長編小説

□深縹の戦旗【下】
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■第21話

「セインレヴァリア?」
 雄飛の怪訝な声が、重い空気の中を漂った。
 朝の食堂。翡翠以外の面々がテーブルを囲んでいる。
 ウィンからリーが行方不明になったと聞いて、雄飛はすぐにリュオンとキアを呼びに行った。セスも起こそうと思ったのだが、彼はその時間にはもう着替えて、食堂で通信機を見ながら主人達が下りてくるのを待っていた。“元空き巣犯”とは思えない生真面目さに雄飛は違和感を持ったが、今はそんな事を気にしている場合ではない。
 揃ってすぐに、ウィンは電話で聞いた内容を説明しはじめ、そして雄飛は疑問の声を上げたのだ。
「あぁ。リーはそこに行くと隊のメールに書いて消えたらしい。何か策略を感じるから先に調べてくる……ってな」
「それが何でセインレヴァリア? 第1部隊に視察の話が出ていたってのは理解できるけど、遠すぎないか? 兄ちゃんの領地があるレージェンよりももっとずっと北だろ?」
 雄飛は兄を見た。リュオンは険しい表情で腕を組んでいる。
「あぁ。雪しかないエイラーンの最北端だ。……数か月前に俺とウィンが視察の話を聞いた時は、まだ企画段階だった。まさか本当に決行されるとは思っていなかったんだがな」
「電話をくれたイグニスの話では、リーだけでなく第1部隊全員が視察先に疑問を持っていたようです。幻討隊や他の警役所の第1部隊の視察先と違って、うちの第1だけやけに辺境だ。警役所の無い、青年団のみの街に機動隊が行く意味は無い」
「だからリーは怪しんで、策略を感じる……って書いたのか?」
 イグニスは、リーと共に第2機動隊から第1機動隊へ異動した先輩隊員だ。
 3日前にリーが帰宅する際に会話を交わしていたようだが、それが最後の目撃になったらしい。翌日はリーは非番、そして昨日は夜勤担当だった。だが出勤時間になっても姿を見せず、連絡も取れない。無断欠勤なんてするはずがないと怪しんだイグニスや仲間のもとに、件のメールが届いたのはその頃だ。
「本当にリーが送ったメールならな。だが納得できない。あいつは……こんな風に仲間を不安にさせるような行動はしない」
「そうだな……」
 ウィンの言葉に雄飛も頷いた。むしろ、そんな突拍子も無いことをするような隊員が居たら、止める側になる男だ。
「セインレヴァリアに行くなら、ラキアの中央駅からレージェンに向かう長距離列車にまず乗る必要がある。イグニスには駅のカメラを確認するように言ったが……」
 ウィンがそう口にしたタイミングで、彼の通信機が鳴った。画面を見て「イグニスです」とリュオンの方を見て言う。
 リュオンが頷くと、ウィンはスピーカーにして通話ボタンを押した。イグニスはウィンの応答を待たずに、すぐにこう言った。
『ウィン隊長。あいつ、カメラに映ってました。昨晩の22時過ぎの最終列車です』
「レージェン行きか?」
『はい。荷物を持って……電車に乗り込むところも』
「……」
 4人は顔を見合わせた。こうなれば、“行方不明”ではない。
 夜勤の出勤時間は21時。その時間に出勤せず、22時過ぎの最終電車に乗っている。時間的にもイグニスの説明と相違は無い。
「じゃあ、リーはメールの通り自発的に行ったのか? リーが行ったって、視察先は変わらない。そんなのあいつが一番よくわかってるはずだ」
「あぁ、何か変だな……」
 雄飛とウィンが眉根を寄せていると、リュオンが口を開いた。
「イグニス二等尉、ローランだ」
『ローラン公爵。いらっしゃったんですね……! お疲れ様です』
「久しぶりだな。今の件だが、俺の家の者に列車到着後の動きを探らせておく。担当者の名前は君に伝えればいいな」
『……ありがとうございます。それで問題ありません』
 ウィンと話すより少し緊張した口調のイグニスが答える。リュオンがキアを見ると、キアが頷いて席を立った。
 昨晩ラキアを発った最終列車に乗ったのなら、今日の昼にはレージェンに到着するはずだ。『俺とヴィオレットで後を追おうと思っています』とイグニスが言った。
 ヴィオレットも同じく、元第2機動隊で雄飛の後輩だ。
「大丈夫なのか?」
『マッケン隊長にはすでに許可を貰ってます。ヴィオレットに準備をさせてますんで、それが終わり次第。鉄道会社にも連絡を入れて、乗客名簿を確認します』
