倉庫


□いつかまた この庭園で
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「孫堅様、御身体は大事ないですか?」

廊下でばったりと孫堅と出会った新顔の彼。孫堅は安心させるように笑って彼を見た。

「お前はこの間ここへ来た……」
「陸遜伯言です。覚えていて下さり光栄です!」
「うむ、呂蒙が見込んだ男だからな。心遣いすまない」

荊州での戦が終わってから安定した時期に入った。孫堅が黄祖に撃たれた傷は一時危険な状態だったが、今は歩ける程に回復していた。
彼は顎に手を当て陸遜を見た。強い意志を宿した目。その目に彼は興味を持った。

「(この者なら任せられるかもしれん)」

自室とは反対の方向に向かって歩き出したため、慌てて陸遜は彼に尋ねた。

「お部屋に戻られなくてよろしいのですか?あまり遠出されるのは」
「なに、すぐそこさ。大切な者と会う約束をしているのだ」




着いた場所は庭園。昨夜の雨で地面はぬかるんでいる。
この季節、豊富な水分と栄養を吸収し、多数の花が咲いている。花は雫を花弁に乗せて輝いており眩しかった。
地を見ると奥の方へ足跡が付いていた。辿っていくとそこには少女の姿。

「たぬたん」

そう呼ばれた少女は顔を上げ、心配そうな顔をした。

「大殿!矢傷が痛むのではないですか?」
「痛みはしない。仮にそうだとしても、お前との約束を破る気はないがな」

少女、たぬたんは俯き加減に視線を逸らした。恐らく照れているのだろう、髪を触って隠そうとしている。孫堅は微笑んで更に庭園の奥へと足を向けた。

「少し散歩しようか」
「あ、はい」

会話はせず、ただ静かに雰囲気を味わう。
奥にあるのは広い花畑。赤や黄の飾りを付けた植物が辺り一面広がっている。控えめに後ろを歩くたぬたんに気付き、不思議そうな顔をして振り返った。

「どうした、いつもは横を歩くだろう」
「あ、その……背後から襲われてはいけませんから」

荊州での話を聞きそうしているのか、それを口実に離れているのか定かではない。孫堅は苦笑して彼女の手を握った。たぬたんは驚いた顔をしたが、強く握り返す。

「力が強くなったな」
「毎日剣を振るっていますから」
「あまり強くなりすぎると、私の威厳が無くなるな」
「……大殿は第一に国のことを考えなければならない御方。私達が命を賭して御守りしますから、お気になさらなくて良いのです」

彼女の柔らかい笑みに孫堅は目を細めた。

「貴方は命の恩人です。素性も知れない私をここまで育てて下さった。今度は私が恩を返す時です」
「返したら、それで終わりか」
「え?」
「お前は私の元を離れるのか」

綺麗だと思っていた辺りの飾りが邪魔に思える。たぬたんは黙って孫堅の顔を見上げた。彼女の表情は驚いているのか悲しんでいるのか分かり辛い。

「(こうもこの娘の心は分からないものだったろうか)」

手を離して花畑に入り、白の飾りを1つ摘み、それを彼女の髪に挿した。

「……奥方に贈られた方が御喜びになられますよ」
「花の命は短い。消えかけたものを贈りに行くより、輝いている時に傍にいる者に贈る方が花も喜ぶ」
「私に花は似合いません」

飾りに触れ、それを取ると孫堅に渡した。

「もう甘えてくれる年ではなくなったか」
「……」
「時が経ちすぎたか」
「もう止めてください!」

突然の静止。言葉が自然と止まった。彼女が泣いているのだ。

「もう……長くないのでしょう 分かっていますから」
「どうした急に。考えすぎだろう」
「気のせいだなんて言わせない!それに大殿だって知っているはずです、その花言葉を」

孫堅は手の中にある先程摘んだ白い花を見た。植えさせたのは孫堅自身。辺り一面全て色は違えど同じ種類の花。
庭園で会う約束をした時から気付いていた。それでも知らない振りをしていようと決めた。彼がそれを望んでいるのなら。しかし、花を贈られた瞬間その気持ちは消えてしまった。

「どうして贈ろうとなさるのですか?余計悲しくなります」

涙を流し続ける彼女を抱き締めた。びくりと動いた肩も背も全てを強く収め、もう一度髪に花を挿す。今度は払おうとはせず、たぬたんは孫堅を見上げた。

「たぬたん。今だけで良い、昔のように父と呼んでくれないか?」
「……っ」

その言葉が己の問い掛けを肯定していた。
やはり貴方の命は――

「父……さん、父さん……」
「ありがとう、たぬたん」
「う……うぁぁぁぁぁぁ!」

同じように回されたその腕は武将のような逞しさはなく、行くなと縋り付く頼りない腕だった。

「お前に会えて良かった」

時に一国の王として、時に父として最後まで慕ってくれた。だから……




数日後、孫堅はこの世を去った。その後を継ぐため、彼の長子、孫策が立った。時代はいよいよ若い世代へと受け継がれ始めた。
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