ごちゃまぜ

□暗殺者の憂鬱
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それは名無しが城下町で所用を済ませ、城門を潜ったすぐ後のことであった。向こうから馬に乗った一団がやってくる。それを見た名無しは道の端に寄り頭を垂れる。あの一行が通り過ぎるまでそこから動くことは許されない。

重々しい鎧で身を包む集団の中で、ただ一人煌びやかに着飾っている青年がいる。彼がこの城の主、ベクターだ。名無しはこの城に使える大勢の女中のうちの一人である。王が通る時は恭しく道を開けなければならない。

ベクターは護衛を引き連れ狩りへ出かけるところだった。今日こそは、以前仕留めそこなった獲物を必ずや仕留めてやろうと、意気揚々と森へ向かうベクターの目の端に、鮮やかに揺れる花が映った。それは名無しが胸に抱えている花束であった。


「顔を上げろ」


頭上から言葉を浴びせられた。心臓が飛び跳ねた。王に声をかけられたのは初めてのことだ。

名無しは命じられた通りに、ゆっくりと顔を上げる。しかし王を真っ直ぐに見据えるようなことはしない。ただ目線を足元から正面に止まった馬のツヤツヤとした毛並みに移し、王の気まぐれが終わるのを待った。

ベクターは従順で控えめな女中の顔をまじまじと眺めた。


「今夜部屋に来い。その花を挿してな」


名無しは目を見開いた。王が女中に対し部屋に来いと命じるのは、すなわち褥と共にしろということである。護衛達が意味ありげに笑みを浮かべた。

女中に拒否権はない。逆らえば冷酷な王に首を刎ねられるだけである。女中の「かしこまりました」という返答を耳に得るまでもなく王は場外へと馬を走らせた。

まるで玩具だと、名無しは思った。下々の意志などあの王はまるで気にも留めないのだ。従うならそれで良し、逆らえば裁く。それも非常に残酷な手段で。王は人が絶望する様を見るのが好きなのだと聞いた。冷たい風が胸に抱えた花を揺らした。



夜、名無しは王の部屋に向かう前に一度部屋に戻り、今朝より少し色褪せてしまった花を髪に挿した。残りはもともと命じられていた通りに広間に飾った。そうやっていつも通りの細々とした雑事を果たしていたが、今夜のことがどうやっても頭から離れず落ち着かなかった。

部屋を出る前に、いつも護身用に身につけている短剣を改めて手に取る。護身用ではあるが、本来はベクターを殺すため名無しに与えられたものである。いつか彼女が王のお手付きにあった時、ベクターの寝首を掻くために、彼女の後見人から持たされたものだ。名無しは反国王派の刺客であった。ずっとこの日を待っていた身であるが、失敗すれば命はない。どんな残酷な方法で処刑されるかわからない。暗殺に成功したとして無事に逃げられる保障はない。しかも名無し自身はベクターの苛政を知れども特別な恨みがあるわけではない。平穏に女中として過ごせるならばそれで良かったのだ。まったく気の乗らない、恐ろしい勤めである。しかし既に逃げ道はない。名無しが今夜王の寝室に行くことになっているのは既に周知の事実となっている。当然暗殺計画の黒幕たちも知るところである。役目を放棄すれば今度は黒幕たちに口封じに殺されることになるだろう。躊躇いがちに握った短剣は鈍く重く光っていた。



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