倉庫


□右目に触れて
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――母上?母上
近寄るな、化け物!


はっと起き上がり外を見た。まだ暗く月明かりが照らしている。

この目のせいで梵は母上に捨てられた
みにくいから
人ではないように見えるから
だったら、他の者も例外ではない

たぬたんも本当は……




「梵天丸様、天然痘らしいな」
「それも右目に」
「時期城主として大丈夫なのか?」

城のあちこちからそんな話が聞こえてくるようになった。梵天丸自身もその話を何度か耳にした。症状はとうに治まった。ただ、"痕"が残ったのだ。
醜くなった右目。それが彼にとって劣等感となり暗くさせてしまった。そんな彼を同情する者より恐れる者の方が圧倒的に多かった。

「人ではない」「伝染するのではないか」
彼が傷付くことも考えず周りが口々に言う。部屋に籠もりがちになり居場所を失った梵天丸。
そんな彼を心配し、隠居させることにしたのが父、伊達輝宗であった。しかし、隠居と言っても彼の中では後を継がせるのは梵天丸としていた。
梵天丸の家臣である小十郎は無論付いていき、そしてもう1人、世話係のたぬたんも供をしたのだ。それが数ヵ月前の話。




「梵天丸様、勉学の時間ですぞ」

梵天丸は小十郎と向かい合い、机上に置いてあった書物を開いた。

「時期城主たる者、兵の動かし方を知らねばなりませぬ」
「小十郎」

不意に梵天丸が口を開いた。

「梵は城主になるのか?」
「突然何を仰います。貴方は輝宗様の長子、当然でしょう」
「でも、梵は右目が見えない」

周りの者達の話を聞いてしまったか。小十郎は内心彼らに舌打ちし、梵天丸を説得する言葉を考えた。

「右目を失った程度で貴方のお役目は奪われませぬ。それほど長子は大切な存在なのです」

しばし梵天丸は黙り込み兵書に目を落とした。戦で兵の命を握っているのは自分自身。判断を誤ればどうなってしまうか言わずとも分かる。
しかし、それに加えて兵には主君を守る義務がある。自分の右目が死角になる以上、世話をかける可能性も考えられる。

「皆の迷惑になりたくない」

右目のせいで暗くなった性格は、城主という重みで余計に暗くさせた。

「梵天丸様」

小十郎は立ち上がり、梵天丸の前に座った。その真剣な面持ちに思わず彼は背筋を伸ばした。

「今の梵天丸様を見ていて、自分の非力さに腹が立ちます。何かお役に立てぬかと考えていましたが、私にはこれしか思い付きませぬ」

そう言うと小十郎は懐から小刀を取り出した。何をするのかと見ていたが、その刃先は梵天丸へと向けられた。

「小十郎?何を……」
「梵天丸様、お許しを」

小十郎は彼の顔を自分の方へ向かせ、刃先を右目に刺した。


――ツプ

「あ゙あ゙……っ!」

悲鳴とも言えぬ声。小十郎は顔を歪めて小刀をぐるりと回し、目を抉り出した。血が刃を伝っていき畳の上に落ちる。痛みと予想もしていなかった出来事に驚愕し、梵天丸は恐怖で震えた。
小十郎は小刀を置き彼に土下座をした。

「梵天丸様、このご無礼許してくれとは申しませぬ。私の命は既に貴方様のもの。この小十郎、これからは梵天丸様の右目となります故」

その言葉は梵天丸の脳に響いた。




小十郎に右目を取り出されて以来、梵天丸は少しずつ昔の明るさを取り戻していた。その様子を見て、夜、たぬたんは彼の寝床を用意している時に嬉しそうに笑った。

「梵天丸様、以前のように明るくなられて何よりです。小十郎殿のお陰ですね」
「たぬたんも、だ」

少し恥ずかしそうに布団を掴みながら言った。

「梵を見捨てずに付いて来てくれた」

何の役にも立てていないと感じていたたぬたんにとって、その言葉は心に染みるものであった。

「それが助けになっていたのであれば、たぬたんは嬉しいです」
「うん」

梵天丸は布団に潜り顔だけ覗かせた。視線をたぬたんに向けると、彼女は彼の左目を手で覆った。目の前が暗くなっても温かさが伝わってくる。梵天丸はそれに安心し目を瞑った。
しばらくそうしていたたぬたんは、彼が眠ったのを確認してそっと立ち上がった。

「―――」

梵天丸が震えた声で小さく呟いた。たぬたんは目を見開き、音を立てないよう障子を開けて素早く部屋を出た。


早くここから離れないと

しかし、彼女の意志に反して足が震え、その場に座り込んだ。目の奥が熱くなり涙が零れた。嗚咽も同時に出掛かったが手で必死に抑える。

「(せめて声だけは)」

その時、廊下を歩いていた小十郎が彼女に気付いた。小走りで近付き肩を揺する。

「たぬたん、どうした」
「……っ」

障子が開いていたので部屋の中を覗いたが、梵天丸の身に何か起きた訳ではないと悟り、障子を閉めて彼女を立たせ、自分の部屋に連れていった。たぬたんはとうとう抑えていた嗚咽が零れ始めた。

「母上と……夢の中で呟いておられました」

小十郎はたぬたんの伝えたいことを理解し、彼女の頭をそっと撫でた。

「私ではやはり彼の母親の代わりにはなれません。彼のためにと思っても」
「たぬたん……」
「あのお方の心を支えたいのに、表面しかお救いできない。心の拠り所になるどころか、苦しくさせる一方で」

小十郎の背に腕を回し、強く着物を握り締めてこれ以上嗚咽を出すまいと彼の胸に顔を埋めた。
母親の愛情が彼には必要。だが、それは同時に恐怖も与える。あの時の、存在を否定された時のように。

梵天丸様……私はどうすれば貴方をお救いできるのですか?
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