まった。その違和感は雄飛にもすぐに伝わってきた。
 豹牙が動けない。雄飛がどんなに魔力を込めても、命じても、豹牙の時が止まったかのようにピクリとも動かせないのだ。
(“ハクジュン”って聞こえた。それがグレイさんの技か。グレイさんは日本生まれなのに、どうしてこんなに強い幻術が使えるんだ?)
 そう考えながらも、一旦豹牙を消す。無闇に魔力を放っても、あの技で止められてしまう。
「君の獣は、俺の術からしたら格好の獲物だ」
 グレイがそう言って、腰から一本のナイフを取り出した。
「姿のある魔力は的にしやすいからね。……さぁ、どうする?」
「――……」
 雄飛は自分もナイフを取り出した。胸の前で構えると、グレイは長い脚で一歩を踏み出し、あっという間に間合いに入ってくる。
 雄飛はグレイからの一撃目を避け、地面に両手をついた勢いで片足で蹴り上げた。だが当然それも避けられる。逆に足首を掴まれそうになったので、両手をバネにして一回転し、距離を取った。
「身軽だ」
 そう言われる間に、手にしたナイフを投げつけた。それを避けられることは想定済みなので、その一瞬の隙に間合いに入り、素手でグレイの喉元を狙う。ここは急所の一つだ。加減すればまず死ぬことはないが、激痛が襲う。
 グレイはその雄飛の拳を手の平で逸らし、もう片方の手で間髪入れずにみぞおちを狙ってきた。それを身体をひねって回避し、豹牙を出現させて反対側からグレイを狙う。
 しかしまたも豹牙は動かなくなり、雄飛は瞠目した。
(豹牙が身動きできないってことは……無力化されてるのか? ハレーのように狙った場所の魔力に干渉出来るんだとしたら、確かにグレイさんが言うとおり、豹牙は格好の的だ)
 対策を考えなくてはならないが、少しでも気を逸らすとすぐに重い拳や蹴りが向かってくる。さすがは高校生時代から夜の街で用心棒をしていただけはある。グレイの体術は隙がなく、一撃の威力が強い。身長の違いもあって雄飛とは攻撃にリーチの差もある。
(接近戦だと不利だ。俺の攻撃を止められて、すぐに返しが来る。……グレイさんの拳も蹴りも範囲が俺より広いし、避け続けていたら体力が削られる)
 豹牙をあえて狙わせて、彼の幻術の弱点を探る方が有効かもしれない。
 雄飛は再びグレイと距離を取り、印の中に戻った。直径2メートルほどの小さな印だが、体力を回復させるには効率がいいのだ。その中から豹牙を10頭に分散させ、方々からグレイを狙わせた。満ち満ちた自分の魔力の中で、小さな豹牙達に細かく命令を下す。その通りに素早く動く青い豹は、しかし数秒のうちにグレイの魔力に絡め取られ、動かなくなった。
(ダメか……! でも、これで少し分かったかもしれない)
 豹牙は無力化されているのではない。姿は10頭とも残っているし、豹牙に込めた魔力はその場に存在している。
 だが、雄飛からの命令を受け取ることが出来ていないのだ。
 つまり、豹牙を具現化するたびに、雄飛と豹牙の魔力での繋がりを分断されてしまっている。司令塔を失った軍隊が動けないように、雄飛という主から切り離された豹牙は動けない。魔力の供給も絶たれるので、ある程度自考して動けるはずの豹牙でも、自分の姿を保つのに精一杯になってしまうのだ。
(他の選手は、これを直接受けていたのか。だから自分の魔力を上手く発動できずに負けていた。グレイさんが俺ではなく豹牙にしかこの幻術を使わないのは、協力してくれているからだ。この人が本気を出したら、俺に≪白盾≫を直接発動して、すぐに無力化させられていたかも)
 雄飛は豹牙を消し、再び自分の傍へ呼び戻した。一度豹牙を消せばグレイの技も無効化されるという事も、これで確実になった。
「さすがだ。もう気が付いたのか」
「…………」
「でも君の幻術は、青い獣を出して共闘する以外に無いだろう? 攻撃魔力を発動しても、俺のこの技で無力化出来るしな」
(……その通りだ)
 会話が出来ない雄飛は、心の中で頷いた。自分の幻術とグレイの幻術は相性が悪い。こういうタイプには、ラクセルの持つ魔力を無効化する技か、リュオンのような万物の流れを支配してしまうような圧倒的な空間干渉の技が向いている。
(でも、手が無い訳じゃない)
 雄飛は両足にぐっと力を込め、地面に描いた印を更に大きく拡げた。巨大な印は描くのも維持するのも魔力の消耗が激しいため、本来は長期戦には向かない。例えば先日のローベルト戦のように、各要点に魔力を込めて支柱とし、その柱に沿って描くほうが楽なのだ。
 しかし今日は長期戦にはならない、という前提がある。だから雄飛は使える最大限の魔力を印に込めて、会場中を青い光の中に閉じ込めた。グレイのダイヤモンドダストが、雄飛の魔力に抑え込まれて光を弱める。
 グレイは真っ青な光の中で驚いたような表情を浮かべたあと、抑えきれない興奮の色をその瞳に宿した。
 そんなに楽しいのだろうか?と雄飛が純粋にそう疑問に思った瞬間、雄飛の印が青から白に変わる。
「!?」
 これはグレイの魔力だ。何故自分の印からグレイの魔力が溢れ出しているのだろうか。
 雄飛が見せた一瞬の動揺を見逃さず、グレイは縄のように伸ばした魔力で雄飛を絡めとり、自分に引き寄せた。
「こんなに巨大な印は見たことがない。君は本当に大きな魔力を宿しているんだな」
「…………っ」
「これなら、“成功”するかもしれないぞ」
 成功?と視線で問う。だがグレイは笑みをたたえるだけで答えない。グレイは引き寄せた雄飛の右手首を掴み、もう片方の手で腰を抱いた。そのせいで抱きしめられるような格好になる。
 青い印は中心部からどんどんと白く変わり、黒い会場内は青と白のまだらでオーロラのようになっている。だが、観客達はその幻想的な光よりも、モニターに映っている2人のただならぬ様子に見入っていた。
 雄飛が抵抗し、白く塗り替えられようとしていた印が途中で青い色を取り戻していく。だが、力が拮抗しているのか、2色の魔力が増えたり減ったりして、一向に定まらない。
 やがて、雄飛は自分の体力がどんどんと減っている事に気が付いた。長距離を走ったかのように心臓が早鐘のように打ち、息が乱れてくる。
「……辛い思いをさせてすまないな」
 グレイが耳元でそう呟いた。立っていられなくなった雄飛がされるがままに寄りかかると、腰を抱く手に力が入ったのが分かった。
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