ごちゃまぜ
□砂上の楼閣
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ベクターの上機嫌が崩れたのは、アリトが人間界にやって来てからである。名無しがアリトと話しているのを見ると、無性にイライラする。苛立ちばかりが先行し、その根にあるものはベクター自身にもさっぱりわからない。苛立ちの理由が見えないことがより一層ベクターを苛立たせる悪循環だった。如何ともしがたい怒りの矛先は、暴力という形で名無しに向けられた。これは堪ったものではなかった。泣く泣く我が身を捧げ、従順なまでに言いなりになっているというのに、これ以上一体どうしろと言うのか。まったくわからない。どれほど泣いても謝ってもベクターの不機嫌はおさまることがなく、むしろ苛立ちが増しているようにさえ見えた。
ある時、アリトと話す名無しが笑っているのを見かけて、ベクターは気付いた。名無しはベクターと一緒にいる時に、一度もあのように笑ったことがない。
「名無し」
突如後ろから低い声で呼びかけられ名無しは肩を震わせた。ベクターだ。また、暴力を振るわれるのだろうか。恐る恐る振り返ると、やはり、この頃いつもそうしているような仏頂面のベクターがこちらを見据えていた。
「どう、したの」
ベクターは名無しを睨み付けたまま押し黙っている。名無しは困ったように眉を下げた。この頃はわけもなく殴られることも稀じゃない。出来る限りベクターと同じ空間にいたくない。話もないのならすぐにでもこの場を離れたかった。しかし呼び止めたのに逃げたとあってはそれこそ追いかけられ何度も殴られる羽目になりかねない。もっとも被害が少ない選択をするならば、仕方なしにその場にとどまってベクターの言葉を待つより他はなかった。
「笑えよ」
しばらくしてようやく言われたのがそれだった。名無しはさらに困惑した。それは一体どういう意味なのか。
「それはどういうことなの……いたっ、…痛いっ!」
真意を問い質そうとしたが、逆効果だったらしい。乱暴に髪の毛を掴まれ思いきり引っ張られた。そのまま鼻先まで引き寄せられ、ベクターは怯える名無しの瞳を覗き込んだ。
「名無しチャンはこォんな簡単な言葉も理解できないほどバカなのかァ?笑えって言ったんだよ。笑ってみせろよォ!アア゛!?」
「ひっ……!」
名無しはわけもわからないまま脅された通りに口角を上げてみせたが、痛みと恐怖がこびりついたまま無理に笑おうとしても、到底笑顔とは呼べない奇妙で歪な表情にしかならなかった。台無しだ。ベクターは舌打ちを一つしてして名無しの頬を平手で張った。
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