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□サンドリヨン
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─折原臨也の証言─

家の前に、硝子の靴が転がっていた。









―平和島静雄の場合―




真っ白な壁は闇に輝く都会のネオンの光を受けて、青白く仄かな灯りを灯していた。
ズキリと痛む頭をもたげ、部屋を見渡せばそこは自分の部屋ではなかった。
静かな一室に響くのは、規則正しいリズムで時を刻む時計の音だけ。
壁に掛けられたそれは、シルバーのフレームに針と数個の数字だけが収まっているシンプルな物だ。
ごくつまらない内装の部屋を、輪をかけてつまらなく見せていた。

(あー…くそッなんで俺はこんな所にいんだぁ?)

もやもやする心をどこかへ追いやろうとするかのように、壁と同じく真っ白なシーツに顔を埋める。
体を覆う淡いグレーの布団が温かくて心地よくて、一瞬すべてが、何もかもがどうでもよくなった。
しかし、彼を覚醒させるような香りが、再び微睡み始めたた静雄の鼻をくすぐったのだ。

(…この匂い、アイツと同じ…?)

アイツ、とは、静雄が憎んでいる情報屋のこと。
軽やかに笑ってはひらひらと逃げていくその人物を、何度捕まえたいと思ったことだろうか。
この手で触れたい、と、何度。
静雄はシーツと布団を手繰り寄せ、強く顔を押し付けた。

(やっと、捕まえた)

何故か安心感に包まれて、瞼はまた下がろうとする。
その睡眠欲に身を任せようとしていた彼は、壁に映し出されるネオンの光が人の形に黒い影を作っていることに気付いた。
完全にははっきりしていない頭が(まさか)と思う前に、その影は静雄の方へ向かってくる。

「シーズちゃんッ何してんの?」
「…い、ざや?」

まさかの登場だった。いや、冷静に考えれば布団やシーツからはその持ち主の匂いがして当たり前なのだが、静雄は気づかなかったのだ。
驚いてシーツから腕を放し上半身を起こすと、楽しそうに笑う臨也はそれを阻むように彼の横に腰かけて、手を静雄の体の向こう、自分の足と手で静雄の逃げ道を塞ぐ位置に置いた。

「俺のベッドは寝心地いいでしょう。酔っ払って倒れてたんだよキミ。なんでかしらないけど、うちの前でさぁ」

静雄は昨晩の自分の動向を思い出そうとして止めた。酒の効力か、何も思い出せやしないことを本能的に感じたのだ。
代わりに先程の行動を思い出してしまい、背筋を冷たい汗が流れた。

「…お前、いつからそこにいた」

動揺を悟られないように声音を低くしてみたが、臨也の笑顔が近いせいでうまくいかなかった。
その証拠に目の前の男は獲物をみつけた獣のように瞳を輝かせている。

「いつからって、最初からいたよ?シズちゃんは気づいてなかったみたいだけどね」
「だったら声かけろよ」

気のせいか、少しずつ距離が縮まっていく。
象牙のように白く整った顔が近づくにつれ、静雄は後ずさった。
部屋の中を妙な空気が漂っている。
それをはらうため、わざと吐き捨てるように言ったのだが、それは熱を帯びた臨也の視線の前に、無駄な抵抗に終わった。

「そんなにいい匂いでもした?この布団」
「ッ…ちげぇよ」
「じゃあ何、俺だと思ったのかな。なんで抱き締めたりしたの?」

ずいっと顔を寄せた臨也の息が耳を撫で、ヒッと声もなく悲鳴を上げた。

「耳、真っ赤だよ」

クスクスという笑い声を聞きたくなくて、グッと臨也の胸を押す。
自分の耳が赤いことなどとっくに気づいていた。
それどころか頬だって火照っている。
ただそれを隠すために俯いていたのだった。

きっとまだ、酒が抜けきれてないに違いない。
だってそうでなきゃおかしい。
(なんで…なんで俺、コイツに気圧されてんだ)
しかもこんなふうにからかわれて、キレないなんて。

「かぁーわいいなぁシズちゃんは」

頬を撫でようと伸びてくる臨也の手。
ハッとした静雄はその手を振り払い、ベッドから飛び出した。

「仕事だ。12時までには行かねぇと…悪かったな。その…いろいろ」

もちろんこの部屋から出ていくための口実だったのだが、仕事があるのは嘘ではない。
しかし、そのままドアに向かったバーテン服の彼はあることに気づいて立ち止まった。
首もとに、蝶ネクタイがない。
恐る恐る振り返ると、いやらしい笑みを浮かべた悪魔がすぐ後ろに立っていた。

「返してほしかったら、仕事は切ってよ」

そう言いながら腰に手を回す臨也。
その緩慢たる動きに、静雄の思考はぐるぐると機能を麻痺させられた。
耳に響くのはか細い時計の秒針の音と、楽しげな声、そして自分の心臓の音。

ゆっくりとベッドへ誘導する腕に誘われ、うかされたようにおぼつかない足取りで進む静雄。
静かに横たえられた彼は最後の抵抗として臨也から顔を背けた。

「…トムさんに、電話してねェしよ…やっぱ俺、」
「黙ってよ。ソイツどうでもいいし。ていうかキミの口から俺にとってどうでもいい奴の名前、聞きたくない」
「いざ…」

静雄の口を己のそれで塞ぎ、その体勢のまま懐から何かを取り出す。
青白く冷たい光を放つ、薄い金属。
白く細長い指が繊細な物を扱うように柄を握り、壁に向かって投げつけた。
儚い金属音がして、時計が砕け落ちる。

その音を確認した臨也は満足げに笑い、バーテン服に手をかけた。










(12時の鐘は聞かせない)







ほうら、おバカな王子様。
俺が手本を見せてあげる。



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