ごちゃまぜ

□暗殺者の憂鬱
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隣から寝息が漏れはじめてから十分な時間が過ぎた。名無しは意を決して目を開く。火を落とした部屋は暗闇であったが、既に目は慣れているので事を行うに支障はない。王を起こさないよう静かに半身を起こす。寝台の下の散らばった衣服の中にあの短剣が隠されている。頭の中でシミュレーションする。手を伸ばして短剣を取り、それを王の首にあてがって、ありったけの力を込めて切り落として……。

不意に名無しは吐気をもよおし咄嗟に片手で口を、もう片方の手で胃のあたりを抑えた。なんとか嘔吐は堪えたが、不快感から瞳に涙が溜り呼吸が荒くなる。深呼吸をして気持ちを静めようと努めたがなかなかうまくいかない。この計画は、寄る辺ない名無しに温かく手を差し伸べてくれた恩人の悲願なのだ。自分にできる恩返しはこれしかないのだ。今がまさにその時ではないか。こんなことでどうする。こうしている間にベクターが目を覚ましでもしたら……


「どうした。気分でも悪いのかァ?」


心臓が口から飛び出そうになった。気付けばベクターが横になったまま片手で頬杖をつきこちらに目を向けている。名無しは動揺のあまり「は……」だの、「いえ……」だの、てんで意味をなさない言葉の断片を無意味に繰り返すことしかできなかった。


「処女喪失がそんなに辛かったかァ?安心しな。そのうちこのベクター様が味を覚えさせてやるからよ。ヒッヒ」
「も、申し訳……」


今度は彼女がうまく言葉を発せなかったわけではない。ベクターが名無しの唇を塞いだのだ。先ほどまで繰り返された蹂躙するような口づけではない。優しく唇をあてがっただけだった。ベクターは先ほどまで乱暴していた彼女の身体を壊れ物を扱うようにそっと撫で、乱れた名無しの髪を整え、唇を優しく舐めた。

されるがままにされていて名無しはぼんやりと思った。今晩の計画は中止だ。彼は酔い潰れはしなかった。しかも寝台の上には女の身ではとても扱えない大きさの大剣が飾られている。疑り深く用心深い王の、万一の保険なのだろう。きっと自分が短剣で王の心臓を刺す前に即座に手にした大剣で首を落とされてしまうに違いない。そして暗殺計画は露見して名無しの恩人である後見人たち反王派は根絶やしにされる。だから、今夜は中止だ。


「ん?」


ベクターは何かに気付いたように寝台の下に目をやった。短剣が隠してある衣類の近くだった。万一短剣の存在に気が付かれた時は護身用に持ち歩いているものと弁解するつもりではあったが、名無しはヒヤリとした。弁解が通じるかどうかわからないからである。

しかしベクターが見つけたのは短剣ではなかった。それは今朝がた頭に差してこいと命じた花だった。情事の最中に乱れた髪から落ちてしまったのだろう。形の崩れた花を整えて名無しの頭に飾った。


「よく似合ってるぜ」


そう言って##NANE1##の頬に触れ軽く触れるだけのキスをした。不思議と不快には感じなかった。好きでもない男とのキス。それも先程まではあんなにも酷い扱いを受けていたのに。一体どういうことなのか。だが、今はそれについて考えるべき時ではない。気が進まないとはいえ使命は使命だ。二度目のチャンスを作るために王に媚を売らねばならない。今夜は中止でも二度目のチャンスを窺わねばならない。


「ありがとうございます。優しくお情けをかけてくださって、名無しは果報者でございます」


ベクターはヒヒッと彼独特の下品な笑い声をあげ「これからもかわいがってやるよォ」と一言、彼は両の腕に名無しを抱き締めた。きつい束縛だった。やがてベクターは再び眠りにつき、名無しを抱き締める腕が緩んだ。そっと逃げようと腕の中から出ようとするとしっかり抱きしめられてしまう。時間を置いて逃げようとしてもやはりダメだった。眠りの中にあっても決して名無しを手放さない。やはり、今夜の計画は中止だ。今日は不可能だ。

そう結論付けた名無しは恐ろしい計画をとりあえず延期できることを嬉しく思った。それは自分が国王殺害という罪とリスクから一時的にでも逃れられるからだと名無しは理由づけた。それ以上は今は考えまい。身体も心も疲れきっていた名無しは再び目を瞑った。



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