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□☆Je te veux−あなたが欲しい−
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「…んとにもう、ちゃんと閉めろよな…」
いつもの放課後の見回り。
化学室に入ると、カーテンが夕暮れの風にたなびいている。
閉めようと近寄った窓の外には、見慣れた茶髪のツンツン頭。
「うす…」
声をかけようとした美咲は碓氷の向かいに立つ女生徒に気付き、あわててカーテンの陰に身を隠した。
(告白、か…)
碓氷と付き合い始めて数ヶ月、「彼女いるから」と断るようになったおかげでかなり減ったと聞いたが、なかなかゼロとはいかないらしい。
その「彼女」が誰かわからない、というのも原因のひとつではあるのだが。
人の告白を盗み聞きする趣味はない。
そっと立ち去ろうとした美咲の耳に、風にのって女生徒の声が聞こえてきた。
「碓氷先輩!あの、付き合って欲しいなんて贅沢は言いません。私の…初めてをもらっていただけませんか。一度だけでいいんです。私を、……私を、抱いてください!」
(…!?)
驚いて動きをとめた美咲の耳に今度は碓氷の飄々とした声が聞こえてきた。
「…最近の女の子は積極的だねー。でもごめん、無理。俺、彼女いるし」
「…それは、あの、噂で…。碓氷先輩が選んだ人なら、きっと、すごく、素敵な人なんだろうな、って思って……だから、もうあきらめよう、って。でも、本当に一度、一度だけでいいんです!私を…」
「それってなんか意味があるわけ?俺、よくわかんないんだけど?」
碓氷の声は冷たい。
「あ、あの、思い出っていうか、そしたらきっぱりあきらめられる、かな、って…」
まさかの質問だったのだろう、うろたえたような女生徒の声。
「…もうちょっと自分のこと大事にしたら?それに無理だって、俺、彼女にしか興味ないし。…彼女しか欲しいと思わないから。…じゃね」
碓氷の立ち去る気配と同時に、女生徒のしゃくりあげるような声が聞こえてきて、美咲はそっとその場を離れた。
先に他の箇所の見回りを済ませ、再び化学室に戻り窓を閉めた。
…もう、女生徒の姿はない。
(あの子は、確か一年の…)
ちらっとしか見ていないが、あれはよく男子が騒いでいる子だ。
さくらとはまた違ったタイプの、かわいい子。
美咲は頭をかきながら大きなため息をつくと、生徒会室へと向かった。
「かーいちょ、どこ行ってたの。もうみんな帰っちゃったよ?」
生徒会室に戻ると、碓氷が待っていた。
(俺、彼女にしか興味ないし。…彼女しか欲しいと思わないから)
先ほどの碓氷の台詞が脳裏によみがえり、美咲は思わず顔が赤くなる。
「会長?どうしたの?顔赤いよ」
言いながら碓氷は廊下から死角になる位置に席を移動し、美咲を呼ぶ。
「鮎沢、こっち」
役員がみな帰った今、生徒会室を訪れる者はいない。
顧問は良く言えば生徒の自主性に任せる、悪く言えばやる気がない。
ここに来るのは月に一回の定例会議ぐらいのものだ。
帰る前のわずかな時間、二人は恋人同士の甘いひとときを過ごす。
「どうかした?まさか熱でも…」
そう言いながら、そっと美咲を抱き寄せる。
「べ、別に…、何も」
「ほんとに?大丈夫?」
「ああ」
碓氷は美咲の頬を両手で包みこみ、唇に優しいキスを落とす。
何度かついばむようなキスを繰り返し、ゆっくりと美咲の口内へ舌を差し入れ、絡めていく。
「どうしたの鮎沢?今日は積極的だね」
「…なんのことだ?」
「気付いてないの?今日は自分から舌絡めてきてるよ。…気持ちいい」
「え?や、そんな…」
碓氷の言葉に、身に覚えのない美咲はうろたえる。
「やっと慣れてきたのかな…」
碓氷はそう言いながら再び口づけた。
「…意識したら出来なくなっちゃった?」
しばらくして唇を離し、美咲の瞳を覗きこむ。
「や、あの、わからない…」
「別に、無理しなくていいけど」
再び重ねられる唇。
甘く長い口づけに美咲は意識がとろけていくのを感じる。
背中をゆっくりと撫でていく手が心地よい。
こうしていると時間は瞬く間に過ぎていく。
「バイト遅れちゃうね。帰ろっか」
名残惜し気に唇を離し、碓氷が言う。
「え?もうそんな時間か?」
「…鮎沢が戻ってくるの遅いからだよー。…何かあったの?」
「いや。…なぜか今日は窓が開いたままの教室が多くてな」
「ふーん?…ま、帰ろっか」
もう一度触れるだけのキスをすると、二人は生徒会室を後にした。
*****
メイド・ラテのスタッフルーム。
いつもなら寸暇を惜しんで勉強にはげむ美咲だが、今日はさっぱり手につかない。
(彼女しか欲しいと思わない)
碓氷の言葉が何度も思い出されて、そのたび、胸が熱くなるのを感じる。
…碓氷にもっと触れていたい。離れたくない。
帰り際、そう思った自分が恥ずかしくて、いつものメイド・ラテまでの道のりにも、碓氷の顔を見ることが出来なかった。
…ああ、そういえば、あの夢咲の文化祭の時に似ている。
そわそわして、どうも、気が落ち着かなくて。
手を繋ぎたくて、でもそんな自分が信じられなくて、…認めたくなくて。
あの時あいつは何て言ってたっけ?
