短編U

□きみのためにできること(P4)
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 向かう廊下の先から、バタンっ!とものすごい音が響いて思わずハボックは首をすくめた。これはまた一騒動あったな、と思っていれば、案の定、小さな影が角を曲がって走り出てくる。
 ハボックのいる位置まではまだ充分距離があるから身構える余地があった。
 待ち構える自分に気づいているのかいないのか、威勢のいい錬金術師は足を弛めることなく突っ込んでくる。
 脇をすりぬけようとするその小さな身体をひょいと掬い取り、ここ数年ですっかり東方司令部名物になった金色の子供を捕獲する。
「なにすんだっ! 離せっ!!」
 飄々としているようにみえてもハボックは日々鍛えあげている軍人だ。
「まぁまぁ、大将、ちょっと落ち着けや。優しいお兄さんがジュースでもごちそうしてあげよう」
 暴れる子供のひとりやふたり抱えられなくてどうする。
 ジュースの一言が聞いたのか、それともこの状態で暴れるのは危険と判断したのか、おとなしくなったエドワードを担いだまま背の高い軍人は今来た道を戻り始めた。

「自分が一服したかっただけなんじゃねーの?」
 食堂の片隅でオレンジジュースをストローですすり上げながら、甚だよろしくない目つきでエドワードはハボックを見上げた。
「まぁ、そうとも言うかもな」
 ふわり、と煙を天井に向かって吐き出してにやりと笑う。
「で?」
「ってなんだよ?」
「大佐に何を言われたんだ?」
 今度はにやり、ではなく、にっこりと笑まれて、エドワードはぐっ、と詰まる。
 視線をそらせた金色の瞳を覗き込むような青い瞳に、しぶしぶといった態で今しがた頂戴したばかりの小言やイヤミの類を口にし始めた。

「つまり、無茶するな、って言いたいんだよ」
 エドワードが言い募る一連の大佐の言葉をけたけたと笑って聞きながら、ハボックはそんな一言でまとめてみせた。
「わかってるよ、それくらい」
 どんなに厳しいことを口にしていても、ロイはエドワードにとって益のないことを言わない。
 キツイことを言うのも、それが自分のためだということくらい。
 からかうように、叱咤するように、時にはイヤミや皮肉というスパイスをふんだんにふりかけてくれているが、どれもこれも、根底には優しさが含まれている。
 それが自分の身の保身や、自分のメリットにつながるものだとしても、エドワードを思いやってくれていることだ。その気持ちを否定することはできない。
 けれど、だからと言って、イヤミをおとなしく聞いてやる義理などないと思っている。いや、思おうとしている。
「わかってんなら、もう少し素直になってやってくれや」
 くしゃくしゃと頭をなでられる。
「縮んだらどうしてくれるっ!」
 その手を振り払って叫んでしまうのも、いたたまれなさにも似た照れ隠しで、もちろん、それをハボックはわかっていてくれて。
 そのうえで、自分に優しくしてくれる。
「まぁまぁまぁ」
 宿に帰るっ!と椅子を蹴倒す勢いで立ち上がったエドワードに、あまり意味のない言葉で宥めながらフィルターぎりぎりまで吸ったタバコを灰皿に押し付ける。
「外はもう暗いからな、気をつけてさっさと帰れよ〜」
 機械鎧の足音を高らかに響かせて去っていく金色の台風をハボックは見送った。


 ハボックと話したことで気分を落ち着かせ、おとなしくエドワードが弟の待つ宿に帰ったかというと、そうはならなかった。
 確かにハボックは優しい。自分のことを良く気遣ってくれる。
 けれど、それは彼らの上官であるロイ・マスタングが自分に対してそう振舞うからだ。
 ハボックにしろリザにしろ、彼らがどれだけ自分に優しくしてくれたとしても、それは自分がロイ・マスタングの有用な駒であるからこそだということくらい知っている。
 もし、自分があの男と敵対することにでもなれば、きっと彼らはためらいなく自分を敵とみなす。
 それがどうした。
 そんなことはあたりまえじゃないか。
 自分だって同じだ。
 どれだけ良くしてもらったって、弟の身体を元にもどすために彼らを切り捨てなければならなくなったら、間違いなくそうする。
 そんなのはお互いさまだ。だからそれに対してどうこう言うつもりは毛頭ない。
 それでも、面白くない気分はつきまとう。
「っんだよ、大佐のヤツ。人の顔見れば文句ばーっか言いやがって。あんなにコウルサイことばっか言ってると早く老けるぞ。あ、童顔だからちったぁ、老けたほうがちょうどいいか。案外早く老けたくてやってんのかもな」
 文句を垂れ流しながら歩いているうちに、すでに馴染んだイーストシティの中でも普段はあまり近づかない一角に踏み込んでいた。
 見慣れない街並みに足を止め、中心街へ戻るにはどう行けばいいんだったかな、と辺りを見回し、確かこっちだったな、と足を踏み出した矢先だった。
「何をしている?!」
 エドワードにかけられたのは居丈高な憲兵の声だった。
 通り抜けようと思った路地の入り口で、黒い制服を闇に紛れさせるように憲兵が潜んでいた。
 高圧的な態度にエドワードは反射的に憲兵を睨み上げていた。
「この先に用があるんだよ」
 銀時計を見せてむりやり路地に踏み込んだ。
 確かにその道は宿のある中心街への近道ではあったけれど、迂回したところで大した違いはなく、何も無理に通らなければならない理由などない。
 それなのに、意地になったのは権力を使ってでも自分自身の価値を人に認めさせなければ確立できないほどにショックを受けていたということだろうか。
 なんともまぁ、貧弱なハリボテのような自尊心なことだ。
 自己分析の結果にさらに苛立ちがつのる。
 自嘲に顔をゆがめたそのとき。

 獣の吼え声が響いた。
 それも一体ではなく、声の質も高さも別々な声がいりまじっている。
 銃声が響く。
 怒号が行き交い、獣の声と錯綜するように大人数の足音も響く。
 まずいところにまずいタイミングで踏み込んでしまったらしい。
 下手なことをして、また小言をもらうようなハメになるのはごめんだ。
 小さく舌打ちをして暗がりに続く路地に足を踏み入れた。
 騒動がおきている場所から遠ざかる。
 ──つもりで移動したのに。



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