企画部屋
□諦めましたよどう諦めた 諦め切れぬと諦めた
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「お前らも気をつけろよ」
ぷかりと煙管から煙を吐き出しながら眼前にいる新撰組副長は何の脈絡もなしにそうのたまった。片手にはつい先ほど斎藤が提出した覚書があり、彼は今それに目を通している筈だった。
書面の内容はただの業務報告だ。それなのに土方の口から吐き出されたのは「お前ら」という言葉。この書面には斎藤自身のことなど一行たりとも書いていない。そして恐らく一括りにされているだろう同僚のことも。
「沖田のことですか」
「以外に誰が居る」
そう簡潔に問い返されて確かになと納得した。斎藤と一緒に「お前ら」なんて単語で一括りにされる程親密な仲の男は二人といない。勿論、女もいないのが悲しいと言えば悲しいところなのだが。
「で、俺と沖田が何に気をつければいいのでしょう」
「決まってンだろ」
かつん、と煙草盆に煙管を打ちつけ土方はいやらしいようなそれでいてどこか意地の悪い子供のような笑みを浮かべた。
「痴情の縺れ、だよ」
土方の口から吐き出された言葉に斎藤は思わず口をつぐんだ。自分達二人の仲が幹部連中にとって公然の秘密なのは斎藤もよく知っていた。勿論そう仕向けたのは誰でもない沖田であり、当たり前のようだが斎藤が望んだことではない。初めて原田に沖田とのことを仄めかされた時、眉根一つ動かさなかった自分を今になれば褒めてやりたい。勿論その足で沖田を殴りにいったのはまた別の話だが。
兎に角土方の口から吐き出された単語に斎藤は珍しく動きを止めて絶句した。それと連動するように普段はよく回る頭も回転を止めてしまったようだった。にやにや笑う土方にようやく我を取り戻すと上手く動かない頭を大忙しで回転させていると土方は喉の奥から搾り出すようにして笑い声を漏らす。
「ほら、近藤さんの小姓に加納惣三郎ってのがいたろ。あれをめぐる色恋沙汰さ」
「ああ、少し前に沖田に斬られたあの……」
ついこの間、沖田が手ずから粛清を下したらしいがその理由までは斎藤の知るところではなかった。色恋沙汰などあったのかとそう不思議に思いつつ、もう一つ斎藤には不思議に思えることがあった。やけに土方が饒舌なのだ。色恋沙汰が入り混じっての粛清とあっては彼の性格上、あまりいい気分ではないだろうと思えてしまう。それなのに今、目の前にいる男は楽しそうに笑っている。
「……何がそんなにおかしいんだか」
「お前をからかえンのが楽しいんだよ」
なおも唇を笑みの形に保って土方は泰然として言い放った。黙っていれば錦絵のように絵になる男だというのに、この性格のせいで大分と損をしているんじゃないか。あまり余計なことを考えない斎藤でもそう思ってしまえるほど土方は楽しそうだった。
しかしふと唇を引き結び、その表情に真剣みが戻ってきた。
「まぁ冗談はさて置いてもだ。男色って奴ぁ怖ぇからな、用心はしろよ」
「言われなくとも」
土方が善意で言っているのはよく分かっているがこうも口をすっぱくして言われるほど自分達は子供でもない。その心中が顔に出ていたのか土方が微笑を浮かべ「まぁお前らなら分かってるだろうけどな」と軽く言ったその時、襖がそっと開いた。
「もう土方さん、いつまではじめさんを独り占めするおつもりですか」
少し拗ねたような顔つきの沖田がそう言って襖のすぐ外に立っていた。
「おう、悪ぃな。もう用は済んだからそろそろ返すとするぜ。おう斎藤、もう戻っていいぞ」
どうやらとっくに書面は確認し終えていたようで土方はあっさりとそう言い放った。
「寄ってたかって人を物のように……」
二人の物の言いように斎藤は思わず溜め息を吐き出し、ころりと表情を変えて笑顔になった沖田に腕を引っ張られるようにして立ち上がった。しかしそんな小言に動じる二人なはずがなく。
