crocodile
□フライングバースデー
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白い指が、黒いコートの袖口へと伸びる。
指が触れる寸前で、腕ごと砂へ変えた。
「何か用か」
「…いえ、袖口に、糸がついておりましたので」
行く手を無くした指先は静かに引き戻され、何事も無かったかの様に組まれている。
「これをオールサンデーの元へ持って行け」
「はい」
分厚い封筒を投げて寄越せば、取り落とすまいと両腕で抱え込む。
何処かたどたどしい動きで扉を開ける背中をじっと見やる。
「おい」
「はい……、っ!」
何の気なしに呼びつけてみれば弾かれた様に振り向くものだから、そいつは自分で開けかけた扉に頭を打ち付けやがった。
「い……っ…」
「チッ、鈍い奴だな。さっさと消えろ」
「すいません…、申し訳ありません…」
おれに頭を下げ、扉にもペコペコと頭を下げる。そういう所が鈍いと言うのにこいつは何時までもたっても理解しない。
暫くすると、オールサンデーからも頼まれたのだろう、似たような封筒を持ってまた現れた。
案の定オールサンデーからの言付けだとしてそれを机に置き、立ち去ろうとする背中にまた呼びかける。
「おい、こいつをかけておけ」
自身が着ていたコートを脱ぎ、これだと顎でしゃくって見せる。
すると皿のような目を更に丸め突っ立っていたが、早くしろと促せば慌てて側までやって来る。
そしておずおずと、白い指をコートへ伸ばす。
「やっぱりいい」
しかし、その指先が触れる直前でコートを砂へと変えた。
「!…、」
「珈琲を持って来い」
「、…はい」
砂になったコートを見つめながら、その黒い瞳が揺れる。
顔を俯けたままおれに背を向け扉へ向かう。その背中が見えなくなるまで見やっていると、同じ扉からオールサンデーが現れた。そして当然の如く不自然な砂の山に目をやる。
「あら、これは?」
「“コート”だ。丁度いい、片付けておけ」
「あんまり名無しさんを苛めていては懐かなくなるわよ?」
本当に勘の鋭い女だ。しかし…
「生憎あいつはペットでさえない」
暫く前、砂の中に捨てられていた女を拾った。
他意はなく、ただ灼熱の砂漠の中どれだけ放置されていたかは知れないが、意識を持ち生き長らえていたのが貧弱なただの女だった事に少し興味が湧いた。
持ち帰り水をかけてやれば悪くない顔と身体を持っていて、更に従順で汚れを知らず、そこそこ学のある女だった。
オールサンデーの様な機敏さは一切無いが、比較的広い知識を心得ていて、何より命の恩人だとおれに生涯をかける忠誠を誓った。
それはまさに犬の様に、おれを見かけるや目を輝かせてはそれでも静かに3歩後ろを着いて来る。
「じゃあ、捨て駒の弾避け?」
「クハハハ!わざわざあんな鈍い女を弾避けなんざに使わねェさ」
「あら、名無しさんに言えば喜んでかって出るでしょうに」
何がそんなに愉快なのか、弧を描くこいつの口元がいやに不愉快でならない。
「それなら、暇つぶしの玩具として置いてるのかしら。あの子は見ていて飽きないものね」
「ハッ、あいつの事をほりさげたってそれだけあいつの無能さを暴くだけだから止めてやれ」
「あら、随分冷たい言い方ね」
「何だ、今更あいつに興味があるならくれてやるぞ。最近やけにうろちょろとして目障りだった所だからな」
待てと言われれば何時までも待ち続け、命令しなくとも不用意にあいつ自らおれへ近づく事もしない。無駄口も叩かず今まで余計な真似など一切する事のなかったあいつが、最近やけにおれの周りに寄ってくる様になった。
何時もより僅かに近い距離、何時もより僅かに多い口数、積極的とは言い難いが、今までにないくらいおれに手を伸ばそうとする。
だから今日の様に遊んでやれば、いつもへらへらとしているくせに、酷く悲痛な目をしやがる。
「あら、じゃあ遠慮なく頂戴しようかしら」
「あいつがお前の役に立つのか?」
「えぇ勿論、色々と」
「失礼致します」
自分から切り出した話しだが、ノックの音と共に現れた女を改めて見たとて、何かの役に立つとは到底思えない。
覚束ない足取りで、今にも珈琲を乗せたトレーごとひっくり返しかねない。
こんな女、やはり弾避けにさえ使えない。
「おい、こいつを片付けろ。そしてお前は今からオールサンデーの下に付け」
砂の山に目配せをし、当人には目もくれず書類を片付けながらそう告げれば、「はい」という何時もの返事が聞こえた。