story
□深緑の森の真白い羽根
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ロザが落ちた。
飛行中のことだった。
僕の後ろへ、当たり前についてきたロザが。
気付くのが遅く、上空から地上に目をやっても彼の姿はない。
「早く見付けないと。
もし万が一、羽根が折れてたらいおい・・・、あいつ・・・」
嫌でもその情景は浮かんだ。
折れた羽根を見て、絶句する彼。そして、もう二度と飛べないんだと現実に追い立てられる姿。
そんなこと・・・ただの考えすぎなのに、悪い思い込みなのに。
慎重に先ほど通った空路を辿り、彼を探す途中。
ふと、雨の匂いがした。
「雨雲が来る・・・」
より事態は難と化した。
彼は天使になりたてで、まだ羽根の仕舞い方など細かいことを知らない。
それを分かりながら、今になって焦る自分に腹が立った。
事前に教えておけばよかった。彼の教育係なのに・・・。
自分も未熟だ、と感じた。
天の使いになってからもう5年もたつ。
階級はエレベーター方式に、職歴を元にして上がっていく。
だから自分は今、やっと養成者になれているのだ。
そうでなければ、愛する人一人守れない自分が昇進できるわけじゃない。
「あ、」
気付くと、本心が素直になっていた。
紛いない真実、彼が愛おしい・・・。
この思いは・・・つい、さっき、伝えた。
だから彼との会話はぎこちなかった。
想い故になのか、そう悩んでいる最中の騒動だった。
地上には永遠と続く深緑の森。
ざわざわと葉音をたてる木々は、これから来る雨風の大きさを物語っている。
嵐のはじまり。シトシトと降り始めた雨は、次第に地へ叩きつけるようにその強さを増していく。
仕方なく地上に降りたカイトは、背中の見えない羽根をしまい、一本の木に寄りかかった。
ロザは・・・どうしているだろう。ほんの1時間にもならない長さなのに、会えないのが酷く辛い。
1秒でも早く抱き締めたいのに、地上は探しにくい。
カイトは不確かな足取りで走り出す。
ほとんどの時を空で過ごす使者たちは、あまり歩行は得意ではない。
地上に降りるのは、一部の人にある能力を授与するときのみだ。
もちろん使者たちの姿は人には見えないのだが、霊として存在を感じる人も中にはいる。
「地上って何年ぶりだ?」
まるで自分に問いかけるようにカイトは呟いた。
立ち並ぶ木々に身を支えられ、やっと歩けている。
彼に降ってくる雨は、木々の重なりのおかげで少なく済む。
問題はロザの居場所。
この森を抜ければ、その崖下には村がある。
ナムラというその村は、天使たちにとって危険な場所だ。
何しろ人口も多く人口密度も高い。故に霊感もしくはそれ以上の力で、僕たちの存在に気付く者もいる。
「はぁ・・・。」
溜息をついたカイトは、なぜか自らの手で頭を打った。
だめだ・・・そんな悪い考えばかりが脳裏を巡る。
誰よりも辛くて寂しいのはきっと、ロザなのだから。
カイトは長く湿った土の上を歩いていた。
なぜかその時間の方が、彼と過ごしてきた時間よりも長く思えた。
俯きかけたそのとき、カイトは目前の光景に目を見開く。
そこには、
白く神秘な輝きを放つ羽根の山。
まさか・・・。
カイトはしゃがみこんで、それを手に取り香をかぐ。
ラベンダーの、甘く、爽やかな香り。
ロザが常時持参している香り袋と同じ匂いがした。
何より、彼の体まで付着したその匂いは、自分の感性が一番覚えていた。
落ちているということは、彼は真上に?
おそらく、木々の枝に手を捕られているのだろう、身動きができないかもしれない。
カイトは呼びかけた名前を唇に封じ込めた。
羽根を搔き集め、丁寧にスカーフでくるみ終えた彼は、迷いなく自らの羽根で飛び立った。
雨も、風も、彼の思いの妨げには、決してならなかった。
羽根が濡れているにも関わらず、飛行速度はその速さを保ち続けている。
霞める葉たちでさえも彼の目には止まらない。
高く天にそびえる木の中ほどまで来たとき、カイトは少し上方で白く光る何かを見つけた。
ロザ!ロザ!ロザー!!