『こういう時鮎沢って、嘘しか言えなくなるんだよ』
“こういう時”ってどういう時だよ!…そういえばあの時は聞かなかったけど。それから…、
『何か我慢してない?』
いや、あの時はそもそも碓氷が何かを我慢してるって話で、碓氷は…、
『色々ありすぎて一言じゃ答えられないけど』
色々って、まだ何かたくさん我慢してることがあるんだろうか。…それも、確認したことはない。そうなんだ、碓氷はいつだってそうなんだ、あいつは…。
碓氷は、セクハラ大魔王で変態宇宙人で。…一見、言いたいことを言ってやりたいことをやっているように見えるのに、最後はいつも私が気づくのを待っている。
私が自分で答えを見つけるまで、じっと、待ってくれている。
−“好き”って気持ちはもっと違う所からあふれてて−
あれは、誰が言ったんだったっけ?
そうだ、確かしず子が…。
『さくらさんが言っていました。…“好き”って気持ちはもっと違う所からあふれてて、反対されても、自分でもダメだってわかってても、一度この気持ちに気付いちゃったらもう止められないんだよ…って。…私にはよくわかりませんけど、恋愛ってそういうものなんですかね?』
止められない。自分でわかっていても、止められない…。
『だって、好きなら自然なことでしょう?』
これはさくらだ。さくらがこの間…。
『…あのね、美咲、あたし昨日、くぅがくんとね…あの、む、結ばれたの!…今、すっごく幸せなんだ…』
頬を染めて、幸せそうに微笑むさくら。
大丈夫なんだろうか。
また、泣くようなことにならなければいいけど…。
さくらはとても嬉しそうで、でも、私は心配なんだ、そんなこと…。
(なんなんだ、いったい)
美咲は自分自身に問いかける。
私は、碓氷と…?
いや、ちょっと待て、そんなわけないだろ?だってまだ高校生だし、私はせ、生徒会長なんだから。
…さくらだって高校生だけど。…いや、人は人!自分は自分!そんなことで惑わされるな!
だいたいそういうのは男が考えることで私は女だろ!?
うん。女らしくはないけど、一応…間違いなく、女、だし。
男ならともかく、そんなわけ…。
―…?そういえば碓氷は、どう思っているんだろう。
あれだけセクハラ変態宇宙人なくせに、付き合い始めてからは…キスはするけど、…もう、いい加減にしろ!って言いたくなるくらいするけど…いや、別に私だって嫌な訳じゃ、…ない。
気持ちよくて、時々、もうどうなってもいいような…、そんな気になる。
でも、あいつはそれ以上は…ってこれじゃして欲しいみたいじゃないか!そういうことじゃなくて!
実は、あいつの部屋に行く時はいつもちょっと緊張してる。
だって、男と女で、二人っきりってことは、当然…。
でも、一緒にいるといつのまにかそんなことは忘れてしまって、ただ、一緒にいられることが楽しくて、嬉しくて。
碓氷と一緒にいると安心するんだ。
特にあの広い胸に顔を埋めて、碓氷の匂いを胸いっぱいに吸い込んで…他の男子は男臭くて不快なのに、なんであいつはあんないい匂いなんだろう。
あれがもしかして“フェロモン”ってやつなのか?
…あのまま眠れたら気持ちいいだろうな。
碓氷の胸に顔を埋めて、そのまま眠れたら、…すごく幸せな気がする…うん。
そう思いながら頭に浮かんだ情景に、美咲は頭に一気に血が登り、爆発したような気がした。
ななな、なんだ今のは!!…なんで二人とも、は、は、裸なんだ!服着てていいだろ、ふ、服着せろ!服!…あーっ!もう考えるな!無理だ!無理無理無理無理、無理!
なんなんだ私は!欲求不満か!?頭がおかしくなったのか!?わ、私は、せ・い・と・か・い・ちょ・うだ〜!っつってんだろ!
美咲は、頭を打ち付けるようにテーブルに突っ伏した。
…違う、生徒会長だとかそんなことはどうでもよくて。
碓氷が私しか欲しくないって言ったのと同じように、私も、碓氷しか欲しくない。
それが真実だ。嘘やごまかしはやめよう。
そうなんだ、私も…碓氷が欲しい。
…でも、“欲しい”ってなんなんだろう。
私は本当にそういうことがしたいんだろうか?
“欲しい”ってそういうことか?
どうなんだ?
頭の中に靄がかかり真っ白になった。
もう何も考えられない。
私は、何を求めている…?
……休憩終了3分前。
美咲は臥せていた顔を上げ、睨むように前を見ると、
「女は度胸だ!!」
そう叫んで、携帯を取り出した。
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