「ああそうだ。総司、例の一件、斎藤にも教えてやれよ」
そう土方が唇の端に笑みを浮かべながらそう言うと沖田は僅かに眉根を寄せた。その表情に斎藤が訝しむ間もなく沖田は斎藤の腕を引っ張るようにして土方から背を向けた。
「あんまり愉快なお話じゃありませんけどね」
そう呟くように言い捨てると沖田は斎藤の手首を掴んですたすたと歩き去ってしまった。
「で、聞きたいですか?」
例の話、と沖田は斎藤の膝の上に頭を乗っけたまま囁くように言った。斎藤を導くようにして自分の部屋に入った沖田はきちん揃えられた愛しい恋人の膝に頭を乗せてその渋面を見上げている。
「どっちでもいい」
「なら話してさしあげます」
あんまり気分のいい話じゃないですけど、とそう前置きして沖田は語り始めた。
「局長付きの小姓をやってた加納惣三郎って居たじゃないですか。あれが僕の隊の田代彪蔵に言い寄られて男色に嵌りましてね。田代だけに留めておけばいいのにはじめさんのところの湯沢藤次郎にまで色目を使いまして。それに気付いた田代が湯沢を斬って、まぁこうなってくると土方さんもただでは放っておけない訳で。加納に田代を斬らせて、僕が事の元凶である加納を斬って、おしまいおしまい」
影のある微笑を浮かべながら沖田はそう締めくくった。自分の隊の人間が殺された理由が男色関係とはさしもの斎藤も思い当たらなかったが事の真相を聞いてしまうとどうも馬鹿々しく思えてしまう。何も言わない斎藤に沖田はくすりと笑うとまた口を開いた。
「けどね、はじめさん。実はこの話、もう少しややこしいんですよ。僕ね、本当に湯沢を斬ったのは加納だと思うんです。何故だかなんて分かんないですけどね、斬り口がどうも加納の剣に思えて仕方ないんですよ」
まるで学者のような目付きになって沖田はそう断じた。こいつが言うのなら間違いがないだろうと思いつつ斎藤は無言で先を促した。
「しかもね、加納の奴、監察の山崎さんにまで手ェ出そうとしたんですって。山崎さんもとんだ災難ですよね」
あの根は生真面目な男が、と斎藤は不憫に思いながらも少しおかしく感じた。どう対応したのだか、反応を見てみたい気もしないではない。
「魔性、だな」
二人の侍を死にまで追い込み、更に自分の命まで散らせる結果になった。斎藤はその加納とやらを道場で一、二回しか見たことがないからなんとも言えないが男を狂わせる何かがその青年にはあったのだろう。
「はじめさんが言いますか、それ」
「なんでそこで俺が出てくる」
斎藤は少し言葉に詰まりながらそう口を開いた。こいつから出てくる言葉は時折、想像がつかない。
「だって、加納なんかより斎藤さんの方がずっと色気ありますから。……はじめさん、は」
少し言い澱んだ沖田に斎藤は眉根を寄せた。沖田は言葉を脳内で咀嚼しては引っ込め、という手順を幾度も繰り返した後にその熟考した言葉を吐き出した。
「はじめさんは、僕のですよね」
思わず虚を突かれた。どうしてそうなるのか。
そう思ってから副長の言葉を思い出した。「お前らも気をつけろよ」。
斎藤は溜め息を吐き出して暗い顔をして自分を見つめる沖田の頭をくしゃくしゃと掻き撫でた。
「ちょ、はじめさ」
「勘違いするな。俺に男色の気はない」
おかしなことを言っているとは思う。それならこの状況はなんなのだとすぐに反論を思いつく自分の台詞に、沖田が口を挟む前に素早く唇を動かした。
「お前相手じゃないと、こんなことをするつもりはない」
膝枕も手を繋ぐことも、接吻も添い寝も性交も。この男でないとやりたくもない。想像しただけで寒気がする。
斎藤の思いを知ってか知らずか、沖田の顔色はすぐに明るく変化した。何とも分かり易い男だなと思いつつ、しかしそんな男に惚れた自分もたかが知れるなと心のどこかで思いながら、上体を起こしたその男の抱擁を甘んじて受け入れることにした。
→後書き