05/09の日記

11:13
水の都大阪
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大阪は数多くのキャチフレーズ?がある。
喰い倒れの街とか食の街、ひったくりの街…
その中でどうしてもワシが納得出来へんキャチフレーズがある。
それが水の都(街)大阪である。
確かに大阪市内だけ観ても街のありとあらゆるトコに河が流れ、街の中に水は共存してる。
が、だ。それとキャチフレーズにするのとは別である。
水があるから水の都とは短絡的な発想で、本来キャチフレーズを付けるなら、それがウリと成るモノをチョイスせなアカンのである。
残念ながら大阪の水はウリには成らん程、汚い。大阪人の多くはマナー無くゴミを平気で河に捨て、それを何とも想わない。
放ったゴミは河の中に溜まり、河は汚れヘドロ化して行き淀んで行く。
河を綺麗するっちゅう運動が盛んでも無いし、意識も低い。
仮に綺麗にしようと努力してる人達が居ったとしても、意識の無い人やゴミを平気で放るヤツ等の数多さに掻き消されるやろう。
つまり綺麗するより汚すスピードの方が勝ってまうのである。
こんなん(状況)なのに水の都を他地区に大々的にアピール、キャチフレーズにしてエエモンやろか?疑問が残るどころか、最初に付けたヤツのアホさに人としての失望すら覚える。
少なくとも、水が多いなら多いで、生活と水が密接してる街として、その水を綺麗する努力をその街の住民達が積極的に行い、綺麗な水が河として街に存在してこそ、キャチフレーズに付ける意味(意義)があると想うのだ。
ただ、たまたまある位でキャチフレーズとは…安易過ぎるのである。
そう云う基準で付け出したらキリが無く成るのでは?
発想がチープなのである。
水をウリにするなら、その水に対しての環境をもっと考えるべきで、行政も取り組まなアカン事が腐る程ある筈。
看板を掲げるなら、それに恥じない働き掛けは当たり前の事。
それが出来へんねやったら看板を降ろすべきである。
悲しいかな、マナーの悪さは日本一と云うてエエ大阪。
この根付いたマナーの悪さを変えるのは並大抵の努力で無い筈。
が、水の都を掲げてる以上やらなアカン事であるとワシは想うのだ。
掲げたら終わりやなく、掲げてからがホンマの勝負でありスタートなのだ。

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