倉庫
□影
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「陸遜、睡眠を取っているか?顔色が悪く見えるが」
孫権の言葉に陸遜は筆を止め、にこりと笑った。
「取っていますよ。今日は天気が優れず部屋の中も暗いのでそう見えるのでしょう」
「それなら良いのだが……」
「それよりも殿、昨日の書簡でいくつか問題点がありました」
その書簡を広げて話し始めると、孫権は驚いて彼を見た。
「もう目を通したのか。これは急ぐものではないと言っただろう」
「何事も早めが得策。このご時世、いつ何が起こるか分かりません」
それから問題点について意見を述べていたが、孫権の耳にはほとんど入っていなかった。やはりと思い、話が終わった後にそのまま鍛錬場に足を運ぶ。そこには兵を鍛えている女性の姿があった。
「たぬたん」
そう呼ばれた女性が振り向いた。
「これは殿、どうされました」
「今陸遜を訪ねたのだが、あれはどうも睡眠を取ってないようだ」
「え」
「私が言っても聞かないだろうから、お前から休むように言って貰えないか」
たぬたんは兵達を自主鍛錬に切り替えさせ、孫権の話に耳を傾けた。しかし、彼女は肩を竦めて苦笑する。
「私の言葉を素直に聞いてくれるとは思えませんが……一応伝えておきます」
「うむ、頼んだぞ」
鍛錬を終えた後、たぬたんは溜め息を吐き、どうやって説得しようか考えていた。
「どうした、悩み事か?」
凌統が彼女の横を歩き見下ろした。彼も鍛錬の後だったのだろうか、額に汗が浮かんでいた。いや、ヌンチャクに血が付いている辺り甘寧と1つ拳を(一方的に)交えてきたという方が正解かもしれない。
たぬたんは敢えて突っ込まないで口を開いた。
「陸遜が寝てないらしくて」
「らしくてって……会ってないのか?」
「もう一週間は。互いに忙しいし……ほら、陸遜は休んでって言って"はい休みます"って言う人でもないからどうしたものかと」
「方法、ないこともないぜ」
「え、どんなの?」
凌統は人差し指を立て、事も無げに言った。
「なぁに簡単、体を重ねるんだ。疲れた時は自然と眠くなるだろ?」
次の瞬間、凌統は壁にめり込んでいた。
「陸遜、私だけど」
夜、陸遜の部屋の扉を叩くと中から突然大きな音がした。それに続いてバサバサと何かが大量に落ちる音。急いで走ってくる気配がして扉が開いた。
「たぬたん殿!どうしたんですか?」
「随分会えなかったから、今日は仕事を早く終わらせたんだ」
一歩中に入ると空気が違った。第一に木と墨の匂い。書簡が山のように机の上に置かれているからだ。そして空気が濁っている。
「(風通しが悪い)」
それらの状況を確認し、彼に向き直った。
「ねぇ陸遜、ろくに寝てないね」
彼は慌てて首を横に振ったが、たぬたんは間近で彼の顔をじっと見て目の下に触れた。
「睡眠が足りないとここが薄黒くなるんだよ」
所謂隈というものだ。陸遜は言葉を失い下を向いた。
「貴女にだけは知られないようにしていたのに……私を気遣って下さるから、心配をかけたくなかったんです」
「そう思うんだったら睡眠は取ってよ」
「そうはいきません!今、他国に動きが見られるんです。こちらに来る可能性も否定できません、対応策を一日でも早く考えなければ。それに城下の問題もありますし、休んでる暇など「もういい」
たぬたんは陸遜を睨むと背を向け扉を開けた。
「自分の体を壊してまでやることならどうぞご勝手に。それで倒れたとしても知らないから」
強めに扉が閉められ、その場に陸遜と静寂が残る。自分の目の下に指を宛て小さく呟いた。
「……たぬたん殿」