Novel

□Gods in the field
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Gods in the field


「僕はね、神様になりに行くんだよ」
 彼は言った。ほっこりした穏やかな声だった。
 彼はひと月後に戦地に行くことが決まっていた。
 冬なのにとてもあたたかい日だった。暖房を入れていなかった部屋はもしかしたら外よりも寒かったのかもしれない。日当たりのいい窓際のソファで、ホットワインのカップを抱えて。縮んだ筋肉の一つ一つを、くしゃくしゃになった紙を広げるようにそうっとのばして。ぶあついマグカップごしにじんわりとぬくいワインはとろりと揺れていた。そんなにいいワインじゃなかった。スーパーで売っている安いので、それでも少し甘いその匂いは悪くなかった。
 私は子供がするようにカップを両手で持って口をつけた。喉を通り過ぎたその味もさほど悪い、というわけでもなかった。
「神様って? 全知全能とかそんなカンジの?」
 私はなぜ彼がそんなふうに言ったのかさっぱり分からなかった。というか、おかしくなったのかなあと思っていた。薄情にも。
 だって、戦地に行くのに。人を殺しに行くのに。何で、神様。
 彼は私の問いに首を振った。
「違うよ。そうじゃないんだ」
 何て言ったらいいんだろうね、と少し困ったように私たちの間にあったテーブルみたいな色をした髪を掻く。テーブルは炭のように真っ黒で、触ったら何だか手が黒くなりそうだった。
「つまりね、完全無欠じゃなくて、何か矛盾してる、現実の神様」
 分かる? と、その目が聞いていた。私は全然、と短く答えた。
「んーとね。例えば、モーセの話での神様」
 一口、カップに口をつけて、一言一言言葉を探しながら彼は語った。
「彼は神の力で紅海を割って彼の神を信じる人を対岸に渡したよね」
 そして追いすがるエジプト軍は閉じた海に沈む。そんな話。
「それから、ノアの箱舟もそうかな」
 世界を創りかえることにした神はある限られたもの以外を全て洗い流した。
「神様は自分を信じるもの、善きものを救う」
 腹に流れ落ちたワインがほかりとする。
「だけれど、敵対するもの、悪しきものをためらいもなく殺してしまう。そしてその基準は神様自身のものだ」
 一方で命を助け、一方で切り捨てることに、きっと神様は疑問を抱かない。
 そこまで聞いてようやく言いたいことが何となく分かってきた。
 ホットワインは大分冷めてしまった。カップごしにはもうぬくみが分からない。口をつけたら少しあたたかかった。
「でも海に入らなかったエジプト軍は生き残ったし、泥を泳ぐ魚ならきっと洪水を生き延びたよ?」
 私は言った。
「そうなんだ。さっきの話だけなら僕は神様を矛盾してるとは思わない。矛盾っていうのはここなんだ」
 カップに視線を落とすとたぷりと深紅が揺れる。血のように。
「何故神様は自分を信じなかったものを全て排除しなかったんだろう?」
「本当は殺したくはなかった、とか?」
「なら最初から海を割るなんてまどろっこしい真似なんてしないで、逃げる人々を対岸に移せばいいし、全てを洗い流さずに別の世界でも用意すればよかった」
「あそっか」
 だからね、と彼は微笑んだ。
「僕はね、神様は今自分に害となるものを排除して、威を示したかったんじゃないかって思うんだ」
「身勝手だね」
「うん、身勝手だ。そして……僕は、そういう神様になりに行くんだ」
 穏やかな昼下がり。ひたひたと日の光が部屋の奥にまで伸びていく。
「この国が是とするものに反する人を殺して、……もちろんそれは全てじゃないけれど、そしてあの国にこの国の正義を示しに行くんだよ」
 身勝手にも。
 彼は微笑む。
 同時に彼は、きっと誰かを助けもするだろう。
「それは怖い?」
「そうだね。きっと怖い。僕は神様になりに行くけれど、神様ではないから」



 そして彼は戦場に行った。



 今日も私達は窓際のソファで、ホットワインを飲んでいる。
 違うのはワインの銘柄と彼の腕に引き吊れたような傷ができたことだ。あのワインはスーパーで売らなくなった。一口含むと前のよりも少し渋い気がした。
「それで」
 私は聞いた。
「あんたは神様になったの?」


 彼は静かに微笑んだ。





(end)
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