smoker
□その題名は
1ページ/5ページ
オープンテラスの一番端、2本の葉巻を口にくわえ、眉間に深い皺を刻み込んでは海賊の手配書を睨みつけている。
そんな人が、今日は葉巻を灰皿に押し付け、珈琲を飲みながら、活字の整列した本を読んでいる。
変わらず眉間に皺を寄せ、一定のペースでページがめくられていく。
時より、思い出した様に珈琲を口へ運ぶ。目線は文字を追ったまま、本をカップから遠ざける。その何気ない仕草で、やっぱり優しい人なんだと思える。
もともと本を読むのは好きだったけれど、スモーカー大佐のそんな姿を見て以来、明らかに私の読書時間は増えている。
朝の開店前、休憩時間、ちょっとした空き時間や勿論家に帰ってからも、暇さえあれば本を読むようになった。
本の内容が面白いというのは勿論だけれど、出来れば少しでもスモーカー大佐との接点が欲しかった。彼が好むものを、私も好きでいたかった。
私が勤める喫茶店に、よくいらっしゃる海軍のスモーカー大佐。
休憩がてらうちを利用してくれるのは、オープンテラスがあり見渡しがいいから。
そんな、お客様と店員、海軍大佐と一般的市民でしかない。でも、私が抱いているのは一種の憧れで、どうしたいなんて思いはなく、ただ目でその姿を追っていた。
最近、活字中毒とでも言うのだろうか…、喫茶店までの通勤時間は歩きのため本を読むことは無かったのに、朝読み始めた本の続きが気になって、歩きながらも読むようになってしまった。
そんな危険な事をしていたのがいけなかった……
どんっ、と真正面から何かにぶつかり、下を向いていた私はそのままよろけて倒れ込みそうになった。
「大丈夫か」
そう、腕を引き上げてもらえていなかったら、確実に足を捻っていたと思う…
「す、い、ません…!申し訳ありません、お、お怪我は…」
まくし立てて謝りながら、そう言いかけて言葉が詰まってしまった。
見上げた先にいたのはあのスモーカー大佐で、私が思い切りぶつかってしまったのもそのスモーカー大佐…
途端に、慌てるどころか停止してしまいそうな思考。
ぽかんとして言葉を紡げないでいると、大佐がフッと微笑んだ。
「そりゃこっちの台詞だ」
ぐんっと急上昇した体温に、早鐘をうつ心臓。まともに目なんて見ていられない。
「本が好きなのはいい事だが、歩きながらは危ねェな」
「はい…、すいませんでした」
深々頭を下げてその場を後にした。
その日は港に何組か海賊が現れたという噂を聞いた。その為か、スモーカー大佐は店にはいらっしゃらなかった。
いつもなら残念でならないけれど、今日ばかりは有り難かった。
私の顔を覚えてはいないだろうけど、私は頭にこびりついて離れない。さっきから同じシーンがひたすらにリプレイされて仕方がないのだ…
「お疲れ様です」
お店のシャッターを閉める店長の背中へ声をかけ、家路を辿る。
ただ、どうしてもむずむずしてしまう…朝読んでいた本の続きが、今更気になりだしてしまった。
かといって、朝の様な事を繰り返すわけにはいかない。
しかし家まではあと約20分程、早歩きしても15分。15分…、15分…、うーん……
と唸り声を漏らしながら歩いていると、普段気にして見ていなかった街頭の下に、ポツリと3人がけのベンチがあった。まるであつらえたかのようなそのセットに、私が飛びつかない訳がなかった。
キリのいい所まで、次の章まで、そう思って読み始めたものの、なかなか本を閉じる事が出来ない。
もう少し、もう少しとページをめくり、気づけば残りはあと僅か。よし、もうここまで来てしまったのなら最後まで……
「本当に本が好きなんだな」
「…!」
思わず、ページをめくりかけていた手が止まった。
声のした方を見やれば、白煙を吐き出しながらゆっくりとこちらへ近づいてくるスモーカー大佐の姿があった。
気づけば、明るかったはずの空はもう薄暗くなっていた。
「なかなかいい場所を見つけた様だが、今日はもう帰れ」
白煙と共に吐き出された言葉に、思わずすいません!と謝り、弾かれたように立ち上がった。そのまま本を鞄へしまい込み、スモーカー大佐へ会釈をして歩きだす。
思いがけずこんな所で大佐に出会うだなんて、と嬉しいやら驚いたやらで強く脈打つ胸に手を当て、落ち着かせようと試みるが、後ろから何故かそのスモーカー大佐も此方へ歩いて来るためになかなか収まらない。
ちらりと後ろを確認すれば、しっかりと眼が合ってしまった。しかし上手く言葉も出ず、不自然に逸らしてしまうと「派出所に戻る」と一言スモーカー大佐は呟いた。
そうして一定の距離を保ったまま歩き続け、家の側まで来た。
「あんたの家か」
私がふと向けた視線の先を、スモーカー大佐も見ていた。
そこで、大佐がわざわざ私を送ってくれたのだと気付いた。
「あ、ありがとうございます!」
気付いた時には、もうその大きな背中は私の先にあった。
こんな時くらい、なるべくはっきりと、でも結局は少しどもりながら投げたその声に、スモーカー大佐は軽く右手を挙げてくれた。