Novel

□くろのうさぎ
1ページ/11ページ




 しゃーんしゃーんしゃーん。


 やかましいセミが、がなりたてとる。
「暑い」
 ぽつりと弟がこぼした。
 中天を過ぎたお天道さんは、まだまだって言い張るみたいにうちらを睨みつけとった。
「暑いんはみんな一緒。我慢しぃ」
 ちらっと弟を見やって言うと、うちは汗ばんだその手を握りなおして、少しだけ歩調を速めた。
 雲も、飛行機も見当たらない青空を、すい、とトンボが横切っていく。
「今日はゼロ戦飛んでかんなぁ」
「せやなぁ」
 ぼへぇっと生返事しながら、うちは繋いどる手をゆらゆら揺らした。
 汗のせいで首筋がちょっとかゆい。繋いどるのと逆の手でそこをかいたら、何や余計かゆうなった気がした。腹立つ。
 父さん大丈夫やろか。
 父さんはお国のためにって言うて、ずっと南の島に行った。南は、ここよりもずっとずっと暑い言うから、かゆいんも、のど渇くんも、ずっとひどいんやろう。
「さー姉」
「何や」
「ゼロ戦ていつ飛ぶん?」
「……うちが知ってるはずないやん」
「えーつまらんの」
 ゆらゆら位やった手をぶんぶん振って、純粋に、そうむっちゃ純粋にお国を信じとる弟は、唇をとがらせる。
 ホンマは知らんわけやない。具体的な日時なんかは知るわけあれへんけど、敵の船とかB29とかが来よる時やっていうんは、子供のうちにやって分かる。最近、こないたくさんゼロ戦が飛んでくってコトは、そいだけそいつらが近くまで来てるってコトで。
 ……日本はもうやばいんかもしれへん。口に出しはしぃひんけど、みんな薄々そう思っとる。言わんのは、非国民や、って怒られるのんと、何や、ホンマになってしまいそうな気がするからや。
「つまらん言うたかて、天下の一女学生が知っとってみぃそないなコト。大問題やぞ」
 ホンマに日本が勝っとるんなら、何で海で撃ち落とされとるはずのB29とかがうちらの頭ん上を通ってって、爆弾とかを落としてくんや。言わんけど。わざわざ不安にさせることもあれへん。
「せやなぁ、さー姉ってむっちゃ平凡やもんなぁ」
 しばらく考えとってやっと納得したんか、うんうんとか頷く。失礼な。
「やかましわ阿呆」
「阿呆言うた方が阿呆なんやでー」
 決まり文句の反論持ちだして、べぇっと舌を突き出してみせる。
「阿呆言うてないで早よぉ帰んで」
「また阿呆言うたー」
 飛行機の影一つ見えへん空に、つい、とまたトンボが線を引いていった。
次へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