02/23の日記

12:10
協調性
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以前、お前は協調性が無いと当時上司やった人に怒られた事がある。
確かに協調性は自分でも無いと想う。
が、彼の云う協調性とワシが想う協調性には同じ協調性でもかなりの差がある。
ワシは本来、協調性っちゅうモンは同じ意識、能力の人間の中で産まれるモンであると想うてる。つまり複数人が同じ目標の為、同じ努力同じ労力を掛けて産まれるモノこその協調性なのだ。
彼等の云うてる協調性とはただ周りの人間関係で波風を立て無い様に、顔色観合いながら馴れ合う事。
ワシが冒頭で云うた確かに協調性が自分でも無いと云うたのは、そう云う彼等の想う協調性はワシには持ち合わせて無いと云う意味での無いである。
協調性以前に同じ目的意識、向上心も無いヤツ等の集まりの中での協調性っちゅうのも、そもそもおかしな話しである。
元々バラバラな考え、好き勝手な言動するヤツ等の中に協調性なんて存在するモンやろか?
ワシにはそれをおかしいとも気付かずに平気で協調性を口にする人間自体に不信感を覚える。
協調性は仲良しこよしごっこでも無けりゃ波風立てずにお互いの顔色伺って平均化する事でも無い。
とかく日本人っちゅうのは平均化が好きな民族で、出る杭は打たれるっちゅう言葉が示す通りに特定の誰かが目立ったり抜き出る事を嫌うから、協調性の意味もねじ曲げられてまうのかも知れんわ。
協調性って何かに向かって一致団結してるグループにこそ当てはまれど、うだつの上がらんヤツ等の塊に当てはめてエエ言葉では無い。
人が集まれさえすれば何処にでも産まれるのが協調性では無いのだ。
協調性の意味を履き違えては成らん。
協調性と馴れ合いは同義語では無いのである。

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