ごちゃまぜ

□暗殺者の憂鬱
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婚礼の日、名無しの花嫁衣装に後見人は涙を流した。娘当然に愛していた、その彼女が宿敵の元へ嫁ぎやがては夫を殺す。名無しの後見人の一人息子は何の咎もなく王に無実の罪を着せられて殺されている。彼の胸中は複雑極まりなかった。


「頼んだぞ、我が娘よ」
「はい」


後見人は、名無しがベクターを殺すことを躊躇い今日まで実行に移せずにいたのは、ただ善人が人を殺すことに惧れをいだくのと同じだと、娘が優しい心の持ち主だからだと、そう理解していた。そのことを名無しはわかっていたので、酷く後ろめたい気持ちであった。


「寄る辺ない身である私のことを、あなた様が娘と呼んでくださることがどれほど嬉しいか、この胸の内をすべて曝け出せたらいいのに」


名無しの目にも涙が浮かんだ。そこへ新郎が護衛を引き連れてやってきた。


「ハハッ、二人揃って涙浮かべて、麗しい親子愛だなァ。おっと、ほんとの親じゃなかったな。お前の本当の子供は……ヒヒヒ」


突如現れた王に、名無しと王の重心である後見人は丁寧に頭を下げ、彼を迎えた。すべての事情を知っている名無しは後見人を哀れに思い、改めて王に嫌悪感を抱いた。だが後見人はそんな悲惨な出来事などまるでなかったかのように涼しい顔をして王を迎え入れている。後見人は老獪であった。

式は大観衆が見守る中行われた。名無しの震える手を、後見人はベクターに引き渡そうとしたまさにその時、


「おお、我が妃よ……なーんちゃって!ヒッヒヒャハハハハハ」


下品に笑い出すベクターを、名無しも後見人も観衆たちも唖然と見守った。


「まだわかんねえのか?最初からお前を妃にするつもりなんか無かったんだよ!本気にしてた?残念!名無しちゃんは純粋だなァ。遊び心だよ、ほんの遊び心!ヒヒヒ」


遊び心ですませられる嫌がらせではない。この婚礼のために婚礼衣装の準備や持参金の用意、国中にお触れが出され、渦中の名無しだけではない、すべての者がこの狂言に振り回されてしまった。

観衆たちがざわめきはじめ「かわいそうに」「元々妃にするつもりなんかなかったんだ。あの子に恥をかかせたかっただけに違いない」「まるで生贄ね。お気の毒に」同情の声が名無しの耳に届いた。それがかえって辛くて、この場を走り去りたい気持ちでいっぱいなのに、ベクターにきつく腕を掴まれていて逃げられない。後見人は悔しさと憎しみを心に秘め、ただ諦め顔で王の酔興が終わるのを静かに待っていた。


「なんとか言ってみろや、偽りの花嫁様?ンッフフフハハハ」
「…ベクター様が愉しまれるのであれば、わたくしはなんでも…構いませんの…」


涙が止まらなくなり、名無しの言葉の最後の方はほとんど途切れ途切れであった。ベクターの嫌味はまだ続いたが、名無しは懸命に我を失うのを堪えた。

ベクターが飽きる頃には集まった観衆たちはほとんど散り散りになり、下劣な心の者たちばかりが残っていて、虐められる名無しの姿を悦び「ベクター王万歳!」などと騒ぐものばかりであった。

名無しは幾度となく隠し持った短剣で王の胸を抉りたい衝動に駆られたが、結局それは単なる衝動止まりで、行動に移されることは決してなかった。



***



「王を、殺すぞ。よいな、名無し」
「はい」


後見人と陰謀の仲間たちが輪になって囲む中央にいる名無しは何を今更、と思ったが、どうやら今回は、リスクを避け、もしできるならば、などという生易しいものではないらしい。本気で王の暗殺計画を実行させる。近日中に王の護衛を寝所から遠ざけることが可能となったという。その日、王の寝所を取り囲み、名無しとの情事の最中に武装集団が寝所に襲いかかり王の首を獲る。


「お前には恥ずかしい思いをさせてしまうが、構わないか?」
「何を言う。この女が暗殺を躊躇うからいかんのだ。婚礼事件ではお前の顔に泥を塗られたが、元を正せばすべてこの女のせいだ。この女には今まで王を殺すチャンスなどいくらでもあったはずなのだ」


後見人の言葉に他の陰謀者が言葉を被せ名無しを責める。しかし名無しは動じなかった。あまりに酷い思いをさせられた後だから、感覚が鈍ってしまったのかもしれない。名無しは計画のすべてを受け入れた。今度こそ、王は死ぬだろう。ここにいる者たちの手にかかり殺されてしまうだろう。それでいいのだ。名無しは静かに頷いた。



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