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□『さわるな危険!』
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「……うーん」
ロケバスでの移動中、台本を読みながら唸る敦賀蓮。
珍しく人のいるところで台本を広げていることに驚いていた社だが、蓮の「うーん」が五回目になるとさすがに気になった。
「蓮……どうかしたのか?」
「え? ええ、まあ……、はぁ〜」
蓮がため息を! と、驚天動地の心持ちになる社。
恋人の(周囲には秘密だが)キョーコが絡んでいないことでため息をつくなど、いったい何事だ!?
(素人が踏み込んじゃマズイ……のか?)
微妙な空気のままロケ地に到着し、一行は撮影準備に取りかかる。
未だに暗めの表情が晴れない蓮を気にかけつつも挨拶に回る社。
一通り挨拶を済ませ、今日の日程の最終確認のために助監督を捜していると、ポンと肩を叩かれた。
「こんにちは、社さん。現場で会うのは初めてね」
落ち着いた物言いに振り返る。視線が絡まず、少し上に持っていくと青いサングラスを掛けた女性と目が会った。
社より10cmは上の長身、細身でいながらも均整のとれた身体、モデルと言って充分通用しそうな美人だがそうではなく、彼女は制作スタッフの一員。
このドラマの脚本家だ。
「おたくの俳優、何だか暗〜いカオしてるけど……台本に不満でもあるのかしら?」
「どうなんでしょう……ため息つくばっかりで、俺には何にも言わないんです」
「ふぅん……。敦賀くんが読んでるのって、今日撮るところ?」
「え? いえ、たしか、次回の分だったと」
記憶を辿りながら社が言うと、脚本家にして原作の作者であり、このドラマに限っては演出家のような権限も与えられている彼女はニヤリと笑った。
「なーるほど。ふふ、可愛らしいわねぇ」
「は!?」
可愛い? 抱かれたい男No.1が?
顔を引きつらせる社をそっちのけに、爆弾発言をした張本人は蓮に向かって声を上げる。
「つーるーがーくーん。ちょっといいー?」
来い来いと手招かれ、長い足を億劫そうに進ませて蓮がやって来た。
「何でしょう?」
「次の撮り分の、キスシーンが気に入らないんでしょう? 京子さんと吉井くんの」
「……ッ!?」
「そんな、どうして俺が?」
思わず社が息を呑んだのは、彼女がキョーコと蓮の仲を知っているかのような発言をしたせいもあるが、それより何よりキスシーン云々に驚いたからだ。
吉井と言えば、最近になって人気が上がってきているタレントだ。本業ではないこのドラマにも真剣に取り組んでいる若手だが、まさか彼とキョーコにそんなシーンがあったとは……。
しかしさすがにプロの俳優らしく、社とは正反対に動揺のカケラも洩らさない蓮。
「いいのよ、とぼけなくても。京子さんとは恋人なんでしょ?」
「……」
「見てれば分かるわよ、それくらい。そりゃあ上手にごまかしてるけどね、二人とも。見事に『仲のいい先輩と後輩』演じてるし」
「演じてるつもりはありませんけどね。素ですよ?」
光り輝く笑顔で言うも、彼女の口元からは余裕の笑みが消えない。
「言い換えましょうか? 分かってるからごまかしても無駄よ?」
もちろん、誰に洩らすつもりもないけど。
そう微笑する様子に、蓮が眉をひそめる。
「何が言いたいんです?」
「うふふふ。薩摩切り子でいいわよ?」
「……と言うと?」
「青色の薩摩切り子が欲しいの。日本酒でも入れたら美味しそうじゃない?」
「要するに……?」
「原作者として、イメージに沿わなくなる可能性も否めないわねぇ?」
「最高級の日本酒も付けましょう」
「あら素敵。大吟醸でお願いね?」
「もちろんです」
「うふふふふふ」
「はははははは」
会話の進みに従い、蓮の表情に生気が戻って行く様子をただ見守っていた社は、何だか含みのある笑いを交換し合う二人が理解できないまま薄ら寒いものを感じていた。
「ふふ。じゃあね敦賀くん」
「はい」
「うふふふふ」
笑いながら行ってしまったスタイル抜群な後ろ姿を見つめながら、社はソッと尋ねてみた。
「な、なあ、蓮? 切り子とか日本酒とか、何だったんだよ?」
「え? ああ、それはですね」
極上のスマイルを浮かべる蓮に、遠くで女性スタッフたちが歓声を上げている。
「賄賂でもって、キョーコちゃんのキスシーンを削ってくれるってことです」
「…………はい?」
「社さん、今日は夕方までここで撮りですよね? 申し訳ないんですけど抜けて、青色薩摩切り子と日本酒のいいやつ、買ってきて下さい」
言って懐から取り出すゴールドカード。
「金に糸目はつけません」
極上スマイルはそのままに、背景だけが真っ黒に染まったように社には見えた。
逆らえるはずもなく社は買い物に行くこととなり。
次回の撮りでは、急に変わった台本に大慌てするだろうキョーコと、親切な先輩面で心配やら励ましやらアドバイスやらを行い株を上げるであろう蓮、そしてそれを泰然とした雰囲気のまま見つめている脚本家の姿が見られることだろう。
(芸能界って怖いところだ……)
改めて確信しつつ、社は筆ペンでもって包み紙に書き記した。
『さわるな危険!』