 イグニスは普段の下町育ちの飄々とした雰囲気を消して、真面目に応答している。そのイグニスの背後で、「お前ら」という厳しい声が聞こえた。第1機動隊の隊長、マッケンの声だ。
『ミュラーが消えた』
『え!?』
 イグニスの驚いた声も耳に届く。そしてそれは雄飛達も同様だった。
 カイ=ミュラーは、ウィンの通報で2日前に中央警役所の地下へ拘置されていたはずだ。
「イグニス、お前もスピーカーにしてくれ」
『はい』
 ウィンが身を乗り出しながらそう言うと、イグニスの僅かに慌てたような返事の後、向こう側のざわめきがより鮮明になった。
「マッケン隊長」
『あぁ、アルヴァーヘル隊長か。聞いていたな? 地下はもぬけの殻だ。今、総動員で行方を捜している』
「監視室の奴らは?」
『何の異変も無かったって言ってるが、どうだか……。ベルトールの件は予定通り2人を向かわせる。潜入中に悪いが、連絡は取れるようにしていてくれ』
「勿論です」
『……と、とにかく俺もまた連絡します。すみませんがローラン公爵も、よろしくお願いします』
「わかった」
『じゃあ、ウィン隊長』
「あぁ。気をつけろよ」
 ウィンの固い声を最後に、通話が切れる。テーブルに置いていた通信機の画面が暗くなり、食堂には緊迫した空気が流れた。ウィンは拳を握ったまま、自分の通信機を見つめている。
「何かあったんですか」
 部下との会話を終えて戻ってきたキアがその空気に気付く。リュオンが一言「ミュラーが逃げた」と言うと、キアは驚きの表情を浮かべた。
「ミュラーはゼウス裏司令部の人間だったな。こっちへ向かっているかもしれん」
「伝えます」
 キアはまた部屋を出て行った。リュオンは数名の部下をゼウスに連れてきている。その部下達に共有するのだろう。
「……中央警役所の地下拘留室は、そうそう簡単には抜け出せない。幻術が使えないように魔力封じの手錠もつけているし、ミュラーの幻術はそこまで高度なものじゃなかったはずだ」
「その情報が正しければな」
 ウィンの独り言のような言葉に、リュオンが続けた。
「ミュラーはラキアに潜り込んでいた。彼の個人情報は嘘だらけだと思った方がいい。生年月日はもちろん、幻術も、名前も」
「…………」
「それに、中央警役所に入り込んでいるのが奴だけってこともないだろう。協力者がいれば、拘留室から出るなんて朝飯前だろうさ」
 内通者の件か――。
 雄飛は眉根を寄せた。ゼウス裏司令部の人間が、いとも簡単に第3機動隊の隊長として入り込んでいた。ミュラーは“シャウラ中央警役所からの出向である”と、誰も疑っていないかったのだ。
 他にも内通者がいるのなら、見つけ出すのは至難の業だろう。
「ミュラーの件で、今回ラキアに他の街から“出向”してきたメンバーは、皆疑われるだろうな」
 雄飛が言うと、リュオンもウィンも頷いた。
「だろうな。もともとラキアにいた職員や隊員より、内通者である可能性が高いのは当然だ」
「互いに疑心暗鬼になる。あまりよろしくない状況だな。まったく、次から次へと問題が起こる……」
 リュオンが眼鏡を外し、気だるげに前髪をかきあげた。そして「リーの件は」と、ウィンに向けて言った。
「第2もレージェンに行った方がいいんじゃないか。レティア嬢はリーと同期だろう。気が気じゃないはずだが」
「でしょうね。でもレティアはアレックスのいる病院にも通っていると聞いていますから、今はラキアに残した方がいいでしょう。イグニスとヴィオレット2人でも十分やれます」
「そうか」
「えぇ。……それと、昨晩アンバルから連絡があったんです」
 ウィンは、キアが食堂に戻ってきたのを見計らって話題を変えた。
「サルマから連絡があったと。今晩、雄飛と2人でサルマに会ってきます」
「リゼの件ですか……!?」
 キアは通信機をしまわないまま、足早にテーブルに近づいてきた。雄飛が「多分そうだと思う」と答えると、キアはぐっと唇を噛むような表情を浮かべる。
「俺も行っては駄目でしょうか」
「場所が大会の敷地内なんです。出来れば、場内を知っている雄飛と2人で忍び込みたいと思っています。キアさんの気持ちはわかりますが……」
「……いえ、そういうことならお任せします」
「やっとサルマさんに会えるんだ。ちゃんとリゼの事は聞いてくるから、安心して」
「はい」
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