企画部屋

□描かれた雨の夜は
1ページ/2ページ



 雨粒が降りしきっていた。まるで傘を殴りつけるような勢いで天から降りしきるそれに斎藤は一つ溜め息を吐き出した。

 相合い傘と言えばよく聞こえるが、実際は二人とも傘からはみ出した方の肩やら腕やらがずぶ濡れになってしまっていて、悲惨としか言いようがない状況だった。屯所に戻ったら永倉あたりに爆笑されるのがありありと目に浮かぶ。

 「雨、止まないですねぇ」

 隣から聞こえてくる明るい声に斎藤は視線をそっちにやった。頭一つ分背の低い沖田の表情を窺い、また重々しく溜め息を吐き出した。

 「何を拗ねているんだ、お前は……」

 「えー、僕、別に拗ねてませんよ?」

 そう言う沖田の顔には確かに笑顔が貼り付いている。しかし、その笑みは正に”貼り付けた”ものだった。

 「拗ねてねぇって面か」

 「拗ねてないって面です」

 「ああ、そうか」

 まだ強情を張る沖田に斎藤はそう素っ気なく突っ返した。

 大体他人を気にかけてそのことについて言及するだけでも斎藤という人間性を把握している者から言わせれば、天変地異の前触れなのである。これ以上構ってられるか阿呆らしい、とその横顔が雄弁に語っているのを見て沖田は少し慌てて口を開いた。

 「ああ、ごめんなさい。ちゃんと説明しますから拗ねないで下さいよ」

 「拗ねてねぇ」

 先程まで自分が掛けていた言葉を掛けられて斎藤は僅かな殺気を込めた視線で沖田を見た。

 しかしそこは斎藤と並んで新撰組の双璧と称される沖田である。物騒極まりない目付きにもくすりと笑みを零す辺りは流石と言える。尤も、沖田からすれば斎藤のこの目付きは可愛らしくて仕方がないらしいが。

 そんな戯れのような言葉のやり取りをする間も二人の足並みはぴたりと揃っている。性格は正反対である癖に妙に気は合うのだ、と周囲に言われる所以はこの辺りにあるのだろう。足を動かすたびに互いの足袋やら袴の裾やらを泥水が汚すのも気にせず、足並みを揃えて帰路を急ぐ。

 沖田は暫く微笑を浮かべていたが、ふとそれが霧散した。今から口にすることはそんなにも気に入らないことなのだろうか。斎藤は珍しい、と素直にそう思ってしまった。

 「……笑わないで下さいね」

 上目遣いでそう言われ、事によるがな、という返答は喉元で押し止めた。ここでそんなことを言ってしまえば沖田はこれ以上話そうとしないだろうことはこれまでの付き合いで学んできている。

 斎藤の沈黙を肯定と取ったのだろうか、沖田はゆっくりと唇を開いた。

 「傘を持っているのがはじめさんだから、僕は拗ねてるんです」

 「………………はあ?」

 たっぷり間を置いて、斎藤は彼らしくない間の抜けた声を漏らした。沖田は珍しく眉根を寄せて頭をかく。その視線は斎藤の手元、傘の柄を持つ指先に集中していた。

 「だから……傘がですね……ほら、今、傘ははじめさんがさしてるじゃないですか」

 「待て、それでお前がふて腐れる意味が全く分からん」

 傘なんざどっちが持ったって一緒だろうと言外に告げた斎藤に沖田は不満げな声を漏らす。

 「いや、だって……恋人に傘をさして貰うことが僕にとっては屈辱なんです!」

 珍しく語気を荒げる沖田に斎藤はこれまた珍しく目を丸くした。そしてようやく沖田の表情と言葉の意味を理解した彼は噴き出した。

 「あぁっ!!笑わないでってお願いしたのに!!はじめさん、酷い!」

 「っ、す、すまん……」

 くつくつと控え目に笑いながら斎藤は頬を膨らませる沖田に謝罪した。

 劣等感など存在しない無いようにいつも明るい笑顔を浮かべる彼の唯一の劣等感は、自分の背丈が斎藤よりも低いことなのだ。勿論、背が低いからと言って剣の腕に差し障る訳ではないし、日常生活に係わる訳でもない。ただ、沖田の言葉を借りれば「恰好が着かない」らしい。

