「……たたた…」

「おいおい、大丈夫かよ、晴明の孫」

「孫言うなぁー…」

強かぶつけた顔面を摩りながら、昌浩はちゃっかり器用に着地している物の怪を恨みがましく見下ろした。そんなものはどこ吹く風で、物の怪は飄々としたものだ。

納得いかないといった風情で、とりあえず昌浩は衣についた砂を払い落とした。

「まったく、一体なんだって……」

「昌浩!」

昌浩の声に、物の怪の声が重なった。つられるようにして顔を上げれば、こちらにむかってきている何かが目に入る。

術を使っているので闇のなかでもよく視える。あれは――。

「怨霊!?」

全く状況を飲み込めない。そんな昌浩を物の怪が力いっぱい引っ張り、辛うじて最初の一撃を免れる。

持ち前の反射神経でなんとかすぐに体勢を立て直し、昌浩は条件反射的に印を構えた。切迫した状況の中、真言を唱えるべく口を開く。が。

「オン…」

「スト――ップ!!」

昌浩の声は、違う人物のものによって掻き消された。次の瞬間、肉薄していた影武者が煙の如く消え失せる。

唖然とする昌浩と物の怪を他所に、先ほどの霊の代わりのように少女が一人立っていた。

「勝手に目標変えないでよ!冷や汗かいたっ」

一閃させた太刀をそのままに、少女はもうこの場にいない相手にむけて文句を言う。かなり無意味な気がするが、それを言ったところでそれこそ無意味だろう。

「あー、もう、焦った……あ」

ふと少女と昌浩の目が合い、妙な雰囲気が流れ始めた。呆然と見上げる昌浩に対し、少女は今にも背中に滝の如く冷や汗を流し始めそうな勢いだ。

何が彼女をそうさせるのか、昌浩には知る由もない。

「…何者だ」

いち早く立ち直った物の怪が、すぐさま昌浩を庇うようにして前に出る。夕焼けの瞳を剣呑に細め、警戒心をあらわにする。

少女が持っている太刀は、あきらかに普通のものでは無い。

全身の毛を逆立てている物の怪をしばらく見下ろし、少女は唐突にその場でしゃがんだ。物の怪と同じくらいの目線にあわせ、珍しいものを見るかのようにじいっと凝視する。

そして、

「……兎っぽいのが喋った」

ぽつりと言った。

剣呑な表情で相手を睨んでいた物の怪だが、そのたった一言に一瞬にして形容しがたい表情になる。

「! 危ない!」

一人と一匹のやり取りを呆けながら見ていた昌浩は、急に迫ってきた気配に声を上げた。物の怪はすでに気付いていたらしく、声が聞こえるとほぼ同じ瞬間に地を蹴り上げていた。

長い爪が霊体へと吸い込まれるようにして伸びる。

「何…!?」

途中で視界が砂塵に埋め尽くされた。同時に、対象としていた霊の姿が二体とも掻き消える。

勢いを殺しきれず空中で一回転した物の怪は、さらに半捻りを加えて地面に降り立った。目を細め、立っている砂塵の向こうにいる影を見定める。

じゃり、と砂を踏みしめる音がした。

「…もう少し注意力というものを持ったらどうだ」

風に翻っている長い黒髪をそのままに、その人物は嗜めるような口調で言った。

端正な面差しをした、中学生くらいの少女だ。結わえていない黒い長髪に、同じく黒い瞳を持つ。茶色髪の少女とは違う大人びた声は、その外見によく似合っていた。

「ご、ごめん、舞華…」

悄然とした様子で肩を落とした茶髪の少女に嘆息し、舞華と呼ばれた黒髪の少女は他の霊が周囲にいないか確認する。暫くそうした後、手に持っている刀をそのままに昌浩へと視線を向けた。

