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□君に幸あらんことを
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私の好きな人には想い人がいる。
タイミングが違ったらまた別の人生があったのかもしれない。
「いやー今日まであっという間だった。四季さんが居ないと寂しくなるよ」
「お世話になりました。そんな事言ってもう新しい女中さんを雇ったって山崎くんから聞きましたよ?」
今日は女中として屯所で働く最後の日。局長室に呼ばれ、お茶とお菓子を頂きながら近藤さんが労いの言葉をくれた。この部屋ももう来ることは無いだろうと思うとしんみりしてしまう。
「情報が早いですなァ。その件は本当にすまないと思っているよ」
近藤さんはそう言って肩をすぼめて頭をかくその姿に笑ってしまう。近藤さんは年上なのに時々見せる仕草が可愛いと思ってしまうのは惚れた欲目だろう。
「冗談ですよ。むしろ人手不足の時に退職するので申し訳ないです」
「めでたい事なんだからそんなに謝らんでください!四季さんの事だから引き継ぎはバッチリなんでしょ?」
そもそも私は知り合いの山崎くんの紹介で真選組屯所の女中として働きはじめ、気づくと一番の古株になっていた。幸い同じ女中さん達はみんな朗らかな人ばかりだったからこんなに長く続けられたのだと今なら思う。
勿論です!と答えると近藤さんは安心したように笑ってその度に胸がキュンと高鳴った。
「四季さんがしっかりバトンを渡してくれると思ったから新しい子を雇ったんだ。それにしても本当に送別会も選別もやらんで良いのかい?」
「お気遣いありがとうございます。代わりにまたお仕事したくなったら土方さんに掛け合って貰いますから」
そう、近藤さんは長年働いてくれたんだから送別会をやろうと提案してくれた。でも山のように仕事があるのに一女中の為に時間を割いてもらうのも気が引けたのでお断りしたのだ。
「そんな事ならお安い御用だ。でもなぁ長年働いてくれたのに何一つ記念に残らないのも寂しくない?欲しい物があったらなんでも言ってくれないかい?」
「記念って素敵な職場仲間が出来ただけで充分ですよ」
この職場で近藤さんや土方さん、沖田さん、山崎さんや真選組の隊士達、女中仲間、両手でも溢れてしまうくらい沢山の仲間ができた。それだけでもう十分だ。
仲間以外で欲しいものはあなたです。なんて口が裂けても言えないんだから困ったものだ。私は少し考えてからちらりと近藤さんを見た。
「あえてお願いするなら……近藤さんにおぶってもらいたいです」
「えええそんな事で良いの!?つかこんなゴリラにおぶられたいの!?」
いい歳をした女がおんぶを要求するなんて予想外だったんだろう。でもずっとこの人が見ている世界を感じてみたかったのだ。近藤さんは驚いて正座を崩し身を乗り出した。
「だって近藤さんが一番背が高いでしょう?一度背の高い人の目線を体験してみたいって思ってたんです」
「ゴリラは否定しないんだ。相変わらず四季さんの発想は面白いなぁ。そんなので良いなら構わないが、ここで良いのかい?」
「それなら庭に行きましょう!桜も咲いてきた事ですし」
子供じみた提案に嫌な顔一つせず近藤さんは了承してくれた。本当に優しい人だ。
稽古をする時に使う道場の前には大きな桜が咲いている。局長室を出ると2人でそこへ向かった。
近藤さんは外履き用の下駄に履き替えると私の目の前にしゃがんだ。この人の背中は大きいなと思うと急にドキドキと鼓動が強くなってきた。
「では失礼します」
おんぶしてもらうだけでこんなに緊張するものなのか。声が震えそうになるのを抑えながらそっと近藤さんに寄りかかった。
「大丈夫かい?立ちますよ」
