ごちゃまぜ

□暗殺者の憂鬱
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何事もなかったかのように名無しの日常は過ぎた。

妃になったわけでもあるまいし、側女として扱われているわけでもない。ただ一度気まぐれのお手付きがあっただけ。しかし処女喪失のあの夜を詳細に思い出さないわけではないが、もう忘れようとも思った。あのような狂王なのに、乱暴にされて、痛がる姿を下品に嘲笑われ、嬲られて、全部終わって、殺そうと決意した時に、唐突に優しくされた。その時の想いが今なお名無しを混乱させる。ベクターは決して##NAE1##を愛したわけではない。ただの気まぐれだ。それはわかりきっている。ただ、あんな風に優しく人に接することもできる王を、殺すなんだなんて……。

今後召し出しがなければ名無しを実行者とした暗殺計画はとりあえず暗礁に乗り上げることになる。大恩ある後見人たちの想いを裏切ることにはなるが、このまま王とは縁のない、どこにでもいるただの女中として生きられれば一番だと思っていた。

一方ベクターはあの夜のことなどまるでなかったかのように、多くの女中の中の一人として、つまりどこにでもある石ころのように名無しを扱った。城の中で過ごしていれば名無しがベクターを見ることもあったが、ベクターが名無しを気にする様子はまるでなかった。道端にある小石に気を留めることがないように名無しを通り過ぎていく。他の美しい女中を幾人か召し出したとも聞いた。ベクターは略奪と殺戮と酒と女が何よりも好きなのだ。

乱暴にされたとはいえ王に操を捧げた名無しの女としての心は傷んだ。だが、狂王よ、それでいい。名無しは、後見人に対する恩知らずとは思いながらもこのまま何事もなく月日が過ぎていくことを願っていた。

しかしベクターは本当に気まぐれな男である。今まで存在を無視するかのように振る舞っていたのに、道をあけ慎ましく頭を垂れる名無しに、ある日突然、久しぶりに再会した旧友に話しかけるように声をかけるのだ。


「久しぶりに来いよ。待ってるぜ」


いつどこに何をしに行くかは言わずと知れている。本当に気まぐれな男だ。人をぞんざいに扱って。あの男は自分を中心に世界がまわっていると思っている。頭を下げたまま去っていくベクターの足元を斜めに睨む。今度こそ王を殺す。どれほどリスクがあろうと、それが自分の使命なのだ。



***



寝室の様子はすっかり変わっていた。豪華な調度品に飾られているのは変わらないが、調度品すべてが一新されていた。あの救世主のタペストリーもなくなっている。代わりに大小様々な大きさの多様で美しい絵画が飾られていた。名無しは驚いた。あれほど気に入っていたものをすべて取り払ってしまったとは。


「すっかり模様替えをされたのですね」
「すぐ飽きちまうんだよ。だが略奪物には困らねぇ。ヒャハハ」


ベクターは今宵も至って上機嫌だ。今度はどこの国からどういう風に奪ったのか、自分が他国を蹂躙し多くの人間を苦しめたことを、愉快極まりないといった様子で滔々と語りだす。やはり彼は狂人なのだ。名無しは冷めた気持ちでそう思った。

眠りに就く時、強く名無しをきつく抱き締めることは変わらなかった。抱き枕にされていれば短剣は取り出せない。

この王は自分が上半身を起こすだけで、染み付いた警戒心からだろうか、何か変わった気配があれば、すぐに目を覚ます。王たる者いつ何時命を狙われるかわからない。特にベクター王に反感を持っている者も多い。そのため普段は多くの護衛をつけているし、寝所の用心も怠らない。女一人に何もさせない自信はあったが、万一のためベクターは寝台の上に大剣を飾っている。優秀な武人である王自身でなければこの大剣を扱うことは不可能であることを承知の上でだ。ベクターはもし召し出した女たちが妙な真似をすればこの大剣で容赦なく首を落としてやろうと思っていた。

それは名無しも察していた。だから一層慎重になる。結局二回目のチャンスも逃してしまう他なかった。口惜しさはもとより不思議な安心感まで覚えることに名無しは首を傾げた。



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