「……ここで、何をしている?」

発せられた声には、温かみが全く感じられない。それと彼女の持つ綺麗と評すに相応しいだろう容姿があわさって、声のもつ冷たさがより一層増した。

なんとなく圧されてしまい口篭った昌浩に、茶髪の少女が庇うようにして昌浩と舞華の間に立った。

「ちょっと舞華、いきなりそれはないでしょ。やっぱここは自己紹介だって」

「……はい?」

昌浩と物の怪の声が重なった。当事者以外で唯一声を上げなかった舞華は、しかし呆れ半分諦め半分と言った風情で額に手をあてている。

「私は織原咲。簡単に咲でいいよ。で、こっちが神原舞華」

「えーと…、俺は安倍昌浩。で、これが物の怪のもっくんです」

「物の怪言うなっ」

つい流れで自己紹介した昌浩と、それに突っ込みを入れる物の怪。何気に“これ”呼ばわりされたのだが、残念ながら物の怪がそこに気づくことはなかった。

「昌浩に…、もっくん?」

「だーかーらー…」

確認のため繰り返した咲に反論しようとし、そこで物の怪はふと思いあたる。

「俺のことが視えるのか…?」

「え?当たり前じゃん」

それがどうかしたのかと首を傾げる咲に、物の怪は今更ながら呆然とした。

少し考えれば、というよりも考えなくてもわかることだが、物の怪の姿は徒人の目に映らない。もし映ったとしても、ほとんど全員が自分に惧れを抱くのだ。

だというのに、この状況は一体どうしたことか。

「うわー、ふわふわだ」

「って、なんだなんだ?」

数秒自分の世界へと飛んでいた物の怪は、浮いた体に若干慌てた。ばたばたと動かした手足も空しく、ぽすりと咲に抱っこされた。

「おい、放せ」

「えー、いいじゃん。減るもんじゃないし」

「そういう問題と違うっ」

聞く耳持たずな咲に辟易し、物の怪は必死の抵抗とばかりに手足をばたつかせる。一向に開放される気配のない状況が続いたが、それも長くは続かなかった。

「不用意に、正体のわからないものを触るな」

むんずと、物の怪の首根っこを舞華が掴む。そのまま真上に引っ張ると、上手い具合に物の怪の体は咲の腕から抜けた。

唖然としている物の怪に、舞華はぱっと手を離した。この場合、落とした、という表現がもっとも相応しいだろう。

不意打ちながら、しっかりと着地した物の怪。一瞬、夕焼けを連想させる紅の瞳と夜闇の如く深い闇を思わす瞳が交錯する。

当事者達のみしか知りえぬ緊迫した空気が、その刹那に流れた。

なんだかまずい雰囲気になってきたのでは、と心中であわてだす昌浩。どうにかしてこの空気を破ろうと思いつくままに口を開いた。

「えーと、舞華……さん」

見ず知らずの輩に呼び捨てされる謂れは無い、と目でいわれた気がして、昌浩は急遽敬称をつける。

「ここって、一体どこなんですか?なんか全然知らない景色なんですけど…」

無意識のうちに敬語になっている昌浩だ。どうやら、舞華の纏う剣呑な気配に完全に圧されてしまっているらしい。

「…その前に、お前はどこから来た?」

「えっと、確か羅生門よりももう少し……どこから来た…?」

答えかけたところで、昌浩は質問に妙な違和感を覚える。

「この時代に、狩衣を着て夜歩きをする物好きはいない」

着ている狩衣を指差され、昌浩は初めて気がついた。この二人の少女が着ているものは、どう見ても都の人間が着ているものとは違う。

「……一体…」

「狩衣って、平安時代の人たちが着てたやつでしょ?」

「え、何で過去形なの?」

咲の言葉に、昌浩が慌てて尋ねる。昌浩の感覚としては、出仕のときならいざしらず、大抵普段は皆狩衣を着ているのが普通だ。それは決して過去ではなく、現在進行形のはず。

「何でって、…そりゃあ過去のことだし」

いたって自然に、咲が爆弾を投下した。




どうやら、自分達は未来へと移動してきてしまったらしい。

これが、昌浩と物の怪がだした結論だった。

放心状態の昌浩と、何やら唸っている物の怪。そんな二人に構うことなく、少女二人は話を進めていた。

「あ、……もう1時まわってる」

携帯電話の表示に、咲が後悔の念に駆られた。まだ宿題を終えていないのだ。今から帰ったとして、一体何時に寝られるのか。

「ねえ、昌浩くんはこの後どうするの?」

「へ?」

半ば無理矢理現実に引き戻され、昌浩が若干裏返った声を出す。それに気付いていないのか、咲はそのまま話を進めた。

「だって、平安時代から来たってことは行くあてないんじゃない?」

「……あ」

すっかり失念していた。

何故こんなことになってしまったのかを考える前に、考えなければならないことがあったのだ。

「流石にこの季節に野宿はきついと思うよ?宛がないなら、私の家に来てもいいけど、お父さんにどう説明しようかな…」

いきなり狩衣を纏った少年を連れて帰り、そこの道で拾ったからつれて来ちゃった、というのは無理があるだろう。

うーんと唸り、咲はちらりと舞華を見た。その行動の意図を正確に察し、舞華が思わずため息を漏らす。

「私が引き取ればいいんだろう」

「え、いいんですか?」

予想外の展開に、昌浩が目を丸くした。驚いたのは物の怪も同様らしく、数度瞬きしながら舞華を見ている。

今までのやり取りからして、明らかに自分達はこの少女に信用されていない。

「…勘違いするな。野放しにしておくよりは、賢明だと判断しただけだ」

二人分の視線に、舞華は淡々と返す。ほとんど表情を変えない彼女だが、よく見ればなんとなく不機嫌そうな色が伺えた。どうやら、照れ隠しということは全くないらしい。

とはいえ。

「あの…ありがとう」

微笑した昌浩に、舞華は無言で身を翻した。



✤       ✤       ✤

あとがき。
お礼小説第2話目。1話目から結構経っている気がするのはきっと気のせい。
13ヒットのお礼ににもかかわらずカウンターは14万越えという、喜ぶべきか嘆くべきかわからない状態です。自分の怠け具合がいっそ嘆かわしい…。

わかった人がいるのかいないのかと言えばきっと後者でしょうが、このトリップものに出てくる少女二人は別サイトにて連載しているオリジ小説の登場人物を多少の変更を含めながら登場させています。
(※この小説がクロスオーバーというやつになるのかは不明です。)

どうにも雲行きがあやしい昌浩たち(特に物の怪)ですが、果たして一体どうなるのか。
それは作者にもわかりません。
次回、乞うご期待ということで!(逃)

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