彼は自然と、ロザの名前を心の中で何度も呼び続けていた。
そして、立ち止まったその光の中には、神隠しのような彼がいた。
息を切らしながら眠るように目を閉じて、体を木に預けている。
「ロザ・・・」
所々肌に傷が目立つ。外傷は浅くすんだようだ。
しかし、白い肌に浮き立つ傷痕は、悲しくなるほど痛々しい。
案の定、彼は太い枝と細い枝に囲まれるように、木の本元に横たわっていた。
カイトはそれらの自分に妨げになるものを一つ一つ乱暴に折っていきながら、彼に近づいていく。
無我夢中で枝枝を駆け抜く彼は、別人にも思えた。
それほど必死で、やっとのことなのだ。
あと一メートル。
そう思った瞬間。
ロザを支えていた木の枝が強い風によりうねりだし、葉と共に彼もろとも振るい落としていった。
「ロザ!」
鋭い枝に触れながら目の前で急降下していく彼を、カイトは猛スピードで追った。
あと数センチで手に届く。
そんな状況が長く続き、徐々に地上との距離は縮まっていく。
「地面が、」見えた。彼が落ちる。
精一杯の力で手を伸ばした。
奇跡的にその手は彼に届き、腕を引き身を寄せさせた。
「あ。」
安心した瞬間。羽根を仕舞うのを忘れたまま、地面に落ちた。
彼を強く胸に抱いて、願い守るように。
叩きつけられた地は、雨のおかげで土壌が緩く、草もある程度生えていたため、痛みはさほど感じなかった。
だけど不思議で、その直後、深い眠りに襲われたのだった。
誰かの泣く声が聞こえる・・・。
悲しい色の声だ。
ロザ?
また泣いてるのか、懲りないな。
そんな穏やかな心情を乱すように、ふと目は開く。
頭上には、ロザがいた。
泣き声なんか聞こえない。
だけど、なぜか目は枯れた色をしていた。
そして微笑みさえない、少しも。
「ロザ?」
僕は体を起こし、傍に座る彼を抱き寄せる。
急な抱擁に、彼は体を小さくし、カイトに包まれた。
「ごめん、カイト。」
彼の肩に顔を埋め表情を隠したロザは、そっと呟いた。
最初ははぐれたことを詫びているのだと思った。
「長旅だったもんな。
少し疲れたんだよ。」
カイトは労いの言葉をかけ、ロザの後頭部を優しく撫でた。
彼の髪は、こんな雨天でもくっきり冴える蒼白をしている。
染めてないところが好き、周りにも染められないところが好きだ。
「・・・違うんだ。
カイト、僕を守ってくれた。
だから・・・」
そのあとに続くこと言葉を僕は知っていた。
羽根を仕舞わず地に叩きつけられたことを、覚えていたから。
予測はしていた。
いつか消え失せてしまう羽根なら、いま折れたって構わない。
自業自得だが、何よりも彼を守りたかったから、よかった。
「お前のせいなんかじゃない。
脆い羽根のせいだよ。
それと少し反射神経が鈍ってきたせいかもな。」
そう笑って彼に言った。
本心だから。
そして、自分のことよりも彼のことが心配になった。
「お前は大丈夫か?
まだ走り出しだからな。
傷付きでもしたら、」
彼の背中に触れた刹那、カイトは思わず硬直していた。
ない・・・羽根の柔らかな感触が、全く。
もう一度、探るように背を撫でる。
だけど彼は無言のまま、その手から逃れるように巻きつく腕から離れた。
「お前、」
「こうしなきゃ、一生木の上で過ごすことになってた。」
つまり、彼は僕への目印代わりに羽根をむしった、というのだ。
僕はそれを聞いて、ただ沈黙するしかなかった。
「カイトは僕を守ってくれて、結果羽根は折れた。
僕も、カイトに見つけてほしくて、そうした。」
馬鹿だ、と思った。
まだ使いになりたてなのに、この使命の喜びを知らずに空へ戻るなんて、無念すぎる。
そうカイトは思ったが、彼がやっと笑顔を浮かべたのを見て、叱るのは止めた。
「その笑顔が好きだ。」
愛しさに焦がれて彼の体をこちらへ近づけ、口付けをした。
目を閉じ受け止めるロザは、やはり可愛い。
けど、体を離して顔を覗き込むと、彼は笑って
「何でだろ・・・。」と目から溢れ出す何かを指で拭っていた。
ゆっくりその手にカイトは手を伸ばし、止めさせた。
「もう少し、自分に素直になれ。」
こめかみにキスをして、彼を強く抱き締めた。
すぐさま彼のこころはカイトに溶かされていく。
抱きついたロザは、嗚咽を漏らしながら泣いた。
様々な感情が溢れて、涙を伝う。
彼と近づけて、嬉しい。
だけど、どうやってその愛情を返せばいいのかが分からない。
幼い自分が憎い。
言葉にしない僕は、弱いんだ。
口にしてしまえば、空気中に消えて、それっきりな気がして。
こんなに好きなのに、愛しく想うのに。
「Rasca Rasca・・・」
なぜか口から出た言葉は、外界語だった。
「何て意味?」
「教えない。」
彼の知らない言葉でも、教えない。
言葉は色を失くしていくものだから、それよりもこの静寂を大切にしたい。
こんな荒れ狂う森の中が、僕らの物語のはじまりの場所。
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