06/02の日記

12:21
少年法
---------------
未成年犯罪が後を絶たないどころか増加傾向にあるこの時代、果たして今迄の法律のままでエエのか?疑問だけが残る。
子供って云うても15歳位に成れば事の善し悪しは判断出来る年齢である。判った上で犯した罪に少年法を当てはめてエエんやろうか?
将来があるからとかよう云われるが、果たしてそやろか?
じゃあ19の若者に将来があるのに、1年しか変わらん20の若者に将来は無いのか?っちゅう事に成る。
線引きも理論も曖昧である。
仮に20の若者が下着泥棒を犯したとしよう。
捕まれば当然実名で報道されるし、それによって罪を償った後も社会復帰し辛い環境が待って居る。
一方で17歳の若者が殺人を犯したとする。
未成年っちゅう事だけで無闇に法を犯した加害者が法に護られ、実名で報道される事も無く、罪を償った後もホンマごく一部の人間以外知る事が無い為、違和感を感じる事無く社会へ溶け込めるやろう。
犯罪に大小を付けるつもりは無いが、余りにも理不尽な感じはせぇへんやろか?
下着泥棒も確かに犯罪やし許される事では無いが、人を殺すより遥かに罪的には軽い。
それは法の刑罰の重さでも立証済みである。
若者の将来を考えるっちゅうスタンスを取るならば、この場合17歳の殺人者より20歳の下着泥棒を取るべきなのだ。
未成年者やろうが犯罪者は犯罪者。
犯罪者を擁護する世の中であったり、法であっては成らんのである。
そいつの将来は周りが考える事では無い。
自分自身で考えるモノなのである。
その位の考えは判ってる筈やし、それによって被るいかなる結果にも甘んじて受けるのが筋やろう。
つまりは自業自得なのである。
自分の将来を活かすも殺すも自分次第。それは人間である以上、子供も大人も関係無い共通意識、共通理解で無ければ行けないのだ。
それを示す事が後々の未成年犯罪の抑止力にも繋がって来ると個人的には想うのである。

前へ

コメントを書く
日記を書き直す
この日記を削除

[戻る]



©フォレストページ