短編U

□いくつもの季節のあとで(P3)
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お題の台詞
「例えどれだけ時が経とうとも…君の隣は私の場所だよ。…鋼の…」

いくつもの季節のあとで

 あれからリゼンブールの季節をいくつ見送っただろうか。。
 取り戻したときに衰弱しきっていたアルフォンスの身体も、ようやく生活に支障のないところまで回復した。現在エルリック兄弟は、焼け跡に立て直した小さな家で、二人のんびりと暮らしている。
 アメストリス全土を覆った騒乱も落ち着きを取り戻しつつある。後々の世では『動乱の時代』と評されそうなこの数年間、軍の在り方は驚くほど変化した。
 新聞にその秀麗な顔が載らぬ日はないロイ・マスタングとその派閥が陰に日向に活躍した、その賜物である。
 新聞を広げながらトーストをかじっていたエドワードは、弟に行儀悪いよ、と嗜められながらも『新大総統就任』の記事を読みふけっていた。
 どんな手品を使ったのか大総統就任と同時に軍事政権から民主制に移行させた、その手腕を褒め称える記事はこの国の未来がバラ色であるかのように書き立てている。
 本当にバラ色なのだろうか。
 この国の未来は。
 軍の中枢にいるあの人の未来は。

「兄さん」
 何度目かの呼びかけにエドワードはようやく顔を上げる。
「駅長さんの手伝い、今日は兄さんが行ってくれる?」
「いいけど、アルは?」
「南の橋が随分傷んできてて、その修復を頼まれてるんだ」
「なら、そっちにオレが行こうか?」
「ううん、大丈夫」
 慌ててアルフォンスは首を横にふる。
 実は、エドワードに頼むととんでもない橋になるから、必ずアルフォンスがやってくれるように、と念を押されていることは、とても兄にはいえない。
「そうか。駅は昼すぎでいいんだよな?」
 わずかばかりの後ろめたさに、こくこくと頷く弟の心情など兄はまるで無頓着だった。

 朝食の後すぐに出かけたアルフォンスのかわりに、菜園の手入れをしようとエドワードは家を出た。
 家の前のゆるい坂を下りかけたところで、向こうからくる人影に気付く。
 我が目を疑う。
 まさかそんな。
「やぁ、鋼の」
 記憶にあるのと同じ声、同じ口調、同じ笑顔で片手をあげる、黒いスーツの男。
「あ、あんた、なんでここに…」
 声が震える。
 畑道具を入れた籠を持つ手も震える。
「なに、今日はただの借金とりだよ」
「はぁ?」
「ひどいな、忘れたのかね」
 面白そうに細められた黒い瞳がまっすぐにエドワードを見つめていた。




「いい家だな。錬金術で建てたのかね?」
 ダイニングキッチンに通されたロイは、勧められた椅子に座りながらぐるりとあたりを見回した。
「錬金術を使わなくてもできることに錬金術を使わない、ってのが師匠の教えだったけど、普通に建てたら何ヶ月かかるわかんなかったからな」
 コーヒーをテーブルに置きながら、エドワードはロイを見ようとしない。
 向いの椅子に座りもそもそと落ち着かなさ気にみじろぎする。
 反対にロイは落ち着き払っていて、これではどちらが家の主だかわからない。
「さて、本題に入ろうか」
 半分ほど飲んだカップをことん、とテーブルに置いた、その音が合図のようだった。
「今日のアンタは借金とり、だったな」
 視線は両手で持ったカップの中の液体に注いだまま、応えたエドワードの声は固かった。
「そうだ」
 520センズを借りたのは何年前だったか。
 あれはまだ16にもなってなかったころだ。
「たかだか小銭数枚を返せって? 大総統が?」
 ちらりと上げられた視線は、テーブルの上のカップまでしか届かない。
 平然とわずか数百センズの借金返済を迫る男は、どんな顔をしているのか。
「きみが言い出したんだろう? 大総統になったら返してやるって」
「そりゃ、言ったけどさ」
 上げかけた視線をまた自分のカップに戻し、手を離した。
 小さくため息をついて、瞳を上げないまま左手をポケットに突っ込む。
「何年たってると思ってんだよ」
「まだ忘れるほど長い時間ではないと思うが?」
 じゃらり、と取り出した裸銭の中から記憶にあるとおりの小銭を取り出す。
「利子なんかつけねーぞ」
「別の形で払ってもらうさ」
 別の形ってなんだよ、と聞き返す間もなかった。
 小銭をのせて差し出した手を、それごと掴まれて引き寄せられた。
 機械鎧がテーブルの上でガチャンと大きな音を立てる。
「例えどれだけ時が経とうとも……」
 空気の振動を伴わない、ささやきのような声なのに、それは確かにエドワードの耳に届いた。
「…鋼の…」
 吐息のような。
 ただ呟いただけの呼び名。
 今はもう、誰も使わなくなった。

 唇を合わせたまま、エドワードはカップが倒れなくて良かった、と頭のどこかで考えていた。




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