crocodile
□例えばね、愛を語るなら 貴方のその腕で。
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『名無しさん、ブランデーを持って来い』
低く、甘い声に、私は抗えない。
電伝虫から響いた声の通り、私はブランデーの入ったボトルと、空のグラスをふたつ…彼の部屋へ持って行く。
「失礼致します」
私は給仕では無い。しかし時々、彼の部屋へ、彼の要求物を持って行く。
そんな時は決まって…
「あぁっ…!」
艶やかに鳴く女性がいる。
「あァ、早かったな」
彼はベッドから起き上がると、私からブランデーを受け取りボトルから直接口に含む。
そして淫美な肢体を惜しげもなく晒すその女性に覆い被さると、口づける。
彼が女性にブランデーの味を尋ねれば、女性は色を含んだ声で彼の名前を呟き、その唇に縋る。
「名無しさん、もう戻れ」
「失礼致しました」
「随分と健気なのね」
「ミス・オールサンデー様…」
「フフ、それ呼びづらいでしょう?」
“英雄”として誇っていた彼に心を奪われた。しかし、そうで無いと知った今も私はこの城にいる。
むしろ当たり前かもしれない、彼女がニコ・ロビンであると言う事も知っている女を、今更外へ出す訳が無い。
「…決して、健気などでは……」
「愛した男が他の女を抱いている様を見せつけられても、文句どころか眉ひとつ動かさない。これって凄い事だと思うわよ?」
「文句なんて言えませんよ。まだ命は惜しいですから」
「あら、それもそうね」
「…何より、私はあの方の“モノ”なだけですから」
その腕に抱かれた事も無いのに、誰かとの情事を咎められるわけが無い。
私は彼の“女”では無いのだから。
『名無しさん、ワインを持って来い』
今日も、その声の通り彼の部屋へ向かう。
「失礼致します」
扉を開けると、直ぐに飛び込んで来るなまめかしい声。
昨日の人とは違うけれど美しいその女性は、何度も彼の名前を呼び、激しい快楽の声を上げている。
彼はベッドから起き上がると、私からワインボトルを受け取り…
昨日と同じ事を繰り返す。
ここ最近、ずっと同じ様な事を繰り返している。女性の好みによってお酒の種類が変わるくらいで、他はずっと、同じ事が。
今日も、後は彼の言葉を待って終わりだと思ったのだけれど…
「クロコダイル様…」
「あぁ?」
「そこの彼女も、仲間にいれてさしあげたら宜しいのに」
実に妖艶な笑みを浮かべ、私へと視線を向けるその女性。
「なんだと?」
「見ているだけなんて可哀相ですわ。ねぇ?」
そう同意を求められても、私はどうとも返事をし兼ねる。
「黙れ、誰がコイツなんぞ抱くか」
彼に、名前を呼んで貰えるのが嬉しかった。
バーで働いていた私がここへお酒を届ける様になってから、彼は私の名前を呼んでくれる様になった。顔を見れば声を掛けてくれて、いつしかここに来ては彼の部屋へ顔を見せに行くのが日課になっていた。
そして両親を事故で無くし、身寄りの無くなった私を引き取ってくれた。
例え彼が“英雄”などでは無いと知っても引き返せない程、私は彼の艶やかな声に呼ばれる事が好きだった。
「失礼致しました」
彼の部屋を出てあてがわれた自室に戻ると、少量の荷物を持って、その部屋も後にした。
「おい、ロビン。名無しさんを見なかったか」
「名無しさんなら昨夜出て行ったわよ?」
「なに…?」
「あら、ご存じなくて?てっきりあなたの了承済みだとばかり」
「そんなわけあるか。チッ…、アイツの親戚は何処だ」
「さぁ?あなたが知らないのなら、私が知るはず無いわ」
「クソが…」
「でも、“今更”出て行ったのなら、もう何処かへ“帰る”というつもりでは無いんじゃないかしら?」
「…」
「少し、“愛情の裏返し”が過ぎたみたいね。サー・クロコダイル」
もう、私に“帰る場所”などは無い。強いてあげるならば“土にかえる”くらいで。
彼が何であろうと構わなかった。別に愛されていなくとも、構わなかった。
でも私は、これから先も愛される事が無いと知り、絶望してしまった。
それなら、耐えられない。私の中の浅ましい心がそう嘆いた。
そんな私がかえる場所は、砂だけ。
吹き荒ぶ砂嵐に、フードを深く被りなおす。
「死ぬなら、おれに抱かれて死ね」
砂嵐は形を成し、私の四肢を絡めとる。
「…何を、しにいらしたんですか」
「お前を抱きに来た」
彼が何であろうと構わなかった。
「お前が死ぬまで抱いてやる」
愛されていなくとも、構わなかった。
「だから帰るぞ、名無しさん」
ただ、私は彼を愛している。
例えばね、愛を語るなら 貴方のその腕で。
(私は…抱かないのではないんですか?)
(あんな女と一緒になんか抱くわけないだろう)
(…よく分かりません)
(分からなくていい。感じろ)
―――――
名無しさんさんを嫉妬させたかったのです。そして見栄っ張りなのです。
そして素直に謝れないのです。