夢の痕
□シチューとカレーはお母さんの味
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「ひ……広い」
屋敷内を案内してもらって約1時間。ここはこうしろとか、これはするなとか、細かい決まり事の多さもさることながら、単純に、広かった。
しかしその分、与えられた個室も広い。冒頭の一言は、それに対する感嘆の言葉だった。
「凄い……ベッドふかふか」
ぽよんとお尻で跳ねてみると、スプリングが僅かに音を立てた。
もう少しベッドで遊んでいたい所なのだが、もうすぐ夕飯の時間だ。
「えっと、台所は向こう……」
プラシドに案内してもらった道筋を思い出しながら、何とか台所まで辿り着く。
しかしそこで、ひとつ重大な問題に気が付いた。
「何人分作れば良いんだろ……」
確かジャックが何か言っていた様な気がするが、思い出せない。仮に何人住んでいるのか分かったとしても、その人が男性なのか女性なのか、年齢はどれくらいなのかによって、作るべき量は異なってくる。
「困りましたね……」
「何が困ったのぉ?」
「へあ!?」
急に聞こえた声に、名前は言葉通り飛び上がった。台所に、愉快そうな笑い声が響く。
「キッヒヒヒ!驚き過ぎでしょ!」
「び、びっくりしました……えっと、」
「僕はルチアーノ。名前だろ?プラシドから聞いた」
「あ、はい。宜しくお願いしますルチアーノさん」
「あーあー、やめてよそういうくすぐったい呼び方」
「え、えーと、じゃあ、ルチアーノ……くん?」
微妙に疑問系になったのは、目の前に立っている少年ルチアーノが、少女的な可愛らしさを持ち合わせているからだった。
ルチアーノは、まだ名前の呼び方に不満な様だったが、渋々納得したようだ。
「で?名前は早速、家政婦業に勤しんでるって訳?」
「あ、それなんですが……どれくらい作れば良いか分からなくって」
「んー、僕とプラシドとホセの分だからぁ、3人分よりちょっと多いくらい?」
「分かりました。何か、食べたい物はありますか?」
「……………じゃあ、シチュー」
「了解致しました!」
名前がシチューを作り始めても、ルチアーノは台所に居座ったままだった。
食卓の椅子に座って、たまに名前に質問をする。歳は幾つだとか、どこから来たんだとか、他愛の無いものばかりだった。
「ふーん。ホントに異世界から来たんだ。名前がいた世界には、デュエルはあった?」
「はい、ありましたよ。こちらの世界程、浸透はしていませんでしたが」
「そうなの?名前もデュエルする?」
「一応……」
「じゃあ今度さ、一緒にデュエルしようよ!」
デュエルの話題になった瞬間、ルチアーノの声色がいきいきとしてくる。この年頃の少年らしく、デュエルが大好きなようだ。
「でも私、デッキを向こうの世界に置きっ放しで」
「デュエルディスクは?ディスクも持ってないの?ライディングデュエルのライセンスは?」
ルチアーノの質問攻めはとどまる所を知らず、名前はルチアーノの楽しげな声を背中で聞きながら、ひとつひとつの質問に丁寧に答えていった。
そしてシチューが出来上がり、付け合わせのグリーンサラダも出来た頃。
「ふん、それなりには出来るようだな」
台所に現れたプラシドに、ルチアーノは思い切り顔をしかめた。
「何だプラシドか。ホセは?」
「もうすぐ来る」
「あ、じゃあ先に配膳を済ませておきますね」
シチューを器に注いでいる時、ルチアーノがこっそり「人参少なめに」と囁いてきたのが、名前とルチアーノの最初の内緒事となった。
「よし!上出来です!」
食卓を前にガッツポーズをした名前の背後に、大きな影が迫りつつあった。
「…………お前が名前か」
「ひえっ!」
やはり飛び上がった名前を見て、ルチアーノがけらけらと笑う。
名前が恐る恐る振り向くと、やたら大きい老人が立っていた。
「キッヒヒヒヒ!駄目だよホセ!名前はすぐにびっくりするんだからさぁ!」
「む……」
「えっと、ホセさん?私、名前と言います」
これで、この屋敷に住む3人が揃った。年齢からして3人の中でのリーダーであるだろうホセには、きちんと挨拶しておいた方が良いだろうと思ったのだが、ホセは「プラシドから聞いた」と言って名前の台詞を遮り、食卓についた。
「冷める前に頂こうか」
「あ、お飲み物を用意しますね」
それからしばらくは、4人がシチューを啜る音だけが響いた。
食卓は驚く程静かで、さっきまで子供らしく饒舌だったルチアーノも、何故か全く無口になっている。
(この3人、一体どういう関係なんだろ……)
老人に、青年に、少年。家族という雰囲気ではないし、特に互いを気に掛けている様子も無い。
食べ終わったのか、プラシドが無言で席を立った。次にホセが、「美味かった」と一言だけ言って席を立つ。
食卓に残された名前は、ルチアーノに耳打ちした。
「あの……失礼な質問かも知れませんが、皆さんはどのような関係なんですか?」
「んー、説明すると長くなるんだけど。手短に言ったら、切っても切れない関係、かな?」
「えー……っと、」
「ま、分かんなくて良いと思うよ。今日みたいに、3人揃って食事をするなんて事、そう無いだろうし」
ルチアーノの言葉に、名前は首を傾げる。
「いつもはバラバラなんですか?」
「まあね。どうでも良いし」
「……………寂しく、ないですか?」
「寂しい?」
「だって、一緒に暮らしてるなら、可能なら一緒に、御飯を食べたいです」
「……………」
ルチアーノは黙ったまま、食卓から離れた。
余計な事を言ってしまっただろうかと、名前は少し後悔する。
けれど、これからこの家に世話になる身としては、なるべくこの家の人たちが笑顔であるようにと、願わずにはいられないのだった。
(あ、お風呂沸かさなきゃ)