Mizukawa's text

□どこかに灯る、かすかな温もり
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山本武。
彼の名前とその活躍は嫌でも耳に入ってきたし、あの赤ん坊がやってきてからは関わることも増えた。

野球部のエースで背が高くて、いつも群れの中心にいる男。僕に気安く話しかけてくることも、しばしば。
もちろん相手にするつもりもなかったし、ただ煩わしいだけの存在でしかなかった。
どんなにあしらっても気にせず何度も近寄ってきて、いくら冷たくしてもめげずに声をかけてくる。殴り付けても、次の日にはまたへらっと笑っている。
そんなことを繰り返すうちに、僕もだんだんと疲れてしまって、彼を相手にするのを諦めた。

どうせ、単なる好奇心に違いない。すぐに飽きて、勝手に離れていくだろう。





けれど彼は、一向に僕から離れていく素振りを見せなかった。

昼休みには当然のように応接室に来て、べらべらと一方的に喋りながら、父親の作った弁当だのパンだのを頬張る。お節介なことに、僕が昼食をあまり食べないということを知ると、律儀に弁当を2つ作って来るようになった。毎日朝練で早いのによくやるものだと思いながらも、その出来の良い貢ぎ物を彼と一緒に食べるのが、いつの間にか僕の日常になっていた。

変化はそれだけでなく、部活が終わった彼と一緒に帰ることが増えたり、全く興味のなかった野球のルールを覚えたり。たまに屋上で手合わせ(彼曰くトレーニング)をするようになったり。

気付いたときには、僕の日常の至るところに「山本武」という存在が入り込んでいたのだ。





僕ははっとした。

ある日の昼食後、風紀の用事のために応接室から出て帰ってくると、黒く光沢を放つソファに横たわる山本武の姿があった。近付くと聞こえる、軽い寝息。机の上に広がっていた弁当箱は片付けられていた。
何気なく僕は、彼の前に回る。長身の彼にはソファはサイズが合わなかったらしく、脚だけが窮屈そうに曲げられ、下ろされていた。
すう、すうと規則的に呼吸を繰り返す口元。近くで見ると改めて、整った顔立ちだ。捲られたワイシャツの袖から出ている腕には程よく筋肉がついていて、よく日に焼けている。

いかにもスポーツ少年というこの腕で、彼は刀を振るのだと、そしていつもの笑顔を歪ませるのだと――そこまで考えてやっと僕は、自分が不気味なほどに彼を見つめていたということに気付いたのだ。

慌てて彼から離れて、誰に見られているはずもないのに辺りを見回してしまう。

どくんどくんと心音が煩かった。と同時に、言い様のない仄かな熱が、胸の中を支配していく。



――これは警告だ。

漠然とそう思った。





いつからか、彼の言葉に相槌を打つようになっていた(彼が楽しそうに話すから)。
応接室の窓から校庭を見下ろすことが増えていた(野球に熱中している彼がいたから)。
とっくに仕事は終わっているのに、時計を見ながら無意味に書類を整理していた(部活を終えた彼が来るから)。





近付けすぎたのだ。自分でも気付かないうちに、彼は僕の領域の奥深くまで踏み込んできていた。

そして僕は、それを不快とも思っていなかった。


恐怖。久しく憶えることのなかった感情は、僕の中にじわじわと広がっていく。
ただ何となく、僕が僕でなくなってしまうような気がして。


相変わらず彼は穏やかな寝息を立てていて、僕の想いなど知る由もない。
けれど目を覚ましたらまた、あの屈託のない笑顔を僕に向けるのだろう。

それが少し怖くて――なのに、待ち遠しい。


目を閉じると、高鳴る心臓の音だけが耳の奥に響いた。そしてまた、心の奥に灯る、かすかな、それでいて焼けつくような錯覚を起こさせる温もり。




もぞ、と山本が居眠りから覚醒する気配を感じた。






どこかにるかすかな温もり


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灰色のジョーカー様に提出。
またまた遅くなってしまいすみませんでした><


終わり方は、悩んだ末にこれに。蛇足かもしれませんが、続編はこちら


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