長編小説
□Perfect Partner Final
2ページ/182ページ
■39
砕け落ちた手枷の破片が、まるで液体のように融合してブクブクと床に沈んでいく。
キアはそれをチラリと視界に入れ、そっとリュオンから離れた。
まだ片方の腕は拘束されたままだが、いずれ外す事が出来るだろう。
「これが“尊き君”の……力か」
一時の間静寂に包まれていた最上階の広間だが、顔を上げたラダの呟きによって、その均衡は崩された。
少し傷はあるものの、本来の顔を取り戻したラダの姿がそこにある。
「……吸血鬼は回復力が強いってのは知っていたが……まさか、そう使うとはさすがに思わなかったぞ。グレンゼルツ」
「素晴らしい能力だろう。使わなければ勿体無いくらいに」
クレアードはうっすらとした笑みのままラダを眺めた。
ラダの顔は一族が襲われた夜に焼け爛れ、他人の前には晒せない程度になってしまっていたのだ。
だが今はどうだろう。
キアの血肉を体内に入れた途端、皮膚は元の色を取り戻し再生した。医術では限界だった、彼の喉も。
「良い顔じゃないか、ラダ」
「ありがとうございます、……旦那様」
今は淀み無く、その声を出しているのだ。
「……リュオン様」
「…………」
「リュオン様も俺の肉を口にしてください。気持ち悪いかもしれないけど、そうすればそのお腹の傷も……」
「本気で言っているのか、キア。俺はアイツらと同類になる気は無い」
「……でも、ラダの力がその中にある限り……」
「黙ってろ。いいか、グレンゼルツの目的が解らない今、お前は――」
言いながら、リュオンは何かに気付いたように語尾を弱めた。
それからジッとラダを見て、らしくなく藍色の瞳を揺らす。クレアードの方に視線を移して、背後にいるキアの服を掴んだ。
「リュオン様……?」
「……」
キアの呼び掛けに応えずに、リュオンは頭の中で綺麗にピースがはまっていくような感覚に陥っていた。
クレアードが雄飛を使って莫大な金を集めたこと。ウィンを騙してまで、彼を社交会に参加させたこと。
そして、キアの再生能力を使おうと――いや、使ってみせたこと。
ピースははまった。
だが、心がそれに追いつかない。
「考え過ぎだ」と、もう1人の自分が首を横に振っている。
「気付いたんだろう? リュオン=ローラン。それとも、リュオン=アレイスと呼んだ方がいいのかな」
「……そうだな。その名前の方が好きだ」
今更クレアードがシュウの事を知っていようといまいと、リュオンにとってはどうでも良い事だった。
義父に真実が漏れるのも時間の問題だろうし、もしかしたら既にグレッタが話したかもしれない。
「その聡明さがあるから、俺は貴殿が嫌いではないよ。ローラン公爵殿」
微笑を浮かべるクレアードは、わざと恭(うやうや)しい言葉でそう言って片手を揺らした。
そこに光るのは、先程も見せられた雄飛の指輪。
リュオンもそれに気付いたキアもクレアードを睨み付けたが、クレアードは知らぬふりをして指輪を眺めた。
藍色の魔石。
職人によって嵌め込まれた時にはただの石であったのだろうが、そこに込められた力によって不思議な力を宿すものとなっている。
この指輪本来の持ち主はそれには気付いてはいなかったのだろうが。
「……何故ここに落ちてきたのか」
「…………」
「何億といるエイラーンの人々の中で、どうしてあの2人が出会わなければならなかったのか。考えたことはあるか?」
「……さぁな。偶然というか、むしろ必然だったのかもしれないな」
「必然か。……ならば雄飛は、ウィンに懺悔するために現れたのだろう」
「……何?」
「死んだ父親の代わりに、責を負うために」
クレアードは細めた目でリュオンを見た。
冷えたその色の中に揺らぐ怒りに、リュオンは息を呑む。
「貴様もだ、ローラン公。……雄飛と同じ父を持つ咎、この場で晴らすがいい」
「…………!」
クレアードがそう言ったのと同時に、それまで黙って立っているだけだったラダが動いた。双剣を腰から抜き、一直線にリュオンへ向かう。
舌打ちをしながらリュオンもまた剣を構えた。
「リュオン様!」
ガキンッと重い音が響く。
キアが声を上げるのを聞きながら、リュオンは両脇から繰り出された剣撃を薙ぎ払うように防いだ。
だが同時に、ズクンと痛んだ腹に視界が揺らぐ。
その隙をついて再び向かってきたラダには、ほとんど勘で対抗した。
「…………っ」
キアは目の前で剣を振るうリュオンの様子に冷や汗を流し、未だ拘束されたままの右腕を睨む。
一体どうしたらこの状況を打破出来るだろう。
リュオンはクレアードの真の企みに気付いたようだった。自分の身体がその計画に必要不可欠であることは分かっている。
「……グレンゼルツ」
キアの声は静かだが、クレアードの元にしっかりと届いた。
目線だけで何かと問うたクレアードに、キアは自由な方の片手で自分の首元に爪を当てる。
「……ラダを今すぐに下がらせて、リュオン様の身体から魔力を抜くように命じて下さい。このままこの人を苦しめるようなら、俺は自らの手で命を絶ちます」
「…………」
「貴方は俺の身体が……再生能力が欲しいのでしょう?再生能力は生きた血肉にしか機能していません。俺が死ねば、貴方の野望も崩れるのではないですか?」
キンッと高い音がした。
黙ったままのクレアードの代わりに、ラダの剣を弾き飛ばしたリュオンが声を荒げる。
「お前は……さっきから勝手なことを……!」
「俺は本気です。いくら吸血鬼でも、首の半分でも切れば簡単に死ねるんですよ」
「キア!」
「元々、リュオン様が居なければとうに無くなっていた命です。それが10年近くも生き長らえたのですから……未練はありません」
ラダはチラリとクレアードを見た。
主からの命令は無い。
ならば攻撃を続けるのみだと猛烈に剣を振るう。腹が裂けているはずの人間は、それでも懲りずに応戦し続けていた。
キアもまたそれを見て、躊躇することなく左手の爪で自分の首に線を引く。
赤い線からは一気に血が溢れ出し、辺りに鉄の匂いを漂わせた。