短編U
□融解熱(P1)
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お題の台詞
「泣いていいよ」「ここにいるよ」「独りじゃないよ」
融解熱
そこで会ったのは本当に単なる偶然だった。
自分の限界をわきまえているはずの酒量を過ごし、さすがにこのままではまずいと、酔っ払った頭にかろうじて残る判断力で店を出た。ふらふらと歩いて、転びそうになった時ぐい、と肘をひかれた。
「おい、大丈夫か?」
闇の中、猫のように光る金色の瞳が見上げていた。
「イシュヴァールで一緒だったんだ」
歩きやすいとは到底言えない位置にある肩に縋るように歩きながら呟いていた。
同じ隊の連中ですら名前も顔も覚えていなかった。
けれど、最後の最後に名を告げ、酌み交わした一杯の酒。
「私のおかげだと言ったんだ」
生きて帰れる、と。生きて返してくれたからこそ、あなたは俺たちの英雄です、と。
なのに。
暴動の鎮圧に投入され、ばかばかしい作戦にくみこまれ。
「もっとましな方法があったはずだ」
まともな作戦案をたてられる参謀がいれば、最善を選び取れる指揮者であれば、彼らは死なずにすんだにちがいない。
要領を得ない酔っ払いの言葉を聞き流してくれるのをいいことに、家までの道程を支えてくれる金色の髪に向かって呟き続けた。
「大佐、着いたぜ」
何も言わずに、ただ私の杖となってくれていた小さな身体が、玄関のなかに私を押し込める。
酔いに濁った視界に砂色の壁紙が映りこんだ。
あの砂漠の砂の色の──。
ずるずると座り込む。投げ出した手は砂ではなく、冷たいコンクリートのざらりとした感触を脳に伝える。
そうだ。
ここはイシュヴァールじゃない。
あれから何年もたっている。
「大佐?」
自分を呼ぶ声。あの頃から二つもあがった、自分の階級。
しかし、まだ二つだ。
自分の手で直接守れる数には限りがあると、だからこそ頂点をめざすことにしたのに。
まだ佐官でしかない。
自分が手が届かないところでぽろぽろと、まるで使い捨ての道具のように、ゲームの駒のように、命が消されていく。
「不甲斐ない……」
奥歯を噛み締め、喉の奥に力をいれる。
でないと嗚咽がこぼれそうだった。
常であれば幾重にも被った仮面にヒビ一ついれずに超然とした大人を演じきることくらい造作のないことだけれど。
それができないのは、体内に蓄積したアルコールのせいだけでない。
「あのさ」
困惑しきった声が耳朶にひびく。
呆れたか、幻滅したか、もしくはその両方か。
いいトシをした大人が愚痴を吐き、悔し涙をこらえるなど、なんと醜い姿だろう。
少なくとも十代半ばの少年の前でさらすべき姿ではないことくらいわかっている。
なのに、この少年の前では自分をとりつくろうことが上手くできない。
それはたぶん、本質的に似ている部分が多くて、どう取り繕おうとも見透かされているような気がするからだ。
「えーと」
潔癖な年頃だ。こんな醜態を晒している大人を、恐らく彼はもう二度と認めないだろう。ただでさえ大人と対等に渡り合うだけの度胸も頭脳も持っているのだ。
嘲笑が振ってくると思っていた。
しかし、頭の上から降ってくるはずだった声は、耳にごく近い場所から響いてきた。
「なんて言っていいか、オレ、良くわかんないけど」
肩にそっと暖かい手が置かれた。
「泣きたいときは泣いた方がいいよ。無理に我慢すると頭いたくなるしさ」
とつとつとした口調はらしくもなく気遣う心情の溢れたもの。
「泣いて、いいよ」
それは、まるで恩赦を与える裁判官のように厳かに響く。
「あ、でも…」
オレがいたら邪魔だよな、ごめん、気ぃきかなくて。
口の中でぼそぼそと呟いて、慌てたように立ち上がる。その腕を引いた。
ぅぉっ、と小さな声をあげて崩れたバランスを立て直す小さな身体に頭を預けた。
「行くな」
搾り出した声は湿度を含んでいる。
「行かないでくれ」
こわばっていた身体が柔らかさを取り戻し、預けた頭をそっと支える。
「……ここにいるよ」
ゆっくりと肩から背中へと手がすべる。何度か往復した暖かい手はその感触以上に柔らかい何かを伝えてくれて。
「独りじゃないよ」
同じように柔らかい声音がゆっくりと鼓膜と胸を振るわせる。
その夜、私は生まれて初めて他者の温もりで嗚咽と涙を融かした。
自分の半分しか人生を歩んでいない、まだ十代半ばの少年の胸で。
終
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あとがき
お読みくださってありがとうございます。
二周年企画お題第四弾です♪
「泣いていいよ」「ここにいるよ」「独りじゃないよ」という台詞を月読つかささまから頂きました。これって、普段ならどう考えたって、ロイさんの台詞じゃないですか。台詞だけ頂いていたら、迷わずロイさんに言わせていたと思います。けれど、ロイ→エドでもエド→ロイでも、とのことだったので、エドに言わせてみました。
でも、普段書きなれていないシチュエーションはなかなか難しいですね(苦笑)
企画にご参加くださいまして、本当にありがとうございます。
お楽しみいただけると良いのですが。
08/01/06