 斎藤にしてみれば背の低い沖田よりも背の高い自分が傘をさした方が、二人共余計に濡れなくて済むだろう、と無意識に考えただけだったのだが、沖田にしてみれば今回のこの状況も沖田から見れば余程悔しい。しかし斎藤が傘をさす方が合理的だということは頭の中で当然のように分かっているからこそ、まるで駄々を捏ねる子供のような自分の言い分に唇を尖らせていたのだ。

 「……いつまで笑ってるんですか」

 もー、と不満そうに音を漏らす沖田に斎藤は無言のまま小さく笑みを零した。

 斎藤からすれば、普段は人の心を覗き見ているかのように把握している、つまり常に自分より一枚上手の男がこんな小さなことを気にしているのが面白くて堪らない。それに背が低いとは言え、いつも斎藤を押し倒すのは沖田なのだ。となると斎藤こそ劣等感を抱くべきなのかもしれない。そう思うと急速にその笑みが影を潜めた。

 元の仏頂面に近くなった斎藤の表情にも沖田は不満の色を消さない。

 餓鬼か、お前は。喉元まで出かけた言葉はそのまま飲み込んだ。そのまま傘の柄を持つのとは逆の手を伸ばし、沖田の頭に置く。そのまま掌をゆるりと動かし沖田の頭を撫でた。思えば生まれてこの方、人の頭を撫でたことなど無かった。童相手にも女相手にも、こんなことをしたことは無かった。

 少し雨に濡れたしっとりとした髪の感触が伝わってくる。その黒髪は下手をすればそんじょそこらの女より綺麗かもしれないと思ってしまった。

 「また子供扱いして……いくらあなたより背が低いからって僕はあなたより年上なんですけど?」

 「ならいつまでも童のようにふて腐れるのは止めたらどうだ?」

 口角を僅かに引き上げ、ぽんぽんと頭を軽く叩いてやる。意外と楽しいのはその行為自体なのか、相手が沖田だからなのかは考えないことにした。沖田は暫く成されるままになっていたが、急に悪戯っぽい笑みを浮かべて斎藤の手首を掴んだ。

 ぎょっとして体を引こうとする斎藤の動きを物ともせず、沖田はそのまま腕に力を入れて自分より背の高い痩身を引き寄せた。斎藤が驚いてたたらを踏むと、腕を下に引っ張られて普段より少し低い位置に下がった顔に沖田が顔を寄せてきた。

 次に気づいた時には唇が柔らかい感触に覆われていた。視界が沖田で埋め尽くされる。斎藤の手から傘の柄が滑り落ち、ぱしゃりと小さな音を立てて水溜まりの上に転がった。唐突な沖田の行動に身動き一つ取れないでいると、沖田の舌が侵入してくる。上顎をくすぐられ、舌を絡め取られる。

 ようやく解放されると斎藤は沖田に向かって拳を突き出した。当然のように身を躱す沖田に斎藤は肩を震わせながら声を絞り出す。

 「……沖田……!!」

 怒気と殺気とを込めて自分の名前を呼ぶ愛しい男に向かって、沖田はにこりと笑ってみせた。殺気を綺麗にいなすと沖田は楽しげに口を開く。

 「別にいいじゃありませんか、どうせ人も通らないような土砂降りなんですから」

 確かにこの雨の中、周囲に通行人の姿は皆無と言っても良かった。だからこそ正論を述べて暴挙を正当化させ、にこりと笑う沖田の笑顔が小憎らしい。斎藤が沖田を睨みつけている間にも天は容赦なく雨を降らせ、二人の体をしとどに濡らす。

 「さ」

 沖田はおもむろに傘を拾い上げ、そのまま流れるような動きでそれを閉じると斎藤の手を握った。斎藤が訝しげに沖田を見やると沖田は輝かんばかりの笑顔を浮かべた。

 「もう傘をさす意味もあまりないですよね」

 帰りましょう。そう言って沖田は斎藤の手を握り、駆け出した。体を引っ張られ、斎藤は忙しなく足を動かす。引っ張られていたのは少しの間だけで、沖田の走る速度に慣れた足はその背を追うように、ごく自然に動く。

 斎藤はその剣客らしからぬ薄い背中を見ながら、前を走る童子のような恋人に気取られぬように溜め息を吐き出した。屯所に帰り着いたら湯を貸してもらうように申しでよう。新撰組の幹部が二人揃ってで風邪を引くなど、笑えぬ冗談のように思えた。




→後書き
次へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