こくりと頷くと「よっ」という掛け声と共に目線が高くなった。目の前に広がるいつもより高い視界に感動していると近藤さんは桜の側へ歩き始めた。
好きな人におぶられている。胸の鼓動が収まない。少しの無言でも戸惑ってしまい何か話さないとと口を突いて出たのはなんとも女の子らしい言葉だった。
「あの、重くないですか?」
「これくらい屁でもない。それにしても四季さんは軽いな」
「それセクハラになりますよ。でも近藤さんの見ている世界ってこんな感じなんですね」
見上げると桜の枝が手を伸ばせば届く距離にある。景色を目に焼き付けながらそっと桜の花びらを撫でた。近藤さんも私の様子を見ながら時々落ちないように体勢を直しながら呟いた。
「俺にはいつもの風景に見えるが四季さんには新鮮なんだな」
「はい!とても楽しいですよ」
「少し歩くかい?」と聞かれ頷くと庭をゆっくり一周歩いてくれた。その優しさも、この風景ももう見ることは無いだろう。そう考えると寂しい気持ちになったが歩くたびに振動が伝わってきてああ今が一番幸せだと感じた。
「おや近藤さん、四季姉さんにセクハラですかィ?」
一通り庭を歩いてもらい風景を堪能し近藤さんが縁側で私を降ろしてくれた。タイミング良く見回りを終えた総悟くんが珍しいものを見たと言うような顔でやって来た。
「総悟くん。お疲れ様です」
「違うからね!これは四季さんに頼まれたんだ。そうだよね?四季さん!!」
そうかセクハラになってしまうのか。なんだか悪い事を頼んでしまったと反省しながらも必死な近藤さんが可愛いと思ってしまう。
「ふふ、真選組で一番背の高い人が見てる景色を知りたくなってお願いしたの。総悟くんもどう?」
「四季姉さんも変わった人ですねィ。俺はゴリラ臭くなりそ……とりあえず遠慮しておきやす」
「ねえ総悟ゴリラ臭くなりそうって言いかけたよね?四季さんも笑ってないでフォローして下さいよ」
近藤さんが目に見えて落ち込んでなんだかおかしくて3人で笑ってしまった。こんな風に何気ないことで笑い合えるのも最後なのだ。
それから思い出話に花を咲かせていると土方さんがやって来た。
「おー居た居た。井川、迎えが来たぜ。玄関で待たせてる」
「土方さんありがとうございます。それでは私はこれで失礼しますね」
迎えが来てしまった。今日は仲人の松平さんも一緒なのだろうから待たせてはいけない。もう少しだけこの人たちと居たい気持ちに蓋をして立ち上がった。
玄関まで見送ろうと近藤さんは言ってくれたけどここで大丈夫とお断りした。これ以上一緒に居ると決意が揺らいでしまうのだ。
「そうか、じゃあ元気でな。また働きたくなったてくれ。俺たちはいつでも歓迎だからな」
「四季姉さん寂しくなったら連絡くだせェ。相手しますぜ」
土方さんと総悟くんがそう言ってそれぞれ自室戻って行った。残されたのは近藤さんと私だけになり近藤さんはすこし考えてから私の大好きな笑顔で手を差し出した。
「四季さん今までご苦労様でした」
「はい。こちらこそありがとうございました」
大きな手を握り握手をしていたらうんと優しい声で囁かれた。
「幸せになるんだよ」
この人は本当に良い人だ。今想いを打ち明けたら困らせてしまうだろう。寸前まで出た言葉をぐっとこらえて笑顔を作った。
「近藤さんもお妙ちゃんと上手くいくように頑張ってくださいね。応援してます」
「ああ、きっと振り向かせてみせるさ」
「きっとですよ?それでは、失礼します」
手を離して深々と一度お辞儀をして振り返らずに夫となる人の待つ玄関へ足を進める。
肩越しに見た景色は一生忘れない。広くて逞しい背中も近藤さんの男らしい香りも人の良さそうな笑顔も全部全部。思い出は綺麗なままにしておこう。
あの人を好きで良かった。歩きながら溢れそうになる涙を上を向くふりをして誤魔化した。
2018/09/30 執筆