ごちゃまぜ

□一人いない
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ナッシュは妹の弔い合戦に軍勢を引き連れてベクター軍を追撃した。それを城から見守る一人の女性がいた。女性は高貴な衣装を身に纏い背筋を正してバルコニーから船団を見守っている。しかしバルコニーの柵に添えられたその陶器のような白い手は僅かに震えていた。

妹が殺されたも当然なのです。王はどこまでも敵を追い殲滅するでしょう。でもナッシュ…どうか危険なことはしないで…。これは私のワガママでしょう。不在の王に代わり国を預かる王妃として思っていいことではないでしょう。でも、私は思ってしまうのです。戦争なんてしなくていい。復讐なんてやめて。ただ早く無事に帰ってきて私を安心させて…。それだけが、私の願いです…。

彼女の願いは永久に叶えられることはなかった。ベクター軍との死闘の末亡くなった者たちはバリアン世界へ運ばれナッシュもまたその責任を果たすため自らバリアン世界へ旅立った。



「何故、ずっと忘れてたんだろうな」
「仕方ないわ。私たち人間として生きていたんだもの」
「だが何故、ずっと忘れてたんだろうな」

メラグの言葉にナッシュは同じ言葉を返した。その言葉には後悔や自責の念があった。バリアンとしての記憶のことを言っているのではない。自ら地上世界に残してきた、たった一人の愛する女性のことを言っている。何故あれほど大切に思っていた女性のことを忘れてしまっていたのだろうか…。
戦いに巻き込まれたわけではない名無しはバリアン世界には存在しない。気丈にも悲しみを隠し、帰らぬナッシュの代わりに堂々と王を代行し一人の気高き女性としてその生涯を地上世界で終えた。
ナッシュとは、ベクター討伐に向けて出航した時、それが今生の、いや永遠の別れとなった。そのことは、責任を果たすため自ら選択したこととはいえ、悔やんでも悔やみきれない。ましてや彼女を十数年にもわたり忘れていたなど…。
ナッシュは永遠に近い命を手に入れて、毎日地上世界に残してきた名無しのことを考えていた。それがナッシュのまことの愛情であったし、無責任に置いてきぼりにしてきた名無しへの贖罪だとも思っていた。
しかしバリアンとしての記憶が戻り、名無しのことも濁流のように思い出し、名無しへの恋しさは破裂するがごときであった。

「みんないる。アイツだけいねえ。アイツも待っていれば来ると思ったのに…。何故アイツだけいねえんだ」
「ナッシュ…」
「メラグ」
「なに?」
「少しだけ、そばにいてくれないか…」

兄は寂しいのだ。バリアンとしての記憶を取り戻すと同時に、兄は名無しのいないうら寂しいこの世界を思い出してしまったのだ。

「ナッシュの気がすむまで私はそばにいる」
「すまねえ…」

こんな弱々しい姿は実の妹のメラグにしか見せられない。これからはじまるアストラル世界との戦いを、バリアン世界の王として堂々と率いていかねばならぬのだ。表に出すのは今だけ。だが決して名無しを永久に失った悲しみを忘れることはできないだろう。


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