□花街にて
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小さな影が闇の中を走っていた。

花街の、人が足を踏み入れない様な裏路地に、その小さな姿は不釣り合いだった。

影は前も見ず、息を切らせて走っていた。

ようやく路地から出ると、花街の表通りのきらびやかな行灯の光にその姿が写し出された。

まだ十二、三の少年に見えた。

顔立ちは、すっきりと整っていて、少年か少女かよく分からない。

しかし着物がボロボロに擦り切れているせいで、ただの物乞いにしか見えない。

周囲を見渡して、追っ手の姿がないことを確認した。

安堵して息を吐き出すと、頭が眩んで足が縺れた。

すると、背中に衝撃を感じた。

少年は、蹴飛ばされて揚げ屋の戸板に身体をぶち当てた。

「っつぅ……」

そう漏らすと、その身体がぐいと持ち上げられた。

「汚ぇガキが、花街ぶらつくんじゃねぇ」

赤い顔をした侍が、少年の襟首を掴んで少年を宙に吊らしていた。

顔を赤くした侍が全部で五人、ぶら下げられた少年を取り囲んでいた。

「目障りだ。

とっとと消えろ、ガキ」

にやにや笑ってそう言った。

「……そ……らえ……」

少年の口から言葉が漏れた。

「んー、聞こえねぇよ。

はっきり喋れ」

少年は、きっと侍を睨みつけて叫んだ。

「侍なんて、クソ喰らえ!!」

男の眉間に青筋が立った。

「このガキ!!」

男は力任せに少年の身体を宙に振り上げた。

少年の身体は軽々と宙に舞い、そのまま一直線に空を切った。

壁にぶち当たると思ったその身体は、何者かに受け止められた。

「色街でこの様な喧嘩騒動か。

不粋な事だな」

声を出したのは青年だった。

少年は弾かれたように自分を受け止めた青年を見上げた。

すらりと長身で、琥珀色の鋭い瞳を持った男だった。

若い顔付きながら雰囲気はどこか老成している。

「なんだ貴様っ!!」

「貴様らと同じ侍だ」

青年はそう呟く様に言った。

「尤も、貴様達の様に恥さらしになった覚えは無いがな」

「んだと!?」

青年の挑発的な言葉に、男達は色めき立って怒鳴った。

青年はそんな男達を睨みつけ、不敵に笑った。

「このガキの言う通り、貴様らの様な侍は糞喰らえだな」

「何だとこのガキ!」

男は刀の柄に手を掛けた。

「抜くか?」

青年は口の端で笑ったまま言う。

そして少年をすとんと地面に落とした。

「なら相手になってやるぜ?

丁度、むしゃくしゃしていた所だ」

青年も刀の柄に手を掛けた。

「名を名乗れ、ガキ!」

青年は軽く腰を落とし、抜刀の姿勢で呟く。

「斎藤一」

斎藤は名乗ると同時に剣気を発した。

すると酔っ払い達はびくりと身体を震わせた。

「来ないならこちらから行くぜ」

斎藤はにやりと笑った。
身体中から殺気が湧き上がっている。

酔っ払い達は目の前の青年の実力が桁違いだと察したらしい。

ざっと後ずさると、一目散に逃げ出した。

斎藤は面白くなさそうにそれを見遣ると、少年のことなど気にも掛けずに踵を返した。

「あ、の!!」

少年は尻餅をついたまま叫んだ。

「勘違いするなよ」

斎藤は振り返りもせずに答えた。

「お前がたまたま俺のほうに飛んできたことと俺の機嫌が悪かったことが重なっただけだ。

貴様の様なガキ、どうなろうと知ったことじゃない」

「けど、あなたは俺を助けてくれた」

少年は言った。
「俺は、真川信です!

このご恩は、いつか」

「忘れろ」

斎藤は信の言葉を遮る様に呟いた。

「それが一番の恩返しだ」

斎藤は一度も振り返らずにその場を立ち去った。

少年は、自分の手を握りしめた。

「……さいとう……はじめ……」

その名を頭の中に刻み付けた。



そしてこの数週間後、壬生の浪士組屯所を一人の少年が尋ねることになる。



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