05/01の日記

23:31
褒められて伸びるタイプ
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自分は褒められて伸びるタイプと云う人達を時々観掛けるが、はっきり云わせて貰うとそんなタイプ等無い、あり得無いのだ。
その人達がそう感じるのは褒められた事で調子に載って居るだけなのだ。決して伸び(成長)とは関係無い。
そんなん云うたらこの世の全ての人間が褒められて伸びるタイプに成ってまう。褒められて気分を害する人間等居てへんのやから。
個人的には怒られたり、間違いを指摘する相手あっての成長やと想うし、凹むのや嬉しいのはあくまでも個人的な感情であって成長とは無関係やと想う。
メンタルの弱い人間なら自分以外の誰かから怒られ凹んで能力を発揮出来へん事があると想う。がそれは成長(伸び)とは関係無い。
畏縮してるだけで成長とはまるでちゃうモンや。褒められて気分が悪い人間は居らんし、得てして人間っちゅうモンは褒められたら調子に載る生き物である。
それを成長と勘違いし、区別分析出来無い人間は自分の性質を語る資格も無いのである。何故なら自分自身の事すら判って無いのだから。
自分の殻を破る為、一皮剥ける為には叱ってくれる人間が必要である。
それは自分が感じる自分への評価と相手が感じる自分への評価の違いを比べる材料にも成り、自分では気付かんトコを気付いてくれる存在を意味してる。
仮に褒められて伸びるタイプがホンマに存在するとしたなら周りの人間は太鼓持ちか胡麻擂りにしか成れんっちゅう事に成るし、果たしてそれが人間の成長に影響するのか?
伸びる意味での成長には影響はせぇへんだろう。むしろ悪影響しか及ぼさん筈である。
伸びる(成長)と褒められるのは直接関与する事では無い。
やる気アップ位の効果はあるやろうが、成長とは努力と根性の先にあるモノで、褒められるのはあくまでも成長(結果)の先に対して出るモノである。
逆に過程に置ける褒められる行為によって、その人間が自ら成長を止めてしまう(サボる)心配の方が大きいと想うのである。
飴と鞭の比率の差はそれぞれあると想うが、人間の成長とは鞭が入ったその時から始まるのだとワシは信じて疑わ無いのだ。
飴(褒美)はあくまでもモチヴェイションを挙げるに過ぎ無い、実際の成長とは関与しないモノであると考えるのが妥当で、よって褒められて伸びるタイプ等存在せぇへんのである。

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