企画倉庫

□2008年火村有栖誕
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「野良猫の方がもっと上手く雨宿りするぞ」










強情










土砂降りと呼ぶに相応しい天気の中、些か心許無い傘のしたで大量の資料を抱えながら家路へと急いでいた。


ずいぶん前に吸おうと思い口にしたたばこはしけってしまって火が着かずくわえっぱなしのままだ。下宿に着き入口の灰皿にその煙草を投げ入れると、玄関横に丸まる人影が目に入った。見た瞬間息をのむ。見間違える筈がない、アリスだった。


ずぶぬれのスーツ姿で震えながら丸まっている。目はどこか虚ろで真横に立っている俺に気がつかないようだ。目の前に移動すると足が目に入ったのかゆっくりと顔をあげた。その顔は雨か、なにか違うものかによって濡らされていた。


「野良猫の方がもっと上手く雨宿りするぞ」


そう言うと表情をくしゃりと崩して、掠れた声で、じゃぁ拾って、と彼は答える。もちろん、なんて返事は勿論せずに家をあごでしゃくり入れと合図をした。


鞄だけは濡れないようにと軒下の微かな影に隠しておいたらしい。彼も一端の社会人であることが窺えて、少しばかり距離を感じた。


「いきなりどうしたんだ、アポも無しに」


「アポ取りが必要になってしもたんか、俺ら」


アリスの台詞に硬直した。玄関口で重くなったスーツを脱ぐアリスを振り返れば、彼の眼はウサギのように真っ赤だった。後に続く言葉が思い浮かばなくてタオルを取りに先に部屋の中に入る。


書物や資料で雑然とした部屋にさらに書類を重ねてタオルを持って玄関に戻る。困った顔でスーツを抱えるアリスに笑ってしまった。彼は照れ臭そうに目をそらす。


「風呂入ってこいよ」


「…おおきにな」


濡れたシャツとトランクスで歩くその後ろ姿はどことなくふら付いていて手を差し伸べたくなったが、伸ばしかけた手をにぎりしめてせめて何か温かいものでも、とキッチンへと向かった。


風呂から出たアリスは裸のままタオルで全身を覆っていた。そういえば、いつもあいつが泊に来た時様においてあった服やら下着はどこへ行ってしまったのだろう。


タオルからすらっと伸びる足に、己の眉間にしわがよっていくのが分かった。前々から細かったが、今の彼は全体的に痩せこけている気がしてならない。新品のパンツと俺の服を投げると目の前でもそもそと着始めた。思わず俺は視線を外す。


着終えたアリスは俺に寄り添うように腰を下した。その細すぎる肩を抱きしめたのは、衝動か、積年の想いからか、それとも本能の所為かなんてわからない。だが予想以上の華奢さに抱きしめている腕が震えた。


「…仕事で失敗でもしたのか?」


「ちゃう」


「小説をまだ書ける時間がないのか?」


「ちゃう」


「……俺に、逢いたかったか?」


馬鹿な問いだ。未だ友情という一線を踏み出せていない俺達には滑稽すぎる言葉だった。単純に『会いたい』と聞けないのだ。アリスがどう受け取るかは俺には分らないけれど。


「………ちゃう…も…ん」


ドクリ、と心がうねった。微かな歓喜が体を巡る。少なくとも、ハズレでは無さそうだ。ぎゅぅと体を強く引き寄せてアリスの表情を見て固まった。彼は泣いていた。


「アリス…」


「……ちが、これは…ええと…」


「強情っぱりめ。…ごめんな、寂しくさせて」


ゆらりと揺れたアリスの瞳に吸い寄せられるように彼の唇に自分のそれを重ねた。アリスの方がビクンと跳ねる。だが拒絶はしない。それを良い事に何度も何度も触れるくちづけを繰り返した。


「ひむら………」


息のかかる距離でアリスが泣きながら呟く。濡れたほほに指を這わせると、彼の頬がだんだんと朱に染まっていった。


「えと、あの…」


「ん?」


「さび、し、かっ……た」


そう言って目を伏せたアリスを包む様に離さぬようにぎゅうと抱きしめた。おずおずと俺の背中にまわされたアリスの手は、雨で冷やされた俺の体と、そして何より心までもを懐柔するほどに温かかった。


ああ、ついに一歩を踏み出してしまった。これが怖くてアリスに会うのを避けていた強情過ぎた俺を、この腕の中に在る存在はいとも簡単に崩してしまったのだ。


腕の離し方が、もう、分からない。











END.










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助手×社会人
未満→恋人?でした!

20080416#
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