ごちゃまぜ

□オランピアの幸福
1ページ/5ページ




オリジナルブレンドの茶葉を、クラシカルな意匠の施された陶器の美しいポットへ落とす。ポットと調和した金色のスプーンで4人分、正確に。その上から沸騰したばかりのお湯を勢いよく注ぎすぐに蓋をしてタイマーをセットする。あらかじめ温めておいた、ポットと同じ柄の美しいカップを4人分、金のお盆の上のソーサーに並べ、あとはタイマーが鳴るまで待つだけ。うっとりとする紅茶の香りがVの鼻腔をくすぐる。この僅かな時間がVの至福の時だった。香りを楽しみ一口味わって、お前の淹れる紅茶は最高だ、と褒めてくれる父と兄たち。数分後には現実となるはずの光景を思い浮かべ、Vは確かに幸福だった。

ピピピ。タイマーが紅茶の仕上がりを告げる。さあ、まずはポットの中をスプーンでひとまぜ。茶こしで4人分のカップにまわし注いで。父様には砂糖とミルクをたっぷり。クリス兄様はストレート。トーマス兄様には新鮮なレモンを一切れ添えて。ボクは砂糖を一つだけ。4人分の紅茶は決して軽くない。しかしVは華奢な外見に似合わず軽々とお盆を持ち上げ家族の待つリビングへと向かった。これから温かい家族の団欒の一時が始まる。今日は父様、どんな話をしてくれるかな。この前は、トーマス兄様が、ボクが父様からもらったカードを羨ましがって無理矢理ボクから取ろうとして、クリス兄様がそれを止めようとして……。VはWの滑稽な様子を思い出し、クスクスと笑った。


「紅茶が入りましたよ」


リビングの扉をお盆を持ったまま器用に開けて、そこでVの夢想は儚く露と消えた。瀟洒なリビングは無人だった。そう。これが現実。人のぬくもりを一切感じさせない冷え切った空気がVの俯いた頬を掠めた。

がっくりと肩を落としたVはいつものようにそれぞれの部屋へ紅茶を運んだ。」

何かの資料に目を通していたXは部屋に入ってきたVを一瞥し、すぐに資料へ目を戻した。しかし、デスクに置かれた紅茶にすぐに口をつけ、それから無表情だったXの口元が僅かに緩んだように見えた。

トロンは笑わない目で「ありがとう」と言った。無数のTV画面に目は釘付けたまま、決して紅茶に手をつけようとしない。トロンは異世界で容貌も感情も感覚も何もかも失ってしまった。だから紅茶が冷めていようが温かろうが問題ない。ひょっとしたら飲食物を摂る必要すらないのかもしれない。誰に頼まれたわけでもなくVが父のためにしていることは無意味で無駄なことなのかもしれない。しかし父のくれる「ありがとう」のたった一言に、Vは僅かに救われるような心地を覚えるのだ。

最後はWの分。Vの表情が曇り足取りが重くなる。今はあまりWの部屋へ向かいたくない理由がVにはあった。しかし、それでも…。Vは意を決してWの部屋の扉を叩いた。


「兄様、紅茶が入りました」
「ああ」


気のない返事。Vが部屋へ入ってきても振り向こうとしない。Wは自分のすぐ向かいに座っている少女に熱のある眼差しを注いでいた。少女もまたWを見つめていた。誰にも邪魔できない二人だけの世界、といった雰囲気だ。こうなっていることはわかっていたものの、ある種の暗い感情が湧き上がってくるのをVはどうすることもできなかった。ただそれを表面に出さないよう、必要以上に慎重になってガラス製のテーブルの上へカップを置いた。ほとんど音はしなかった。しかし少女に夢中になっていたはずのWは一人分のカップしか置かれる音がしなかったことに鋭く気付いた。


「おい」


Vがこの部屋に入ってから初めてWの視線が少女から逸らされた。険しい表情でVのことを睨んでいる。兄の言いたいことはわかる。Vは暗い想いが色濃くなるのを覚えながら、努めて冷静に応えた。


「彼女は紅茶を飲みません」
「今日は飲むかもしれねえだろ。なあ、名無し」


Vに見せた苛立ちとは打って変わった柔らかさで、名無しという名の目の前の少女に問いかける。


「はい」


クリアな発声で、名無しはそう一言だけ発した。Wは勝ち誇ったような顔をVに向ける。Vはこれ以上の反論は無駄と悟り、諦め顔で自分が飲むはずだった紅茶をWの紅茶の隣に並べた。


「兄様、失礼しました」


扉を開ける前に、Vは一度振り返形式通りの挨拶をした。WはやはりVに見向きもせず、名無しに熱心に紅茶を勧めていた。閉めかけた扉から名無しの「はい」という従順な返事が聞こえた。

しばらくしてカップを下げにWの部屋へ行くと、Vが思った通り、空のカップは一つだけ。手つかずのまますっかり冷たくなった紅茶を、Vは苦々しい表情でシンクへ流した。



.
次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