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□一人の人間として
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「たぬたんが好き」
たぬたんは言葉を失っていたが、彼の頭を撫でながら言った。
「……梵天丸様。そのお気持ちは母君へのお気持ちと類似したものです」
天然痘のため母親から化け物扱いされた梵天丸。親からの愛情がまだ必要な年だ。
ずっと年上で、彼が本当に小さな頃から世話をしてきたたぬたん。母親代わりであったと言っても過言ではない。梵天丸は彼女を慕っていたからだ。
「母上への?違うったぬたんの好きは、母上と違う」
「!」
「梵はたぬたんに見ていて欲しい。大きくなっても城主になっても、父上の子としてじゃなくて梵を見て欲しい!」
1人の人間として
涙を目一杯溜め、必死で訴えてくる。わざと怪我をしかけていたのも自分を見て欲しいから。子どもの純粋な行動はたぬたんの胸を締め付け、梵天丸を抱き締めさせた。
「梵天丸様、もういいのです、もういいですから……っ」
まだ着替えていなかったため、水が彼女の着物に染み込んでいく。そんなことも気にせず抱き締めた。梵天丸はそれに気付き、嬉しさと悲しさでとうとう涙を零した。
「ねぇ、どうしたら梵を梵と見てもらえる……?」
日が暮れかけた頃、たぬたんは泣き疲れて眠った梵天丸のために布団を敷き、部屋を出た。と、池の前に小十郎がいた。
「小十郎殿」
呼び掛けると小十郎ははっと彼女の方を向いた。
「たぬたん殿っ申し訳御座いません」
「良いんです。それよりも、義姫様の御容態は持ち直してきておられます。ただしばらくは御養生になられると」
「そうですか……」
元々たぬたんはこのことを報告するために小十郎の所へ来たのだ。定期的な報告、それは義姫には内密にしていることであった。
もし自分に仕える者が化け物と呼んだ子どもの敷地に出入りしていると分かったら。たぬたんは間違いなく追われるだろう。
「しかし、ここまで帰りが遅いと怪しまれるでしょう」
「小十郎殿が野菜を届けに来てくださったついでに話をしていたと誤魔化しますよ」
主を騙すのは心苦しいですけどねと苦笑し、たぬたんは小十郎から手土産として野菜を受け取り、主の元へ戻った。姿が見えなくなり、小十郎は目を瞑って謝罪した。
「たぬたん殿……盗み聞きをして申し訳ない」
その言葉は誰に伝わるでもなく、ただ夕暮れに消えていった。
ある日、突然小十郎が告げた。
「たぬたん殿が母君様の侍女から外されたそうです」
理由は信頼に値する人物ではなくなったから。恐らく梵天丸の所へ足を運んでいることを誰かが告げ口したのだろう。その部分は無論梵天丸には伝えない。
「城から出て行くそうです」
「たぬたんともう会えなくなるの?」
悲しみが読み取れる表情。先日の会話を聞いた小十郎。彼はその問いに答えられなかった。その時、庭に彼女が現れた。
「たぬたんっ」
梵天丸は裸足で飛び出し彼女に抱きついた。
「お久し振りです梵天丸様、小十郎殿。もう噂は届いているでしょうか」
微笑みながらそう告げる彼女が痛々しかった。別れの挨拶に来たのだろうか。その律儀さが余計に辛くさせるであろうに。梵天丸は彼女を見上げた。
「これからどうするの?」
「私にはもう両親はおりません。親戚伝いに世話になろうかと思っております」
「それなら、梵のところに来て!」
「梵天丸様……」
たぬたんの顔から笑みが消えた。その優しさが嬉しい。だが、ここにいることで義姫の彼への不信感を更に高めさせてしまうかもしれない。
「私はもう十分幸せを頂きました。ですから今度は貴方に幸せを差し上げたいのです」
どうかこのまま私を見送って欲しい
子どもというのは未来の幸せより今の幸せを欲する。今さえ幸せならばそれで良い。だから梵天丸は思いを伝えた。
「いやだ!梵の幸せはたぬたんが梵を見ててくれること。だから梵から離れないで。大きくなっても城主になっても、梵はずっとたぬたんが好きだから……!」
あぁ、貴方と言う方は。1番苦しめて1番辛くなる言葉を下さる。でも、それ以上に。
「私は……ここにいても宜しいのですか?」
泣くほど温かくさせて下さる。
「もうこんな時間か……」
青葉城の城主、伊達政宗は大きく伸びをした。布団を抜けて障子を開け廊下を歩く。暖かい陽射しが庭も廊下も照らしている。
と、前方に座っている女性を見つけた。振り向いたその女性の表情は昔のような城主への作り笑いではなく、柔らかい微笑み。
政宗は彼女を背から抱いた。肩口に顔を埋め、そっと髪を撫でた。
「政宗様」
「もう少し、このまま」
変わらない優しさ、変わらない愛しさ。幸福を与え続ける彼女がいる限り、自分は伊達政宗という1人の人間に見られているのだと実感する。そう感じる度、思いを口にする。
「I love you」
これからの生涯を、貴方と共に。
完