長編小説

□深縹の戦旗【上】
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 ――エイラーン大国。
 大国地図を広げれば、そこが周りを海に囲まれた巨大な1つの大陸であることがわかる。
 大国内は大小さまざまな地区に分かれ、国民はそのひとつひとつを『街』と呼んではいる。が、一番小さな街でも広大な土地を有しているため、ほぼ『国』として認識されている。
 それぞれの街を大貴族や公的機関が統治し、街内は更に多くの地区に分かれ、総人口は数十億人に上る。
 そのエイラーン大国の中央に位置するのが、大都市街ラキアだ。

 ラキア西区にある迎賓館にはこの日、エイラーンの各街を統治する代表者が集まっていた。
 大国中の貴族を統治する第一等爵位である「公爵家」の当主12名に加え、貴族統治の無い地域の保安や管理をしている公的機関「アクタス」の代表者10名。ラキアを含む主要3都市の警役所指揮官3名の総勢25名である。
 豪奢ではあるが落ち着いた造りの巨大な会議室で、白亜の大理石製の円卓を囲う彼らの表情は一様に険しい。
 十数時間に及ぶ話し合いの末、出た結論。反対派も賛成派もいるが、この場にいる人物たちは皆平等の権利を有している。
 その為、その結論の遂行如何は、多数決で決められるというのが暗黙のルールとなっていた。
「では、それぞれの警役所はこの作戦に賛成という事でよろしいのね。目途のついている代表者の資料を見た限りでは確かに腕は立つようですし、我がサマセット家も異論はありません」
 口調は穏やかな、しかし威厳のある風貌を持った初老の女性がそう口を開いた。
 彼女が左胸に着けているブローチには、北西部を統治する公爵家の家紋が彫られている。
 彼女が口火を切ったのを良い事に、他の貴族の数人も同じように頷いた。
「我々も同様です。彼らに託すしかないでしょうな」
「キャンベル家も賛同いたします。少数ではありますが、我が領地内でも何名かの腕の立つ賞金稼ぎがいる。彼等にも別働隊として話を持ちかけてみましょう」
「……一概に賛成とは言い難いですが、しかし他に案も無い。我々アクタス各支部も賛成です。早々に手を打つべきだ。例の事件があったヘベル支部では、今もまだ混乱が続いていますし、人員の何割かをヘベルに割いています。……情けない話ですが、我々としてはこの件に関してはその道のプロに頼るしかないのです」
 同じ制服に身を包んだアクタス各支部の支部長たちは、神妙な顔でその言葉を肯定するように頷いている。
 16人の代表者が賛成をしたことで、立案されたとある作戦の遂行が決定したようなものだ。
 まだ首を縦に振っていない残る9家の公爵家は、考え込んだように眉間にしわを寄せている。
 その中で濃紺の正装に身を包んだ公爵家の当主が、低い声で賛成派に向けて口を開いた。
 銀の髪を持つ端正な顔立ちは、どこか剣呑な空気を纏っている。
「つまり、彼等を……危険を承知で敵地に放り込むというわけですか」
「仕方が無いでしょう。それが彼等の仕事だ。それに何より、フリーで活動している賞金稼ぎ達よりも統率の取れた行動に慣れている。秘密裏に行動したい我々にとっては、彼等こそ一番の適役だ」
 警役人の最高幹部である指揮官の制服に身を包んだ黒髪の男がそう答えた。
 ラキアに並ぶエイラーン南部の巨大都市、アルヘナのレッドガル指揮官だ。彼を含め、今この場にいる全ての代表者の手元には数枚の資料がある。
 その一部には顔写真付きの物があり、対象の人物の名前、生年月日から身体能力、性格に至るまで細かく記載されていた。
「我々も適任者を精査した結果、彼等に託そうという結論に至ったのですよ。それとも貴方は何か他の解決策をお持ちなのでしょうか? ローラン公爵殿」
「今一度、エイラーンの全警役人を対象に適任者を選ぶべきだと言っているんです。レッドガル指揮官殿。精査とはそういう物でしょう。特殊部隊を有する街は他にもあるのですから」
