04/29の日記

17:46
虐待
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昨今、実の親が虐待するニュースが毎日の様に流れてるが、昔から比べたらやや過敏な反応過ぎると個人的にはどうしても想わざるを得ない。
確かに明らかに行き過ぎた行為、日常的なモノ等は虐待と認めてもエエやろうが、今の虐待に対する認識の線引きは余りにも曖昧で偏りがある様に感じる。
ゆとり教育、過保護な環境…幼少時の人格形成にとってエエ事とは想えん気がして成ら無いのだ。昔は実の親以外の大人達(近所のおっちゃん、おばちゃん、学校の先生、たまたまその場に居合わせた大人等)でも普通に怒ったし、手を上げられた。
悪い事をしたらどつかれるっちゅうのが、大人子供共通的な認識としてあったと想う。
ワシ自身も学校の先生に鼻血が出る迄どつかれた事もあったし、それが現在の社会の様に大々的に取り上げられる事も無かった。
今の虐待に対する社会の反応は少々大袈裟なのである。
しつけの一貫での叩く行為は時には必要やと個人的には想うし、云わゆる「愛の鞭」は子供の教育にとって必要不可欠な事やと想う。
確かに言葉だけで伝わったり、理解して貰えればそれに越した事は無いとは想うが、残念ながら子供っちゅうのはチョケる生き物である。
口で云うて理解出来る程大人でも無いし、やからこそ子供なのだ。
同じ過ちを口で云うても聴かず繰り返すなら、それなりの(状況、程度はあると想うが)対処は必要である。つまり口一辺倒なしつけ(教育)だけではアカンっちゅう事である。
虐待っちゅうのは行き過ぎた暴力行為であり、しつけで手を上げるのも含まれる現在のそれとは違う様な気がする。
こう云う過剰な反応、誤った判断は大人子供双方の為に成らん事やと想うし、過保護化に置かれてる子供達を我が儘にするだけの行為にしか成らんと個人的には想うのだ。今は学校の先生が生徒を廊下に立たせただけで体罰とか云われ、矢面に立たされ大人の威厳みたいなモンが保て無くなり、生徒にナメられっ放しな状況が続いて居る世の中だが、ワシとしては大人は何時の時代も怖い存在であって欲しいし、親は特に威厳を持ち続ける存在であって欲しいと想うてるのである。
今の過保護化で育った子供達が大人に成り親に成った時、より過保護化が進んでて家族の構成自体を根底から覆す様に成って無ければエエのだが…大人が大人である必要、子供が子供である必要、親と子の関係、教育っちゅう概念…全てが壊れて無ければエエのだが…
それだけが不安事項である。

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