短編
□そんな恋は
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枯山水の水面に朝日の光がゆらゆらと揺れている。
そんな光景を寝起きの覚めきらない瞳で眺めながら、大きな欠伸が漏れる程に平凡な、いつもと変わらない朝の出来事であった。
「…最後に言い残す事はあるか。6文字以内なら聞いてやる」
「…あ、あいしてるよ?」
「分かった、それがテメーの辞世の句だな。くだらねェ人生だったな」
恋人の、久しぶりの非番だった。
仕事帰りにわざわざ屯所まで足を運び、夜明け過ぎまで愛を営み合った筈の恋人が、今現在カチャリと刀を鞘から抜き出しその矛先を自分の喉元へと向けている。
おかしい。何かがおかしい。
「…ちょ、え?…何?俺の寝てる間に何があった?もしかして昨日の続き?俺そんな激しいプレイをした覚えは…」
「6文字以内って言ってんだろーが、何だらだら喋ってんだよ」
「ちょ、痛い痛い痛い!首切れてる切れてるゥゥゥ!」
首元にぴりっと小さな痛みが走ると共に鎖骨へと流れた血に目を見開き、自分を見下ろす相手の瞳が据わっている事実に恐怖すらを感じた。
しかし当の本人はその血を冷静に眺めながら小さな舌打ちを洩らしている。
「何!?何に対しての舌打ちだコラァ!訳分かんねーよ!意図が読めねーよ!どう考えても舌打ちしてェのはこっちの方だろ!」
「……………」
眉間に皺を寄せながら刀を鞘におさめると、土方はこれまた不機嫌そうに煙草を口にくわえ火を灯した。
俺は斬られた首元を押さえながらちらりとその姿を盗み見る。
万年反抗期であるこの男から不機嫌な理由を聞き出せす事がどれだけ困難なのかは知っている。
しかし先程の強行は普段に比べ些か度が過ぎていた。
行動を起こす素振りも見せずに相変わらずモクモクと煙を吐きだす男に、俺は小さなため息を洩らす。
「大体6文字以内って何?お前は俺に何を言わせたいの?」
「ごめんなさい」
しれっとそう告げた男に、確かに6文字以内だなと感心しながら、この男に謝罪を求められる理由を探すのだが、特別思い当たる節はなくて。
「…俺何かしたっけ?」
「テメーの胸に手ェ当てて聞いてみろよ。そんで何か恥ずかしい思い出とか思い出して羞恥で死ね」
土方はそう言い放つと、机に置かれた灰皿に苛だった様子でぐりぐりと煙草を押しつけている。
「…いやー、残念だけど羞恥で死ねるような思い出なんて俺には…、いや待て、あの時の…いや、あれは大丈夫だわ、精々半死にぐれェだ」
「じゃあ何でもいいから何か苦しんだ後に死ね」
「オイィ!随分アバウトになったなオイ!何なんだお前はさっきっから!」
勢いよく立ち上がると、外方を向きかけた土方の両肩を乱暴に掴み顔を自分に向けさせる。
小さな舌打ちをして自分を睨みつけた土方と目線が重なると、奴はふいに目線を下げ、またゆっくりと俺を見上げた。
「…次からは、目立たねェところに付けさせるんだな」
生憎男の表情からは何も読み取れない。
「…付け…?」
俺は何の事かと混乱しながら、奴の目線の先、首元にそっと手を置いた。
ぴくりと反応した土方を見て、
「…もしかして、これ?」
俺は恐る恐る、その部分に指をのせた。
ぽつんと赤く色付いた首元の小さな模様。
もしかして、こいつ、そんな馬鹿みてェな勘違い…
「…まさか土方くん、これキスマーク的な感じで捉え…」
「そこと、腹にも数ヵ所あったな。まあお幸せに」
「お幸せに、じゃねェェェェ!」
悲痛な雄叫びをあげれば、髪をぐしゃぐしゃとかきながら俺はひとつ、小さなため息をついた。
「…あのな、土方」
非常に言いずらい。
非常に言いずらい、けど…
「…これ、…ダニだし…」
そう呟いて点々と付いた印の一つを指差した。
「…最近寒ィからよ、布団干したりだとかシーツ洗ったりだとかそういう煩わしい作業怠ってた結果…、なんだけど…」
普段笑いもしない癖に、自然ににこりと引きつった笑みがこぼれる。
土方は口を半開きにして固まっていたかと思えば、
「…っ」
眉をひそめ、首元から顔までみるみる真っ赤に染まっていった。
その状態で口元を手の平で覆いゆっくりと俯いた土方に、俺は不覚にも心打たれ、胸の内に不純な衝動が沸き起こる。
「ああクソ!」
そう吐けばその身体を力いっぱいに抱き締めて、相手の肩口にぐりぐりと頭を押し付ける。
「何なんですかお前は!そんなくっだらねェ事で悩んで…あれか?乙女か?可愛いんじゃボケェ!」
「っ、誰が乙女だコラァ!つーか離せうぜェ死ね!」
さすがに本気で抵抗されてしまえばそれを抑える事も出来ず、土方はあらゆる暴言を吐くと勢いよく俺の身体を突き飛ばし、口元を拭えばその開ききった瞳孔を俺に向けた。
俺はそれに怯むことなく、目の前の男に目線をあげて首を傾げると、
「…案外、お前って俺にベタ惚れなのね」
この後に返って来る土方の怒鳴り声を覚悟して、茶化すようにそう呟いた。
それなのに、
「?土方?」
目の前にあるのは、瞳孔を開いたまま固まっている男の姿。
俺の問いかけにも答えず硬直している土方の目の前に手の平をかざしてみても、反応はない。
「…おーい、土方くん」
「…そ、んな…」
「え?」
「そんな訳あってたまるかァァァァ!」
突然そう悲痛な叫び声をあげたと思えば、同時に側に置いてあった業務用の机をちゃぶ台返しのように勢いよくひっくり返し、部屋の柱にがつんがつんと額をぶつけ始める土方。
「…えーと、土方くん…?」
「うるせェ!さっさと帰れボケェ!」
「いや、血出てるし…」
「ほっとけ!お願いだからこのまま死なせてくれ!」
「それほんとに死んじゃうから!柱へこんでるから!」
柱に向かい激しく頭を叩きつける土方の両肩に後ろから手を置き顔を覗き込むと、普段の倍は開いた瞳孔がまず目に入り、その後は首元から耳から徐々に真っ赤に染まっていく男の姿が目に入った。
「…クソ、馬鹿か俺ァ…」
真っ赤になりながら、うなだれ額を押さえる土方に、ほんとに馬鹿だな…と思わず口元が弛むけれど、口に出してしまえばまた一波乱起こるのではとそれは胸の内にしまっておく。
些細な事が気になって、知りたくて、それでいてちっぽけなプライドが邪魔をして。
どうしてと聞けば簡単に済む事を、うまく出来ない自分に苛立って、苛立ちだけが先走りして、感情を隠す事も出来ない。
結果、馬鹿じゃねーか、と自己嫌悪。
しかし、そんな馬鹿みてェな葛藤してる奴ァ、どうやら俺だけではないようで…
「…ま、互いにベタ惚れっつぅ事ね…」
そう独り言を呟けば、無性に照れ臭くなるもんだから、うなだれた土方の背中に寄りかかり、うーん、と両腕を伸ばした。
END