「貴方の言いたいことは分かりますよ。ですが、私やサウジー指揮官、シスタ指揮官も今までの彼等の活躍を見てきている。戦闘力、性格、仲間からの信頼。そう言ったものを全て鑑みた上で決めたのですから、例え全警役人を対象としても……結果は変わらないでしょうな。何よりそんな事をしている時間が無い事を、貴方もよく分かっているのでは?」
「…………」
 ローラン公爵、と呼ばれたリュオンが、珍しく言い淀む。
 普段は飄々としている彼のその姿に、やはりこの結果に動揺しているのだろうと、隣に座るもう1人の反対派貴族――クレアードは眉根を寄せた。
 公爵家の当主としては、この件に関して反対する理由は無い。しかしどうしても私情が「賛成」の一言を口にするのを邪魔してしまう。
 リュオンが黙ったことで、残りの侯爵家も賛成を唱え出した。
 これ以上考えても良策は出ない。ならばまずは行動に移すべきだと、そう思ったのだろう。
 ついにローランとグレンゼルツのみが反対派として残った時、手元の資料を目にしてクレアードは拳を握った。その様子を横目に見たリュオンもまた、内心で舌打ちをして瞼を下ろす。
 この場で2人が答えを出さずとも、結論は出てしまっているのだ。
「……わかりました。我がローラン家も賛成します。彼等には出来うる限りの援助をしましょう」
「グレンゼルツも同様に。支援は惜しみません」
「決まりですね」
 その言葉に、部屋の隅に控えていたそれぞれの代表者の従者が、印と用紙を持って彼等の前に置いた。
 代表者が直筆のサインと印を押すたびに、従者たちがそれを隣に回していく。
 やがてそれが一回りすると、従者達はまた隅に引き下がった。
25名分の名前と朱色の印がリュオンの藍色の瞳に映る。
「それではこれより特殊作戦を開始します。長い話し合い、お疲れ様でした。……エイラーンを守る為、力を尽くしましょう」
 ラキア警役所のサウジー指揮官が告げる。残る24名は頷き、サインされた用紙を手にして立ち上がった。
 リュオンとクレアードは最後に部屋を出た。
 別室に控えていたキアと、クレアードの妻であるイザベラが2人を見つけて心配そうに駆け寄ってくる。
 その顔を見た途端、昨晩から続いていた長い話し合いの疲れがどっと肩に伸し掛かってきたような気がして、リュオンは眼鏡を外して目頭を押さえた。
「リュオン様、結果はどうなりました」
「……嫌な予感が当たりやがった。腕が立つのも考えものだな」
「…………!」
 キアと共にそれを聞いたイザベラが、驚いたように夫の顔を見る。クレアードは何も言わずに彼女を見返して、小さく頷いた。
 日が差し込む廊下は、夫婦4人と連れてきた従者2人以外に誰も居ない。
 静けさに覆われた赤い絨毯の長い廊下からは、少し離れた場所に光を受ける中央警役所が見える。すぐ下には黒塗りの車が何台も並んでいて、先程まで同じ部屋にいた貴族やアクタスの代表者が乗り込むのが見えた。
「……エイラーンのために、か」
 最後のサウジーの口上を思い出す。国の為だと分かっていても、納得出来ない自分がいた。
 もう二度と危険な目にはあってほしくないと願っていたが、しかし彼等の仕事柄そうもいかないことを、実感させられてしまった。
 情けない、と自分を叱咤する。
「……決まってしまったものはしょうがない。とにかく、俺達には俺達にしか出来ないことをしましょう」
「クレアード」
「武器や通信機器。用意できるものは全てです。公爵家の俺にできることはそれくらいしかありませんから」
「……、そうだな」
 リュオンが、手にした資料を強く握る。
 署名用紙の影から視えた顔写真に、キアは目を細めたが、何事もありませんように、と密かに心の中で祈るしかできない。
 資料を握りつぶさんばかりのリュオンの手を解いてそっと触れる。
 義理の弟が心配なのは自分とて同じなのだ。
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