「これ以上近寄るな」

かつて僕を虐げた愉快の色に爛々と輝いていた特異な瞳は、今この瞬間、純粋な畏怖、その一色だけに支配されていた。

その色を、与えているのは僕なのだ。その事実に酩酊にも似た充足感が体中を駆け巡る。

倒錯。ああ、その二文字の、なんと美しいことか。

「僕は・・・僕には、君を憎む、理由がない」

だから近寄るなと、彼は言うのだ。この感情を、植えつけたのは彼だというのに。

「・・・骸」

静かに、けれどしっかりと、その名を呼んだはずだった。

だというのに実際は掠れていて、先程の充足などいとも簡単に抜き出て行ってしまう。

僕はもうずっと彼が恐ろしい。そして彼は僕がそう思う以上に僕が恐ろしいのだろう。

白い頬に伸ばしたこの手から、逃れようとすらできないではないか。

彼を捕まえることなど、こんなにも容易い。

「僕が君を愛しているのが、縋る理由にならないっていうの」

ちいさな子供に言い聞かせるように言った。

見上げた赤と青のふたつの瞳が途端に熱を孕んで、ばたばたと涙を落とす。

それを拭ってやる術も止めてやる術も僕にはないが、受け止めてやることはできるのだと思う。たぶん。

縋るように僕を抱きしめる彼が、こんなにも脆い男だったのだと気がついたのはいつのころだったか。

「―雲雀、」

祈るように縋るように。主の名を呼ぶように。彼は時折そんな風に僕の名を呼んだ。

「―ひば、り。愛してる・・・愛してるんです」

「・・・知ってるよ」

その言葉の意味を、彼は知らないのだと思った。彼が僕に向ける感情を、誰が愛と呼べるというのだ。

それでもいいのだろう。盲目であることが彼を幸福にしているのなら。

そうして世界を見つめるのを放棄した彼の手を取るのは僕だ。かつて彼がそうしたように、空の色を、木々の形を、甘い呪詛でもって教えるのは。

彼を幸福に生かすためなら、僕の死がその幸福を瓦解させることができるのなら、彼のその信仰を、僕はいくらでも愛と呼ぼう。僕を愛せばいい。

ああ、これこそが蜜月だ!恍惚とした感覚の任せるままに微笑んで、自分でもうっとりするほどやさしい声で僕は彼に向かって口を開いた。

「ねえ、幸せにしてあげるよ、骸」






2010-05-08

あれですね。骸も雲雀も変態ってことですね。歴史はくりかえすんですね。

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