05/31の日記

19:29
監督
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監督の資質とフットボールの選手としての資質は全くの別物である。
フットボールの選手として現役時代華々しい活躍とタイトルを手にし続けた人物やからと云うて、現役引退後監督と成り現役時代同様に才能を発揮出来るとは限ら無い。
ジーコみたいに選手としては一流でも監督としては五流以下みたいな人物も居れば、フィリップ・トルシエやジョゼ・モウリーニョの様に選手としては無名でパッとせんかったモノの監督業で類い稀成るセンスを発揮する人物も居る。
またディディエ・デシャンやジョゼップ・グアルディオラの様に選手としても監督としても才能を発揮する人物も居る。
またその逆で岡田武史君や鈴木淳君の様に選手としても監督としてもカスな人物も居る。
様は選手としてのスキルと監督としてのスキルは同じフットボールに携わって居ても別物なのである。
それを判らんヤツは意外に多い。
選手は多少おつむが弱くても運動量があればカヴァー出来るが、監督はそう云う訳には行かない。逆にエエ学歴があればエエモンでも無い。
個人的に云わせたら、優れた選手に成るよりも優れた監督に成る方がずっとずっとハードルが高いのだ。
監督とはまさに選ばれし職業なのである。
監督はライセンスを取れば誰にでも成れる。
そう云う意味では間口は広い。
が、優秀な監督はライセンスを取れたから成れるモンでは無いし、選手の様に練習によって培われるモンでも無い。
選手よりも天性の才が必要…それが監督なのだ。個人的にはそう信じて疑わないのである。
同じ監督業をしてても人間性が出る。
ズボラな性格の監督は大雑把な采配、感覚的な指揮での仕事に成るし、神経質な監督は事細かく指示を出し、理論的に考える。
どちらがエエとか悪いとかでは無く、あくまでも人間性がそのまま監督業に反映されるっちゅう話しなのだ。
が、世の中で一般的に知将・名将と云われてる監督は後者の方が圧倒的に多いし、個人的にもそう想うし好きである。
監督とはピッチ上で具現化するプレイヤーでは無いから感覚はプレイヤー程要らないのである。
状況判断力はフットボールに関わって居る人間なら誰もが必要やろう。
が、監督の仕事はあくまでも具現化する選手達へのアドバイスが仕事であり、具現化そのモノでは無いのだ。
そこに感覚はそれ程必要無い。
それよりも緻密なデータ、過去の傾向とそれに対しての対策…要は統計学や理論的、効率的な考えが必要と成って来る筈なのだ。
それはピッチ上で状況判断しながら具現化する選手達よりも数倍の能力を必要とされるポジションなのかも知れない。
だから名選手=名監督と云う方程式はフットボールがこの世に存在し続ける限り、成立しないのである。

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